第10話

「おまえは、だれだ?」


 その問いに直ぐ言葉を返せなかったのは、見惚れていたから。

 そして、状況が余りにも飲み込めなかったからだ。


 ここは『傀儡の奈落』の中で見つけた『深淵ダンジョン』。

 さらにその中腹である四十六階層だ。

 まさか人の言葉を操る存在と出くわすだなんて、思ってもみなかった。


 しかしいつまでも呆けている訳にはいかない。

 分からない状況なら考えろ。

 考えても理解できないなら推測しろ。


 現状で俺が行うべき最善の行動は何か。


 ――それは。


「は、初めまして。はグリム・イーター。しがない冒険者です」


 下手したてに出る事だった。


 理由は彼女の背中に生えた美しい大きな羽と、頭上で輝く天輪。

 間違いない――目の前の少女は『天使族』だ。


 天使族とは、この世界に存在する七つの『禁断種族』が一種。

 『鬼』『龍人』『エルフ』『サキュバス』『獣人』。

 そして『悪食』と『天使』。

 上記の七種類が禁断種族と呼ばれている。


 なぜなら、その七種すべてが、危険な存在として警戒されているからだ。


 分かりやすいところで言えば『悪食』。ステータス自体は人間種と相違ないが、人を喰らう(かもしれない)という特性を持つ。


 一方で、人間種ではなくとも禁断種族に含まれない種族としては『ドワーフ』や『亜人』なんかが有名だ。両者ともに人間と共存共栄している。


 閑話休題。


 問題なのは、目の前の女――『天使族』が人知を超越したステータスを有しているということだ。レベルが高いのはもちろん、一つ一つのステータスも人間のそれとは比較にならない。


 ましてや、深淵ダンジョンの中腹に現れた彼女など、間違いなく俺より格上だ。


 それだけならまだ話し合いで交流することも出来ると思えるが、一番問題なのは、天使が他者に興味を持たないと言う点にある。


 より正確に言うと、執着しないと言い換えた方がいいか。

 要は、自分勝手なのだ。


 自分の自由を阻害する者が許せず――例えば道を歩いていたとして、前に何者かが立ちはだかれば天使は容赦なく蹂躙する。男も女も、赤子も老人も、家族も同族も関係なく。


 ある天使は、遠回りするのが面倒という理由で人間の町を滅ぼした、なんて逸話も残っている。


 だからこそ――俺は下手に出るほかない。

 目の前の天使の機嫌を損ねた場合、殺されてしまうかもしれないから。


 もしかすれば言葉で言いくるめられる存在かもしれないが、対話せずに判断することはできない。


「グリム……ぼうけんしゃ? あぁ……冒険者か」

「はい。良ければ、貴女のお名前を伺っても?」

「……わたしは……私、は……たしか、えっと、えっと……そう。エラルカ? うん、エラルカだ。エラルカ・フォーテリア」


 何度か確認するように口の中で呟きつつ答える天使。

 その姿からは人知を超えた天使というより、どこか人間味を感じるが――彼女が向ける空色の瞳からは何の感情も伺えない。


 隠しているのか、それともこんな状況においても他者に興味を持てないのか。


「エラルカさん、とお呼びしても?」

「構わない。それでグリム。お前は……人間? いや、悪食か?」

「そうですが……どうかされましたか? あぁ、ご安心ください、私は人を喰らうようなことはしませんので」


 警戒させないために嘘を吐く。


 本当は食べてみたい。人どころか目の前の貴女も喰らってみたい。

 天使ってどんな味がするのか非常に興味があるから。


 できれば調理して食べたい。

 羽とか、手羽先にしたら美味そうだ。

 あとは頭の天輪もどんな味がするのか気になる。


 しかし勝てない現状で敵意を向けていると思われたくはないのも事実だ。


 そう思っての言葉だったのだが――。


 眼前のエラルカは「そうか」と呟き、顔を伏せた。


「どうかされたのですか? 何か困りごとがあれば、相談に乗りますよ?」


 問いかけると、エラルカは感情のこもっていない瞳で俺をまっすぐに見つめて、口を開く。


「困りごと、か。正直に言えばある。困り続けていると言ってもいい。私はずっと、ずっとずっとずっとずっと、この薄暗い『迷宮』の中で独り、困り続けているんだ」

「というと?」

「私は、死にたい」

「……ほう」


 なら死ねば?

 と思ったが口には出さない。

 何が地雷となって襲われるか分かったものではないから。


「もう、何年前になるのか。――もしかすれば何百年と経過しているかもしれない。私はある日、人間どもに騙されてこの迷宮に連れてこられた。当初は、直ぐに出られると思っていたが――私は、今もこの場所にいる」

「な、なるほど」

「もう、頭がおかしくなりそうなんだ。一人で、代わり映えのない世界を見続けるのは。だから、私は死にたい。もう終わらせたいんだ」

「で、でしたら自死を選んでは?」


 提案してみるが、エラルカは首を横に振る。


「無理だ。モンスターでは私を殺せない。天使は魔力がある限り食事も必要としないし、自分の魔法程度で私が死ぬこともない」

「それはまた……軟弱な悪食としては羨ましい限りですね」


 ここでヨイショを一つまみ。

 反応を伺う。

 結果はスルー。


 仕方がないので思考を切り替えつつ、彼女の言葉から本心を探る。


(まぁ、死にたいことが望みで、俺が人を喰わない悪食と聞いて落ち込んだという事は――つまりはそういう事なのだろうけど)


「要は、エラルカさんは俺に喰い殺されたかった、と?」

「そうだ」


 俺の問いかけに、彼女は特に気負いすることもなく、それどころか何でもない事のように首肯を返して見せた。

 エラルカは続ける。


「私は死にたい。だが、生半可な攻撃や飢餓では死ぬことができない。だからこそ、悪食に――なんでも喰うことができる悪食なら、その胃袋の中で私の天命が尽き果てることもできると、そう考えたんだ」

「……」


 天使の言葉は俺の想像通りの展開に導かれ――、彼女はこの世に絶望した瞳で俺を見つめ、懇願した。


「だから、頼む。私を――喰い殺してはくれないか?」


 と。

 だからこそ俺は一切戸惑うことなく、また躊躇することもなく。紳士として優しき一人の悪食として、彼女の願いを聞き入れよう。


「そう言う事なら先に言ってくれよ~! 警戒されるのが嫌で嘘吐いちゃっただろ~?」

「……!?」

「実は天使がどんな味するのかってのにも興味があったんだ! けどさ、天使ってステータスが高いだろ? どうやって殺して喰おうかな~って考えてたところに、まさかまさかの自分から食材になるときた! なんて運がいいことか! これも、日ごろの行いの結果かな?」

「ぐ、グリム、お前……さっきまでとは全然……」

「だから、エラルカが怖くて猫被ってたんだよ。けど、その必要もなくなった訳だ」


 へらへら笑いながら、俺はエラルカへと――いや、天使という食材へと歩み寄る。天使の瞳は僅かに見開かれるが、そこに恐怖や怯えといった感情は伺えない。

 ただただ純粋に、驚いたというだけ。


 やがて俺は天使の目と鼻の先までやってくる。

 そこは螺旋階段の中央。


 周囲には滝が流れ落ち、天井には巨大な魔光石がキラキラと輝き、天使の姿をより幻想的に演出していた。


 美しい髪に、整った顔。

 形の良い乳房にくびれた腰つき。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、シミ一つない完璧な肉体を前に……思わず喉が鳴る。

 当然、食欲的な意味で。


「んじゃ、とりあえず喰いやすそうな指から貰うとするか」


 俺は彼女の左手を優しく取ると――大きく口を開けて、その柔肌に牙を突き立てるのだった。

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