埃まみれのコウモリ男
Another view ――少女――
唐突に視界が消えて、ザリザリと砂嵐に変わる。
その次に視えたのは、私が知らないどこかの景色だ。
まったく記憶にないけれど、おそらくは。
こんな空間を人は地獄と呼ぶのでしょう。
視えたのは真っ赤な教会。あるいは、孤児院のようだった。
床も、壁も、聖母マリアの彫像も。すべてが崩れ落ち、赤く死に絶えている。 割れたステンドグラスから差し込む、色づいた月明かりが照らすのは、凄惨な箱庭だ。
風通しの良いテラスへと変わり果てた礼拝堂は、まるで爆破でもされたかのように、何もかもが散らかり尽くしていた。
その光景を例えるなら、きっと。
酷くマナーの悪いティーパーティーのような悪夢。
紅茶の香りは鉄錆の匂い。千切れた手足が、床に散らばったカトラリーを思わせる。傍らに転がる焼けた胴体は、スポンジケーキみたいに穴だらけだった。
テーブル代わりの瓦礫の上には、マカロンのような目玉が一つ。 ゼリーのみたいな質感で、ギョロリと天を仰いでいる。
どれもサイズが違っていて、数もはっきりわからない。
「どうしましょう。この未来を止めるにはどうしたら」
そう考えて自嘲した。なにを馬鹿なことを。
私にできることなんて、なにもありはしないのに。
そんなことを考えた直後。
ズンッ!と重たい音が響いて、映像は消えてしまった。
狭い部屋が小刻みに、軽い地震のように揺れる。
音と地震は何度もやってきて、タタタタッ!と乾いた音が続いた。かすかに聞こえる怒鳴り声。あとはだいたい悲鳴らしい。
誰かが弾けて撃たれて死んでいる。
他人の心配などしている場合ではないみたい。
まだまだ距離は遠いようだけれど、そうそう時間もないでしょう。わざわざ視てみるまでもない。
でももしかしたら。
本当に、ほんのわずか。ちょっぴりだけ。
暴れている人たちの目的が、私でない可能性を期待してもいいかしら。駄目かな?駄目かも。騒ぎはだんだん近づいてくる。
――やっぱり、期待なんてするだけ無駄なんだ。
「今度はどんな人たちでしょう?」
マフィア?政治家?それとも、世界的大企業のお抱えチームでしょうか。どこかの国の軍隊だったりするかもしれない。
ここの人たちは何だっけ?
「……どうでもいいけれど。一人で来るにはタイミングが悪いのではなくて?」
ため息を一つ。ベッドに腰かけたまま、私はちらりと天井を仰いだ。この狭い部屋には小さなソファーにテーブル、シングルサイズのベッドしかない。
だから、この部屋に誰か用があるとすれば、それは必然的に私が目的なのだろう。
侵入者であるならなおさらの話。
ただ、いまこの時というのは狙ってなのか、たまたまなのか。どちらにしても上手いタイミングだとは思えない。
何を考えているのでしょう?顔を見せたら聞いてみよう。
相手に話をする暇と、人間性があればだけれど。
「さーん、にーぃ、いーち」
ぜろ。パカリと天井の端にある点検口が開いた。
そこから慎重に頭が生えて、逆さまの目が私を捉える。
やだ怖い。ホラーみたい。
「ビンゴだ」
逆さまの生首がニヤリと笑う。どうも私は景品らしい。
何等賞なのでしょう?
「いや、分かりやすくて助かったよ」
生首がニョキニョキと伸びて、コウモリ男に変わっていく。
頭に血は昇らないのかしら。
男は軽く身体を振って、くるりと華麗に半回転。スタッと綺麗に着地した身体から、ブワッと埃が舞い上がる。
私はとても不機嫌になった。
「やっぱり人間隠すなら地下だよな。逃走の心配も少なく、叫ばれるリスクも気にしなくていい」
……残念だ。得意げに監禁のセオリーなんてものを披露するあたり、人間性はあまり期待できそうにない。
黒い短髪に濃い目な茶色の瞳。歳は三十代前半くらい?アジア圏の方でしょうか。
「……最初からこちらを見ていたな?どうして俺があそこから来ると分かっていた?」
男が自身の出てきた穴を顎で指し示す。
特殊部隊だとか、工作員とかいう方なのかもしれない。
それこそセオリーっぽい上下真っ黒のセットアップは、所々白く汚れていた。
まぁ、天井裏をやってきたのだから、埃まみれにもなるでしょう。
「なんてみすぼらしい姿」
感想が口から洩れてしまった。
けれど、決していまのはわざとではないのです。
だからそんなに怒った顔をしないでほしい。
「……なるほど。仲良くお喋りをするつもりはないらしいな」
ピクピクと、こめかみに青筋を立て、ひきつった笑みを浮かべる器用な男。これも一種の顔芸かしら。
先のコウモリといい、ずいぶんと芸達者な人のようだ。
男は身体についた埃を払う。
私は舞い上がった埃に不機嫌になる。
「無意味な質問でしたから。答えを知っていて質問するのは意地の悪い人間です」
「確かに。意地が悪いとよく言われるが、今回は最短だ」
「新記録ですね、おめでとう。それで?貴方はどちら様?」
意味のないやりとりは嫌いじゃないけれど、いまは状況が良くない。騒音は刻一刻と近づいてきている。
……今回は、いったい何人が死ぬのだろう。
「君を解放するために来た者さ」
「そうですか。それはどちらの意味でしょう?」
助けに来た。攫いに来た。ではなく、解放だなんて酷い言い方。そんなの、どちらの意味にも受け取れるではありませんか。
――助けるとも、殺すとも。
ホラ案の定。ニヤリと笑っておられます。
「そいつは俺が決めることじゃない。君が選ぶことだ。君の人生だろう?選択は君の権利だし、自由であるべきだからな」
「そうかしら。生憎、私にはよくわかりません。いままでそんな自由があったことなんてありませんから」
「そんなことはないはずだ。いつだって人間には選択の自由があるものさ。生きるか死ぬか。どんな形であれ、それだけは選んできただろう?」
なるほど。とは思いません。だって初めから選ぶ余地なく、強制されることだってあるのです。いまのように。
「それなら――私が死にたいと言えば、貴方は殺してくれる?」
「お望みとあらば。できるだけスマートに済ませると約束もしよう。だがそうか――君は死ねないんだったな」
そう、私は死ぬことが出来ない。生物学上、非常に低い確率だが存在するとされる不老不死の遺伝子。
とあるイギリスの大学で定説された理論……とされている都市伝説だ。つまり、ただの噂。実在しないフェイクニュース。
――そのように認識を改変され、葬られたもの。
「本当に意地悪な人。私を不快にさせるのは楽しいですか?」
私がそれに気づいたのは、十七歳の時だった。
生まれついての真っ白な髪に、陶器のような白い肌。そして化け物じみた緋色の瞳。
お医者様からは眼皮膚白皮症……つまりアルビノと診断された病気。
でも、私の身体は診断されたそれとは違っていた。あらゆるものが視えてしまう呪われた瞳に耐えかね、手首を切ったバスタブで、その事実を知ったの。
真っ赤に染まる湯舟の中。凝固しない血液は、時間を巻き戻すみたいに身体へ戻る。裂いた手首もみるみるうちに塞がった。
「悪かった、いまのは本当に忘れていたんだ。すまない。決して君を傷つけるつもりはなかった」
困った顔で無精ひげをさすっていた男が、ふいに姿勢と表情を正し、深々と頭を下げた。この反応は予想外だ。
思わず許してしまいそう。
「だが、さっきの話は本当だ。俺は君が望むなら殺してやれる」
「――え?」
ドォンッ!と、これまでと比べ物にならない程の爆音が響き、部屋が大きく揺れた。ミシミシと軋んだ天井から、パラパラ欠片が降ってくる。いつの間にか侵入者は、ずいぶんと近くまで来ているみたい。
「さて、時間はあまりないらしいが」
状況を全く気にもしていない素振りで、男は私に問いかける。
「どうするお姫様。選択は君次第だ」
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