第6話 ドキドキ

「……う、わ……っ」


意識が戻った瞬間、悠真は荒く息をついていた。

冷たい床。鉄の匂い。スマホは遠くに落ちていた。


「……あれ……俺……」


がらんとした旧校舎の階段下。

さっきまで感じていた“気配”は、まるで何もなかったかのように消えていた。


**


屋敷へ戻ると、蓮は玄関の近くまで出てきていた。

顔は真っ青で、手がずっと震えている。


「おい、蓮……大丈夫か?」


「お、お前の方がだろ! なに平然と帰ってきてんの! 画面、真っ暗になって──っ!」


悠真の胸ぐらを掴んで訴える蓮。

その手はかすかに震え、そして……透けかけていた。


「……蓮、今、手……」


「ああ、分かってる。なんか最近、おかしい。俺、たまに消えかける」


そう言った蓮の瞳に、一瞬、“不安”とは別のものが宿る。


恐怖──それも、幽霊のそれではない、“生きている者”のような。


**


その夜、悠真は夢を見た。


──静かな教室。

──制服姿の二人。

──「お前が好きだよ」と笑う、知らない男子生徒。


「透真……?」


そう口にした瞬間、夢の中で“もう一人の自分”が答えた。


「蓮……俺も、お前が──」


そこで目が覚めた。

額に冷や汗。胸の奥が苦しくて、呼吸が整わない。


(なんだ、あの夢……俺、あんな奴、知らないはずなのに……)


寝室の隅。

その夢をじっと見ていたように、蓮が小さく佇んでいた。


「……それ、俺の記憶だ」

「え?」

「俺の……じゃないかもしれない。“誰か”が、俺に見せてるだけかもしれないけど──」


蓮は、まるで“自分が自分でなくなっていく”ように、小さくつぶやいた。




「お前、また透けてる」


悠真が近づくと、蓮は少しだけ後ろに引いた。


「……いいよ、触っても意味ないし。どうせ幽霊だし」


「でも──俺には、触れるかもしれない」


悠真がゆっくり手を伸ばす。

指先が、蓮の頬に触れた瞬間──ふわりと、体温のようなものが感じられた。


「……え」


「な?」


蓮が驚いたように目を見開き、そしてぎこちなく笑う。


「……なんでだろ。悠真だけ、ちゃんと触れる」


その言葉が、ひどく愛しく感じた。

だから悠真は、蓮をそっと抱きしめた。


「……消えるなよ」


「……がんばる。……でも、今だけ、こうしてていい?」


「好きにしろ」


蓮の腕が、悠真の背中にまわされた。

しっかり、確かに、そこに在るぬくもりだった。



蓮が抱きしめ返してくる腕は、驚くほどちゃんとそこにあった。

透けてるくせに、こんなに温かいって、どういうことなんだよ。




「……悠真」

蓮が、小さく名を呼ぶ。




「ん?」




「……俺、怖かった。……お前が、いなくなるかと思って」


その言葉に、胸の奥がズキッとした。




「大丈夫だ。俺はお前を置いてったりしないよ」




顔を上げた蓮と、視線が合う。

距離が……近い。ほんの指先ひとつぶん。


──意識しないわけがなかった。


蓮のまつ毛がふるえて、唇が、ほんのわずか動いた。


悠真がそっと顔を近づけた、そのとき──




「にゃあああああああああああ!!!!!」




屋敷のどこかで、突然、爆音のような猫の鳴き声。

そして──物が倒れる音、ドンッ!!!


「……猫……?」


「マジかよ……っ!」


二人の顔が、一気に赤くなる。


気まずい沈黙。

蓮は、ぷいっとそっぽを向いた。




「……あんたの猫のせい。知らんし」




「いや俺、猫飼ってないけど?」




「……ちが……マジで!? 誰の猫!?」


“見えない何か”がまだ屋敷に潜んでいる気配。

でも──それ以上に、さっき交わりかけた想いの方が、今はずっと気まずくて、熱い。


**


その夜、二人とも眠れなかった。


それぞれの部屋で、同じことを考えながら。




(あそこでキスしてたら……どうなってたんだろ)

(……なんで、顔が熱いんだよ……)


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