神に捧ぐ神姫

 郷民キョウミンたちと言い争いになったその時、お兄が一歩前に出た。


「それなら、私がその神姫シンキ……花嫁になれないでしょうか?」


 お兄の突然の申し出に、俺は息を飲む。

 お兄の表情は真剣で、その言葉に迷いはない。

 だが、そんなことを言い出すなんてーー。


「お兄!!」


 俺は思わず声を荒げる。

 こんな怪しい祭祀サイシに巻き込まれるなんて、冗談じゃない。

 ここは俺たちのいるべき場所じゃないーーそれだけは確かだ。

 それに神姫シンキになったら、死ぬ可能性もある。

 いや、むしろそうなる確率の方が高い。

 生贄って言っているんだから。


神姫シンキ……花嫁になるの憧れていたの。……だってね。花嫁は、今の私ではなれないでしょう?」


 お兄の瞳は、遠い場所を見つめるように揺れる。

 俺はふと、前世の姉貴を思い出す。

 姉貴はあの日、俺と共に死んでお義兄さんと結婚できなかった。


「そうじゃなぁ……」


 郷長キョウチョウの目は、俺とお兄を交互に移動する。

 どうせ、従順な方を残したいとか思っているんだろ!


「……神姫シンキはわかった。じゃあ、俺がやるよ」


 俺は覚悟を決めたように言った。


「ダメよ」


 その言葉には、俺を止めたいという強い意志が込められていたが、俺はその声を聞こえないふりをした。


「でーーこの祭祀サイシの神姫って、具体的に何をするんだ?」


 俺の言葉に、一瞬の沈黙が落ちた。

 郷民キョウミンたちは俺の質問に答えることを拒むかのように目を伏せる。

 誰も答えようとしない。

 やはり、口を開いたのは郷長キョウチョウだった。


「えっと。この先の滝で?」


「滝……で?」


「そ、そうじゃ……舞を踊る?」


「踊る……?」


「そ……そうじゃ。神に捧げる舞を踊るのじゃ……」


 ここまでの流れを考えれば、〖舞を踊る〗という言葉がいかに薄っぺらい意味しか持っていないのかがわかる。


「そ……それから……えっと、その後……神が連れていく?」


「なんでさっきから、そんな疑問形ばっかりなんだよ!」


 俺は苛立ちを隠さず、郷長キョウチョウを睨みつけた。

 郷長キョウチョウだけじゃない、郷民キョウミン全員が何かを隠しているーーそして、それは俺にとって都合のいいことではない。

 

「なんせ、初めての祭祀サイシじゃから……」


「初めての祭祀? このキョウ、今日昨日でできたわけじゃないだろ? 怪しいわ!」


 俺は郷民キョウミンたちを見回した。

 全員が、どこか緊張した表情を浮かべている。

 何かを言いたくない、知られたくない、そんな空気がひしひしと伝わってくる。


「こ、今年から新しく執り行う祭祀なのじゃ……ゃ……えっと……いや、旅商人が行なった方が良いと言っていたのじゃ!」


 また、旅商人か。

 俺は思わず鼻で笑った。

 旅商人が言った? 旅商人がそんな利益にならないことを言うはずがないだろ。

 それともなにか? この郷民キョウミンの中に旅商人が紛れていて、この状況をほくそ笑んでいるのか?


龍剣ロンジエン……ダメよ。誰にだって初めてのこともあるわ。もちろん、初めての祭祀も……」




 話し合いは終わり、郷民キョウミンたちは安堵と倦怠が入り混じった表情を浮かべながらも、その場を後にした。

 逃走を阻止するためなのか、護衛と称して鋭い目つきの見張りが関刀を握りしめ、木戸と外に入口に立っていた。


龍剣ロンジエン……、私が悪かったわ。このキョウなら双子でも受け入れてもらえると思っていたの」


「お兄……、大丈夫だよ。剣舞を披露して終わりだよ。きっと」


 お兄とそして何よりも自分を安心させるために、そうであって欲しいと願いを口にする。


「そうかしら……。そうよね、きっとそうだわ」


 お兄は震える声で、自身に言い聞かせるように呟く。

 俺は郷民キョウミンが置いていった、誰かが袖を通した跡が残る桜色の華服を見る。


「もし、俺に何かあったら……お兄だけでも逃げてくれないか?」


「何言ってるの、龍剣ロンジエン。私はもう、これ以上家族がいなくなるのは……いやよ……」


 俺は声を殺し、喉の奥に込み上げる感情を押し込めながら、お兄に静かに言った。


「お兄……。俺もさ。別にキョウのために大人しく従うつもりはないんだ」

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