第9話
薄暗い洞窟の中に広がる巨大な湖。
ちらりを中を覗いてみると、水深はだんだん深くなるという訳でなく、まるで大穴の中に水が溜まったような、奇妙な形をしていた。
水は澄んでとても綺麗に見えるが、綺麗な花には棘があると言わんばかりに、見たくもない巨大な水棲モンスターの蠢く姿が覗いて見えた。
(こ、こえぇ……)
震えそうになりながらも、俺は手で水を掬ってごくごく。
久し振りに飲んだ水は……。
「うっまぁ~」
思わず感嘆の息を漏らしてしまう程度には美味しかった。
が――次の瞬間、湖の奥でモンスターの影が揺らめく。
嫌な予感を察知した俺は即座に距離を取り、状況を観察。
すると、水面にモンスターの鼻先が僅かに浮かんでくるのが見えた。
音もなく、波を立てることもなく――巨大な水棲モンスターが俺を襲おうと近付いてきたのだ。
(……うん、泣きそう)
静かなのが余計に怖い。
いっそのこと、ばっしゃ~ん! ぎゃおおおん! といった具合に、派手に登場してくれればいいのに。
とほほ、と半ベソをかいていると、少し離れた陸地に一匹のモンスターを発見。
真っ白な身体に一本の角を持つ馬は……間違いない、ユニコーンだ。
非常に気性が荒く、特に女性冒険者を襲うことで有名なモンスター。
ユニコーンとは対照的にバイコーンという、黒い身体に二本の角を有するモンスターもいるが、こちらは穏やかな性格で、女性冒険者に懐く傾向がある。
そんなユニコーンが、てくてくと水面に近付いて先程の俺と同様に水をゴクゴクと飲み始める。
とても美味しそう。
なんて観察していた次の瞬間――水面から飛び出してきたのは巨大な
『水龍』と呼ばれるセブルス近海にも生息している凶悪なモンスターだ。
水龍は大きな口を開くと、驚いて硬直するユニコーンをぱくりと一口。
口の端から脚や尻尾を覗かせつつも、そのまま有無を言わせず湖の中に引きずり込んでしまった。
「……」
だから怖いって。
せっかく水辺を見つけたというのに、ゆっくり休むことも出来ないとは。
悲しきかな、しかしこれが今の現実だった。
§
幸い、次の階層へ続く階段は陸地で発見できたので、俺は色々と怖い四十五階層に別れを告げて、四十六階層へと向かう。
これで次の階層への階段が水龍の潜む湖の底だったら泣いていた。
しばらく上の階層でレベリングを行ってから突撃していただろう。
(まぁ、現状でも安全マージンはかなり取ってるんだが)
基本的にダンジョンの階層を攻略するには、その階層と同じレベルでないと話にならないと言われている。十階層ならレベル10。三十階層ならレベル30。
現在地は四十五階層で、俺のレベルは61。
本来なら余裕のはずだが……はっきり言って水龍には勝てる未来が見えなかった。
強さもそうだが、水棲生物という点が難題だ。
陸地に来ないという事は、こちらから潜る必要があり――水中での戦闘なら当然向こうに分があるからだ。
何はともあれ、戦わないのならそんな心配も杞憂に終わる。
俺は思考を切り替えて四十六階層へと足を進める。
(にしてもこの階段、他のと比べて作りが雑だな)
なんて思っていると四十六階層に到着し――思わず息を飲んだ。
そこには、これまた奇妙な光景が広がっていたからだ。
一言で表すとするなら――
眼前には一本の細長い道が続いているのだが、向かって右側に壁はなく、代わりにものすごい勢いで水が流れ落ちている。
水の勢いが凄すぎて、滝の向こうは伺えない。
空洞になっているのか、それとも水で満たされているのか。
分からない現状が、一層不安を煽る。
脳裏を過るのは先ほどの水龍。
あれと同じモンスターが、もしかしたら滝の向こうからこちらを伺っているかもしれない。そうでなくても、別のモンスターが突如として襲い掛かってくるかもしれない。
(ふえぇ……怖いよぉ)
びくびくしながらも、俺は歩を進めることにした。
一本道は右へと緩やかな弧を描くように続いており、滝を中心に一回転するような構造になっていた。加えて、僅かに下り坂なことを合わせると、大きな螺旋階段の様な形になっていると推察できる。
なぜこうも不気味な階層ばかり続くのか。
胸中で溜息を溢しながら、先へと進む。
途中、何度かモンスターに襲われるも、滝の方向へ蹴り飛ばすことで、戦闘らしい戦闘をすることもなく、俺は最下層に辿り着いた。
するとそこには――。
「なんだこれ」
てっきり階層移動の階段があるのかと思ったが、そこにあったのは巨大な扉だった。
両開きの大きな扉は、高さ五メートル近い。
ふんすっと押してみるが、動く気配はない。
扉にはそれぞれ宝玉が一つずつ埋め込まれており、触れてみると――若干だが魔力を持っていかれた。
「これは……魔道具の類か?」
試しにこちらから魔力を流し込んでみると、宝玉が淡く光る。
それを確認してから扉を押してみるが、うんともすんとも言わない。
おそらく、両方に魔力を流す必要があるのだろう。
ならばと、左の魔石に魔力を込めた後、すぐに右の魔石に魔力を注入してみる。
しかし扉は開かない。
もしや、同時に魔力を流さないとダメなのか?
俺は左手を左の宝玉に当て、右手をもう片方へと伸ばし――届かない。
「ふんぬ~!」
精一杯伸ばしてみるが、やはり届かない。
「どうしたものか……」
しばらく扉の前で試行錯誤した結果――。
「きた! きたきたきた! このポーズだと届く!」
左の魔石に両手を付き、右の魔石には足のつま先を引っかける。
間抜け極まるポージングであるが、届いて魔力が流せればそれでいい。
俺は両手とつま先からそれぞれ魔力を流し――えいっ、と体当たりするように扉を押してみる。すると――。
「何で開かないんだよ! ここは開くところだろ!?」
ピクリとも動かない扉に苛立ち、いっそのこと扉にはめ込まれた魔石を引き抜いてやろうかと後ろに引っ張ると――ズズズッと重い扉が動く。
……このドア、引いて開けるのかよ。
そりゃ分からんって。
小さくため息を零しながら、俺は一度下ろしていた荷物を再度背負い、両方の扉をゆっくりと開く。すると、そこは次の階層の四十七階層――ではなく、一つの大きな部屋だった。
明らかに人工的にデザインされたような部屋の内装。
しかし、そのどれもがただ岩を削って作られたものばかりだ。
警戒を強め、室内に足を踏み入れることなく外から観察していると――、部屋の中央に空の玉座のようなものを発見した。
「……はぁ。一体何だってんだ?」
面倒事はごめんなんだが、と溜息を吐いた――まさにその瞬間。
背後から轟音が鳴り響く。
慌てて振り返ると、流れていた滝が割れており、螺旋階段の中央に開いた大きな空洞が覗いて見えた。どうやらこの空洞を覆い隠すように滝は流れていたらしい。
空洞には石畳が敷かれ、その中心部に――裸の女が一人、降り立っていた。
何故、
神々しさすら感じる銀色と、快晴の空を切り取ったような青が混じった長く美しい髪に、白い雲のような美しい羽根。頭上には『天輪』と呼ばれる輪が浮かんでおり、神が作り出した最高傑作と言っても過言ではない容貌は――俺の目を奪って離さない。
「……っ」
呼吸をするのも忘れる俺を、天使の空色の瞳が射貫く。
そして――。
「……ぁ、……ぁ……お、まえ……は。……だれだ?」
掠れるような声が耳朶を打った。
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