書きかけの物語

青月 日日

書きかけの物語

    時計と鏡と物語の入口


 校舎の片隅。木製の柱に囲まれた文芸部の部室には、時が止まったかのような静けさが満ちていた。


 大きな鏡の額縁のすぐ上に、ほこりをかぶって、それは掛けられていた。

 梟の姿を模した、重厚なつくりの古びた掛け時計。金属と木の組み合わせで形作られたその姿は、まるで今にも羽ばたきそうな生き物のようでもあった。


「ホー、ホー、ホー、ホー、」


 突然、掛け時計が鳴りだす。


「また変な時間になってる……」


 少女──琴端紡実(ことのは・つぐみ)は、微かに眉をひそめながら、時計を見上げた。短針は九のあたりを指しながら、妙な角度で止まっている。長針も歪んだようにゆっくりと下に垂れ、まるで重さに耐えかねているようだった。


 この時計は、昔からそこにあり、誰が持ってきたかもわからない、ただ“動かすには手で巻き戻すしかない”という、不思議な時計。


「ちょっと待ってね。巻き戻して、正しい時間に戻してあげるね」


 そう言って紡実は、椅子を引き寄せてそっと時計に触ると、勝手に文字盤が開き、中から一冊のノートが落ちてきた。


 ノートの表紙には“春夏秋冬、森の子たち“と書かれていた。


 紡実は、悪いと思いながら、中をみてしまった。


 そこには、森の子たちの季節ごとの楽しい様子が書かれていたが、何故か、秋でとまった書きかけの物語でした。


「どうしたの?」


 自然に言葉がでた。


「あれ変だな。どうして“どうしたの?”なんだろう。」


 何故か、すっきりしないまま、時計の時間を直すことにした。


 針に手を添える。指先にひやりとした感触が伝わる。ゆっくり、慎重に、時計の針を巻き戻していく。すると――


「カチリッ。」


 乾いた音とともに、時計の表面が振動した。次の瞬間、掛け時計の梟がまるで生きているかのように、ゆっくりと翼を広げた。


「えっ……?」


 紡実が息を呑むのと同時に、梟が翼を下の鏡を覆うように広げる。

 鏡の表面がゆらりと揺れ、まるで水面のように波打った。

 そして、ひと筋の光が、鏡の奥から漏れ出す。


 そこには、どこからも閉ざされていた世界への“入口”が開いていた。


 ふだん見慣れた部室は、まるで劇の幕が開く前の舞台のように、静寂の中に佇んでいた。


 だが、紡実ははっきりと感じた。

 この鏡の向こうに、なにかが待っている。

 誰かが、彼女を呼んでいる。


「……行ってみようか」


 そう小さく呟いたとき、彼女の胸の奥に、微かに暖かい風が吹いた気がした。



    試練の始まり:クリスタルクォーツの樹


 紡実が鏡の入り口を通ると、そこには、大きく傷ついた水晶の大木があった。

 そばには、寂しそうな、女の子と、それを心配そうに見ている機械仕掛けの梟がいた。

 水晶のかけらが飛び散り、まるで交通事故の後のようだ。


「どうしたの?」


 紡実が尋ねると、少女はかすかに唇を震わせて言った。


「四季の書が、どこかへ行ってしまったの。もう誰も助からないわ。」


 そこで、機械仕掛けの梟が口を開いた。


「私から説明しよう。この大樹は“クリスタルクォーツの樹”。この世界の秩序と季節の流れを司っている。だが、暴走した鉄の猪が突如現れ、この樹に激突した。その衝撃で、大樹に収められていた四季の書が散逸してしまった」

「四季の書がないと、”クリスタルクォーツの樹”この世界の秩序と季節の流れを管理できない。」

「バランスを失ったこの世界は、近い未来に消えてなくなるだろう。」


「助かる方法は……?」


 紡実の問いに、フクロウはゆっくりと頷いた。


「もう一度、四季の書を集めることが出来れば、あるいは、元に戻せるかもしれん。」


「じゃあ、一緒に探しに行こう!」

 

 紡実は少女に手を差し伸べる。


「私、琴端紡実。あなたは?」


 女の子はその手を取りながら名乗った。


「私、秋本わかな。こっちは……」


 少しあきれ顔をしながら、機械仕掛けの梟


「私は歯車の騎士」


 こうして、二人と一羽の四季の書を探す試練の旅が始まった。



    春の章:芽吹きの試練


 森の入り口は、やわらかな木漏れ日と若葉の香りに包まれていた。

 だが不思議なことに、春なのに花は咲かず、鳥のさえずりもない。

 空気は妙に静かで、まだどこか冬の名残が残っているようだった。


「……春なのに、眠ってるみたい」


 紡実は、足元の土にそっと触れてみた。

 冷たい。

 けれど、ほんのりと温もりの芯がある。

 命が目覚めかけている気配――その気配を探すように、彼女の隣でわかながくるりと一回転して言った。


「ねえ、春ってもっとこう……くすぐったくて、ふわふわしてるんじゃなかったっけ?」


 その後ろで、カチリと小さな音が鳴る。

 歯車の騎士が、首を一周まわしながら静かに告げた。


「……誰かが目覚めていないようだな」


 彼らが足を進めた先、そこだけに春がとどまっているような菜の花の絨毯の上にぽつりと何かが横たわっていた。

 まるで琥珀のような羽を持つ妖精――目覚めバチ。


「うわ……動かない。けど……眠ってる?」


 わかながそっと近づこうとした瞬間、眠ったままの目覚めバチがピクリと動き、無意識に細い針を一閃させた。

 すんでのところで紡実が引き止める。


「近づきすぎると危ないみたい……!」


 歯車の騎士が目を細めて呟いた。


「これは……“春の書”から飛び出した呪いかもしれない。眠りの呪いが、この妖精を縛っている」


 目覚めバチが目覚めなければ、森じゅうの花々は蜜を運んでもらえず、咲くことができない。

 春の訪れが、ここで止まっているのだった。


 その場でどうするべきか考えていた時、わかながぽつりとつぶやいた。


「ちょっとお腹すいたなぁ、……紅茶にはちみつを入れたときの香りって、最高だよね」


 その言葉に、カチカチと音を立てていた歯車の騎士がピタリと動きを止めた。


「……なるほど。香りを先に届けてやれば、やつの春が目を覚ますかもしれんな」

「冬眠前に、はちみつをたくさん分けてもらっていた熊なら……まだ持っているかもしれない」


「熊さん、探してみよう!」


 紡実はぱっと顔をあげて言った。


 森の奥で出会った大きな熊は、少し眠たげな目をしながらも、彼らにとっておきのはちみつを分けてくれた。


 そして目覚めバチのそばで、三人はティーパーティーを開く。

 小さなカップに注がれた紅茶。

 そこへたっぷり黄金色のはちみつを垂らすと――


 ふわりと、春の香りが広がった。


「目覚めバチさん……起きて」


 紡実の呼びかけと共に、目覚めバチのまつげが震え、羽がゆっくりと開く。

 まるで森全体がその合図を待っていたかのように、周囲の木々がざわめき、小さな花の蕾が一斉にほころびはじめた。


「ありがとう……」


 小さな声と共に、目覚めバチが胸元から一冊の本を差し出す。

 それは――春の書(希望の書)。

 ページには、こう記されていた。


「物語は、目を覚ますことから始まる」


 紡実がそれを両手で受け取り、バッグにしまった。



    夏の章:灼熱の試練


 夏の森は、いつもなら活気に満ちているはずだった。

 蝉の声が降り注ぎ、ひかりの小道には眩しいほどの木漏れ日が踊り、夏の花が咲き誇る。

 

 けれど、今は違った。


 まるで季節が息をひそめたかのように、森には重苦しい沈黙が満ちていた。

 太陽は雲ひとつない空から容赦なく照りつけるが、地面には影が幾重にも折り重なり、不自然な暗さを生み出していた。


「ここ、なんだか息苦しい……」


 紡実は額に滲んだ汗をぬぐいながら、辺りを見回した。木々がねじれるように伸び、影が奇妙な形で広がっている。


 そのとき、わかながふと足を止めた。


「あそこ、動いてるよ……影が」


 影の中からぬるりと現れたのは、ひかげモモン――日陰を操るリスの妖精だった。

 しかし、その姿は、以前森で見かけたときとどこか違っていた。

 彼のまわりの影は濃く、硬く、まるで壁のように現実を遮っている。


「ひかげモモン……あれは、夏の書の呪い」


 歯車の騎士が翼をたたんで静かに言った。


「超活性の呪いだな。ひかげモモンの能力が暴走して、日陰を増殖させ続けている。あの中に、夏の書があるはずだ」


 影の壁の奥に、モモンの小さな身体が取り込まれていくのが見えた。

 

 影の壁に阻まれて、モモンにはとても手が届きそうにない。


 あまりの暑さに紡実たちは、熊にもらったハチミツでレモネードを作り休憩することにした。


「ひかげモモンって普段は臆病なのに、ほかのリスが来たときすごく怒ったんだよね。なんでだろう」


 わかなが呟いた。


「縄張り意識が強いんだろうな。リスの形をしたもので挑発すれば、影から出てくるかもしれん」


 歯車の騎士がくるりと首を傾げて答える。


 紡実は何かを思いついたようにぱっと顔を上げた。


「私、束子(たわし)のリス作れる!」


 数分後、歯車の騎士のしっぽには手製の束子リスがくくりつけられ、森の広場ではちょっと奇妙な光景が広がっていた。

 わかなが考えた“リスの縄張りダンス”に合わせて、歯車の騎士がしっぽを振り、紡実が太鼓を叩き、リズムを取る。


 その様子に、影の中からぴくりと動くものがあった。


「出てきた……!」


 怒りに震えるひかげモモンが、牙をむいて束子リスに突進してきた。

 束子リス、その先には、木陰に置かれたのレモネードポット。


 車の騎士が舞い上がり、ひらりと交わすと、モモンはそのまま冷たいレモネードポットにダイブした。


 ジュワァッと冷たい音とともに、超活性の熱が溶け出した。

 モモンの目がくるくると回り、そして、すぅっとその身体が落ち着いていく。


「……あれ? ぼく、何してたんだろう」


 ひかげモモンが呆然とつぶやいたとき、空に蝉の声が戻り、夏の花が咲き始めた。


 紡実の手には、ひときわ暖かい光を放つ本が残された。

 『夏の書』──情熱の書。

 その最初のページにはこう記されていた。


 「物語は、熱くなって初めて動き出す」


 紡実は『夏の書』をバッグにしまった。



    秋の章:輪唱の試練


 森の奥深く、木々が赤や橙に色づき、落ち葉が絨毯のように地面を覆っていた。

 風が吹くたびに木の葉が舞い上がり、まるで空からはがきが舞い落ちてくるようだった。


 紡実とわかな、そして歯車の騎士は、ふわふわと落ち葉が舞う道を進みながら、次なる“書”を探していた。


「ここは……秋の書の場所」


 わかなが落ち葉を踏みしめる足を止める。

 三人の前には、ぐるぐると渦を巻いた落ち葉の中心に、まいまい模様のマントを纏ったカエルの妖精――まいまいマントヒキがぽつりと立っていた。


 彼は、“結末のない詩”を延々と口ずさんでいる。

 まるで、無限ループの迷路の中で、迷子になってしまったように。


   春の蜂は眠りのなか

   はちみつの香りに夢がほどける


   夏のリスは影に隠れ

   冷たいレモンで心をひらく


   秋のカエルは詩にとらわれ

   手と手をとって輪になって踊る


   冬の蜂はカエルに手をとられて夢の中

   春の蜂は眠りのなか……





 その声は風に溶け、森じゅうに満ちていた。

 だが、どこか空っぽで、どこまでも続く旋律だった。


「これが……無限ループの呪い?」


 紡実が呟く。


「おそらくな」


 歯車の騎士が頷くが、次の言葉は続かなかった。


「……今回は、何も情報が思いだせない」


 意外な言葉に、わかなが首を傾げる。


「でもね、さっき、まいまいマントヒキさん、私を見たとき、ちょっとだけ表情が変わったような気がしたの」


「え?」


 紡実が聞き返すと、わかなは微笑んで続けた。


「“結末のない詩”って、輪唱したら楽しいかも。なんだか、音楽が踊りたがってる感じがするの」


「よし、とにかく歌ってみよう!」


 紡実が元気よく言った。


 三人はまいまいマントヒキの前に並び、順番に詩を輪唱し始める。

 最初は紡実が歌い、それに続いて歯車の騎士、そしてわかなが旋律をつなぐように歌い出す。


    “結末のない詩”


   春の蜂は眠りのなか

   はちみつの香りに夢がほどける


   夏のリスは影に隠れ

   冷たいレモンで心をひらく


   秋のカエルは詩にとらわれ

   手と手をとって輪になって踊る


   冬の蜂はカエルに手をとられて夢の中


   春の蜂は眠りのなか……



 美しいハーモニーが森を包む。しかし、まいまいマントヒキは詩を繰り返すだけ。

 目はどこか遠くを見ていて、心はまだ閉ざされているようだった。


 もう一度、同じ詩を、同じ順番で歌う。


 紡実、歯車の騎士、わかな――。


 まいまいマントヒキの番が来た。でも、彼は口を閉ざし、黙り込んでしまった。


 その時だった。わかなが一歩、まいまいマントヒキに近づき、手を差し伸べながら優しく語りかけた。


「一緒に踊ろう」


 その一言で、まいまいマントヒキがゆっくりと顔を上げる。そして、わかなの手を取った。


   春の蜂は眠りのなか

   はちみつの香りに夢がほどける


   夏のリスは影に隠れ

   冷たいレモンで心をひらく


   秋のカエルは詩にとらわれ

   手と手をとって輪になって踊る


   冬の蛇は夢にとらわれ

   カタキの叫びで目を覚ます


 三人と一匹は、“結末のない詩”を歌いながら、くるくると落ち葉の中を踊り始めた。

 踊りの輪がひとつになり、やがて渦となり、森の風がやさしく流れ始めた。


 そして――


 詩の終わりが訪れた。わかなが歌い終わると、まいまいマントヒキも自然と口を閉じ、深く、深く息を吐いた。


「……終わった……」


 その声には、どこかほっとしたような、切ない響きがあった。


 最後に、まいまいマントヒキは一回転し、大きくターンを決めた。

 吹き上がる落ち葉が空に舞い、長く続いていた呪いがふわりと風に乗って消えていく。


「まいまいマントヒキさん」


 わかなが、そっと手を取ったまま、囁いた。


「あなたの手を取っているのは、私だよ。もう迷子にさせないからね」


 落ち葉のじゅうたんの向こう、赤く染まった大地に、秋の書がそっと現れていた。


 紡実は『秋の書』をバッグにしまった。



    冬の章:凍てつきの試練(終わり)


 森の奥深く、空気が凍てつくような静けさに包まれた場所に、琴端紡実と秋本わかなは足を踏み入れていた。


「……寒いね」


 わかなが身をすくめながらつぶやくと、白い息がふわりと宙に溶けた。


 彼女たちの前に広がるのは、霧がかった夢のような風景。空と地の境すら曖昧で、すべてが柔らかく霞んでいる。


 ここは、“夢の中”。


 冬の書が引き起こした呪いの影響で、時間が閉じ込められた夢の世界だった。


 夢の中では、紡実の心が望んだままに景色が形を変えていた。

 お菓子の家、きらきら光る雪の湖、語りかけてくる木々……。

 すべてが彼女の“楽しい”を叶えてくれていた。


「ここ、すごく楽しいよね」


 紡実は笑顔でわかなに言った。


「ずっとここにいてもいいかも」


 けれど、わかなは少し困った顔をして言った。


「でも……歯車の騎士さん、どこに行っちゃったのかしら」


 そのとき、二人の視線が、片隅にある古びた時計台の下に止まった。

 そこには、うっすらと埃をかぶった金属の塊──歯車の騎士が、まるで時間から取り残されたように横たわっていた。


「歯車の騎士さん……」


 わかながそっと声をかけるが、反応はない。


「……一緒なら、もっと楽しいのに」


 わかなのぽつりとしたつぶやきに、紡実が顔をあげた。


「大丈夫。私、知ってるの」


 紡実はにっこりと笑って言う。


「歯車の騎士さん、夜中にこっそり背中のゼンマイを巻いてたんだ。だから……」


 紡実は歯車の騎士の背に手を伸ばし、力を込めてゼンマイを巻いた。

 カチカチ、カチカチと音を立てながら、ゼンマイはきつく締まっていく。


 しばらくの静寂ののち──


「……ガタッ……ガッ、ガガッ……」

 不規則に身体を揺らしながら、金属の羽根が軋むように開かれた。


「ブッポウソオォーーーーー!!」


 突如響き渡った鳴き声に、森全体が震えた。

 その瞬間、辺りを取り巻いていた夢の風景がぱちんと音を立てて弾け、冷たい現実の森が戻ってきた。


 そして──

 天敵、梟の鳴き声を聞いて、深い雪の影から、白銀のうねりが姿を現した。


 それは、大きな蛇──オロボ。冬の書に封じられていた、再生と回復の象徴にして守護の存在。

 その瞳には、夢に囚われていた間の記憶が映っていた。


 歯車の騎士が静かに羽根を畳むと、オロボはゆっくりと頭を垂れ、四季の試練の終わりと、再生の時が近いことを告げた。


 紡実は『冬の書』をバッグにしまった。



     時の果て、物語の始まり


 長い旅路の果てに、紡実たちはついに辿り着いた。

 かつて森の中心にそびえていた、透明に煌めく大樹——クリスタルクォーツの樹。

 その姿は、今や見る影もない。

 あたり一帯に砕けた結晶片が散らばり、まるで時間そのものが崩れ落ちたようだった。


「……ここが、最後の場所だね」


 わかなの声は、静かに広がる沈黙の中に吸い込まれていく。

 誰もが言葉を失うなか、歯車の騎士はじっと大樹を見つめていた。


 何かの気配を感じた歯車の騎士


「——来るっ!」


「キッキキキ―」


 まるで自動車の急ブレーキのような音とともに、かつて森を蹂躙した鉄の猪が目の前で止まった。

 真紅の目をぎらつかせ、狙いを定めたのは——わかな。


「きゃっ!」


 巨体が唸りをあげて突進する。

 その姿はもはや理性を失い、ただ破壊の本能だけに突き動かされているようだった。

 逃げ惑うわかなを追いかけて、鉄の猪は木々をなぎ倒す。


「やめろ……わかなに、触るなぁぁ!」


 紡実が叫んだその瞬間、風が止まり、空気が震えた。


 歯車の騎士が、わかなの前に立ちはだかった。


 紡実のバッグにしまわれていた四季の書からまばゆい光が放たれ歯車の騎士の胸元へ飛び込んでいく。

 春、夏、秋、冬——すべての物語が紡がれたその書は、騎士の体に新たな力を宿す。


 歯車が軋み、蒸気が吹き出す。鋼の羽が大きく広がり、銀色の身体がきらめく。


「——この子に、二度と同じ思いはさせない!!」


 轟く声とともに、歯車の騎士は変貌を遂げた。


 その姿は、巨大な鋼の鎧を纏った騎士——《アイアンナイトオウル》。


 アイアンナイトオウルの翼がしなると、嵐のような風が吹き荒れた。突進してきた鉄の猪に向かって、鋭く前脚をふるい、鉄の塊を蹴り飛ばす。


「ガギィィィン!!」


 轟音とともに、猪は弧を描いて吹き飛び、砕けたクリスタルクォーツの樹へと激突した。

 バラバラだった枝や幹が、共鳴するように光を放ち、猪の体が徐々に元の姿へと戻っていく。


 樹の根元に、アイアンナイトオウルが静かに降り立つ。

 その胸——時計の文字盤が、音もなく開いた。そこには、美しく並んだ書架があった。


「——四季の書を、ここへ」


 静かに語りかける声に、紡実はうなずく。

 そして、春の書、夏の書、秋の書、冬の書——すべてをひとつずつ書架へと戻していく。


 最後の書が収まったとき、文字盤が閉まり、時計の針が逆回転を始めた。


 時間が、戻り始める。


 砕けた枝が再び結び合い、崩れた大樹が、静かに、けれど確かに、元の美しい姿を取り戻していく。

 最後のひとひらの結晶が舞い、クリスタルクォーツの樹にもどっていった。空を仰げば、雲の向こうに満ちる光があった。


 そして——


 アイアンナイトオウルは、その翼を大きく広げて、クリスタルクォーツの枝に舞い上がる。

 すると、紡実たちの足元に鏡が現れた。


 それは、元の世界へと通じる道。


「——さようなら。でも、また会えるよね?」


 わかながつぶやき、紡実がその手を取り、ふたりは鏡の中へと踏み出す。


 —


 目を覚ました紡実の鞄には、小さな歯車の騎士のぬいぐるみが、そっと揺れていた。



    そして、物語は続く


 目を開けた瞬間、見慣れた天井が視界に広がった。

 ゆっくりと起き上がると、柔らかい朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。まるで長い夢から覚めたような感覚だった。

 いや、夢だったのだろうか? 


 紡実はふと自分の鞄に目をやった。

 そこには、見覚えのないぬいぐるみがちょこんとついていた。

 ふわふわの羽根、真鍮色の目、そしてお腹に小さな時計の模様。


 「……歯車の騎士?」と、思わず呟いた。


 そうだ、あの森で、わかなちゃんと、歯車の騎士と、一緒に冒険をした。四季の書を集めて、森を救って——。


 その記憶が心の底から湧き上がるように蘇ってくる。

 夢とは思えないほど、鮮やかで、暖かくて、不思議な物語だった。


 その日の文化祭。教室の扉を開けると、文芸部の仲間たちが忙しく飾り付けをしていた。


 「紡実ちゃん、おはよう!」


 振り向いたその声は、まぎれもなく——わかなの声だった。けれど、そこには誰もいません。


 イベントが終わり、文集の即売会が始まる、まずまずの売れ行きだった。

 文集を買ってくれた人の中に何故か気になる女性がいた。

 そう、どこかで会ったことがあるような……

 髪に少し白髪が混じっていて、品の良さそうな女性。

 紡実が見ていると、女性は、少し驚いたように、文集を手に取り、懐かしそうに、何度もうなずきながら文集を読んでいました。

 文集を読み終わった女性は、文集を2冊買ってくれました。


「ありがとうございます。どうして2冊?」


 思い切って紡実が尋ねると、


「愛読用と保存用。」


 嬉しそうに笑う女性にわかなの面影が重なりました。


 楽しい文化祭が終わり、あとかたずけをしていると、売れ残った一番下の文集に、一枚の手紙が挟まれていた。


 ——手紙——

 紡実ちゃんへ


 私、あの子たちのことを書いていた時、交通事故に遭って、そのままにしてしまったの。

 あの子たちのこと、素敵な物語に仕立ててくれてありがとう。

 ほんわかした私の子どもたちが、あんな冒険をするとは思ってもみませんでした。


 あなたが紡いでくれた言葉が、森の時間を癒してくれたんだね。


 これからも、私の子どもたちと遊んでね。きっと、また新しい物語が生まれるから。


 それでは、また会える日まで。


 秋本 わかな より


 ページをそっと閉じると、紡実は微笑んだ。

 風がひとひら吹き抜けて、教室の窓から小さな落ち葉が舞い込んできた。


 まるで、森の住人たちがそっと見送ってくれているかのように。


 ——物語は、終わらない。

 ——物語は、また続く。


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書きかけの物語 青月 日日 @aotuki_hibi

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