饗庭小夜
二月四日。
尾鳥は小夜ちゃんのいる病室へ迎えに行った。
今日はいよいよ顔合わせをする日だ。
私はひと足先に予約している店で待つことになっている。
たった三人なのに店員が気を利かせて六人掛けのテーブルを取っておいてくれていた。壁に面したソファーは小夜ちゃんの席として、私は対面側の椅子に座っている。
「緊張するわね……」
これは後見人申請の際のこと。
私は尾鳥に代わり、諸々の書類手続きを整えていた。
クリアファイルにまとめられている大量の紙の一枚、饗庭家の戸籍謄本に目が止まった。
二一〇七年二月四日――つまり十八年前の今日、饗庭小夜ちゃんは産まれてきたのだ。
それを知った私は尾鳥の尻を叩いて引越しを急がせ、この日に顔合わせすると決めた。入院生活を余儀なくしている小夜ちゃんに、せめて誕生日だけでも外食に連れて行こうと思ったのだ。
小夜ちゃんのこれまでの人生から察するに、あまり誕生日を祝われたことはないかも知れない。
誕生日に私と会うことが果たして良いことなのか悪いことなのか……。正直不安だけれど、戸惑わせてしまうだろうけれど、サプライズになる事は間違いないでしょう。
私はじっとしていられず、気を紛らわせるためにパウダールームで身だしなみを整えてみたり、鏡に映る新しい顔で笑顔の確認をしたり、杵原らしい前髪は何が良いかを考えてみたりした。
こんな風に緊張している姿を尾鳥君がみたら、私らしくないと思うかもしれない。……でも、異能を失った私はただの人間なのだ。少し前まで、ありふれた人生を送る一人の主婦に過ぎなかったのだ。
時刻は正午を少し回ったところ。店内はランチタイムの混雑が少し落ち着き始めたところだった。新規のオーダーが止まり、客はデザートビュッフェを吟味したり、雑談に花を咲かせて楽しそうに過ごしている。
――こんなお店にまた来れるようになるなんて、あの時は考えもしなかったわね……。
病を患い、夫の浮気を目撃し、私は人生の闇の中で
超常の存在に身を任せるまま夫を殺し、事件が明るみになる前に手持ちの金を鞄に詰めて家から逃げた。
最悪な新年を迎えた時、私は「何をやっているんだろう」と後悔したものだ。
人の子を産めないどころか、人を殺すなんて。
きっと私は悪魔と契約してしまったんだろう。
そう思い、人生を諦めた。
ふと思い出したのは、尾鳥君だった。
成人式の後に開かれた女子だけの同窓会、という名の二次会。
式を欠席した私からしてみると厳密には一次会なのだけれど、そこで聞いた彼の話。
尾鳥春樹は小中学と成績優秀だった。もちろん高校でも『お堅いマジメ君』という立ち位置で、クラスで孤立していた。むしろ馴染もうとはしない人だったのを憶えている。
尾鳥春樹は友達を作らないのではなく、作る余裕がない。――私にはそういう風に見えていた。
彼は学力テストでトップの成績を取っていても喜ばないし、勉強を教えて欲しいと頼まれても断ってしまう。
彼が笑っている姿をついぞ見た事がない。高飛車なのではなく、焦りのような苛立ちの気配が彼にはあった。
一方で私もまた、成績は良い方だった。彼と違ったのは、友達付き合いもほどよく愛想を振り撒ける正確だということだ。特段の努力を必要とせず、人望を集めやすいタイプだったと思う。そんな自分が嫌いではなかったとも思っている。
高校のいつだったか、おそらく八年前だろう。世界を騒がせた幻覚災害と時期を同じくして尾鳥君のテスト成績は二位に転落した。
「あれ?」とは思った。でも話しかけるほど親しくなかったし、みんな災害の復旧に忙しく、それどころではなかった。
その後も尾鳥君の成績が転げ落ちていったのは、今更語ることでもないだろう。
あの頃の尾鳥君は……かなり怖かった。
『生きてて一つも良いことがない』
そんな目をして終始自分の席に座り、身を苛む責苦に耐えるように黙っていた。
いつもそんな調子だから、休憩時間は皆教室から出ていく。僅かに残った人も、尾鳥の席には近寄らず、離れたところで過ごすようになった。
この異常な光景を教師はどこまで把握していたのかわからないが、席替えでは彼を中央の位置にならないようにしていたと思う。明らかに隅の席になっていたから偶然とは思えない。
そのうち尾鳥君は『幽霊』と言われるようになった。
そんな彼が〈周波数調整員〉という仕事に就いているというのだ。
『幽霊が化け物退治を始めた』と誰かが言い、毒のある冗談に女子会は大盛り上がりだった。
軽く聞き流すつもりだったが、あろう事か『尾鳥は瀬川のこと好きだったんじゃないか』と、私にまで話題が飛び火して散々だった。だから憶えていたのだろう。
夫を殺してしまった私が行き先に選んだのは尾鳥君のところだった。藁にも縋る思いで彼を探し、夜の武蔵関公園で再会した。
私は大人になった彼を見て、大いに驚いた――彼も驚いていただろうけど――。学生時代の鬱屈とした雰囲気はだいぶ和んで、随分と話しやすい人になっていたのだから。
頼りにあるという直感があった。だって彼は優秀だったし、何より闇を知っている。
結果として、尾鳥君は見事に私を人の道へ引き戻してくれた。
それだけじゃない――
カララン。カララン。
……と、お店の入り口が開き、扉に取り付けられている呼び鈴がなった。私は物思いに耽るのをやめて居住まいを正す。
「待たせたな」と尾鳥は微笑む。
「ううん。全然よ。後ろにいるのが小夜ちゃんよね」
「そうだ。ほら小夜」
尾鳥君はそっと促し、小夜ちゃんにソファー席を譲る。
しかし、小夜ちゃんは私の顔を見て驚いたまま固まっていた。
まだ僅かに子供らしさの残る若い肌。顔に『杵原さん?』と書いてあるようだった。
言葉にしないのは、私を前に失礼な事は言えないと考えているからだろう。
「初めまして。杵原真綸香です」
「はじ、め、まして……? あれ、名前まで……」
小夜ちゃんは挨拶を返しつつも、交互に首を回して私と尾鳥君の様子を伺っている。知人によく似た大人の女性を前に、何が起きているのかわからないのだろう。
可愛い反応だったので私の口元がにやけるが、笑ってはいけない。
杵原真綸香の存在を私がもらったことは、冗談で片付けていい話ではないのだ。
「ちょっとだけお話をさせて欲しいの。尾鳥君からはどこまで聞いてる?」
小夜ちゃんは問いかけに答えるうちに気持ちが落ち着いたのか、ソファーに移動して腰を下ろした。
「『紹介したい人がいる』と……後見人になる上でも大事な話だから来てくれって言われました」
「そうね。尾鳥君と小夜ちゃん。二人が一緒に住む上で大事なことよ。私はね、尾鳥君とお付き合いをしていて、婚約しています。もちろん小夜ちゃんの後見人になることにも賛同していて、手続きもを進めているわ」
「き、杵原さん……あの――」
「あ、……ごめんなさい。そうね。『そっくりな幽霊を知っている』でしょう? 東伏見公園の地縛霊であり、不死の杵原真綸香。それが私とそっくりだと思っているのよね」
小夜ちゃんは頷く。
「『あなたのために幽霊をやめて人間に戻りました』……と言えたら良いのだけど、あの子とは別人なの。そのあたりのことも今日お話するわね――」
そうして、私と尾鳥は年明けから今日に至るまでの出来事を語ることとなった。誕生日の予約で席を取っているのにあまりにも真剣な空気で話し込んでいるから、店員はさぞ困惑しただろう。
私と尾鳥君は事前に打ち合わせた通り、饗庭家の事件に関わらない瀬川忍のあらましを語った。
小夜ちゃんの反応は悪くなかった。
「――ということがあって、私は植物状態だった杵原真綸香の体を、杵原さんは私の不思議な能力ごと、存在を入れ替える取り引きをしたの」
「だから、名前も見た目もそっくりなんですね……」
「ふふ。そっくりというより、もう本人なのだけれどね」
「じゃあ、入れ替わった杵原さん……じゃなくて瀬川さんはどうなってるの?」
「あいつは美人の外見を手に入れてすこぶる元気だぞ。退院したら見に行こう」
「美人……」「美人って」
と、私と小夜ちゃんの声が重なった。
「尾鳥さんってそういう目で見ることあるんだ」
「あ、いや、言葉の
「そんな風に思ってくれていたなら、身体を交換するのは勿体無かったわね」
「この話はやめよう、やめやめ。それより今日はなんの日かわかってるか?」
尾鳥君は訊ねると、小夜ちゃんはピンと来ていない様子で答えた。
「外でご飯食べる日?」
「違うだろ」「違います」
今度は尾鳥君と私の声が重なってしまう。
「まさか知らなかったのか? 今日は小夜の誕生日だ」
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