#16 大罪"暴食"の悪魔

 だが、思いもよらぬ事が起きた。


 さっきまで、僕の方に向けられた剣が、忽然と消えてしまったのだ。


 いや、正確には見えなくなった。


「ああああああ!!!」


 赤い騎士が悶えながら跪いた。


 腕の付け根からの出血が酷かった。


 他の兵士が「た、隊長!」「大丈夫ですか?!」と駆け寄る。


 赤い騎士は、残った手で傷口塞ぎながら「は、早くこいつを連れていけ」と命じていた。


 その直後、また不思議な事が起こった。


 風も吹いていないのに燃え盛っていた炎は消え、壊れた建物や砂塵、その他破損があるものが、一瞬で無くなったのだ。


 これは一体どういう事だ。


 この不可思議な現象に戸惑っていた時。


「ねぇ、ちょっと聞きたい事があるんだけどさ」


 聞いた事がある声が耳に入った。


 赤い騎士の背後に、ブラウニーがいた。


 だが、僕が屋台で会った時と表情が変わっていた。


 瞳の色が真紅に染まっていた。


 彼女が現れた途端、赤い騎士も他の兵士も震えていた。


「お、お前は……」

「た、大罪?!」


 え? 今、なんて言った?


 大罪? 大罪って、言わなかった?


「お前は、魔王の部下の中で最高クラスの戦力を誇る"大罪"のうちの一人、"暴食"のブラウニー……まさかこの都に来ているとな。驚いた」


 赤い騎士がご丁寧に説明してくれたけど、まさかブラウニーが大罪だとは。


 つまり、彼女は僕が生前の世界にいた実在する悪魔。七つの大罪のうちの一つである暴食の。


 そうなら、あんなにたくさん食べていたのも納得できる。


「聞こえなかったかな?」


 ブラウニーが赤い騎士の首を掴んだ。


 騎士は抵抗も虚しく、両足が地から離れた。


「どこかの馬鹿がさ、私が楽しくお食事していた時に、爆撃しやがって、お店がメチャクチャになったんだよね……」


 ブラウニーの話し方や口調はいつもと変わらなかったが、何だろう。とても殺気を感じる。


「どうしてくれるんだよ! なぁ?!」


 僕が見た限り、初めて怒鳴った。


 と、同時に彼女の背中から真っ黒な翼が生えてきた。


 空が曇り出した。


 ただの曇ではなく、闇のように真っ黒で昼だったはずの世界が、一瞬で夜に変わった。


「……で、誰がやったのかな?」


 声が戻ってきた。


 だが、彼女が力を強めているのだろう、赤い騎士がより一層苦しみの声をあげた。


「そこにボゥと突っ立ってる兵士ザコも何か答えろよ!」


 またブラウニーが声を荒げた。


 まさか僕に――いや、兵士の方に顔を向けているから、違うな。


 兵士達は今のに「ひっ!」と完全に怯えている様子だった。


 そして、しどろもどろになりながら、

「た、隊長のご命令で……」

 と、赤い騎士の方を指差した。


 ブラウニーの目付きが赤い騎士の方に向けられる。


 背中から生えた翼はドンドン黒く、不気味に輝いていった。


「やっぱりテメェか。魔王の奥さんを取り逃がしたくらいで、街破壊するとか、どういう神経しているのかな?」


 口調は穏やかに戻ったが、それもまた怖い。


 これが大罪の力か。


 僕は脚が震えて、言葉も出なくなってしまった。


 だが、突然赤い騎士が笑い出した。


「何がおかしい?」


 ブラウニーの赤い瞳が光る。


「悪魔が呑気に人間の食べ物を喰うとは……それを食べれなくなったから怒るなんて、まるで人間みたいじゃないか。滑稽だな」


 わぁ、なんて事を言ってくれたんだ。


 今の言い方だと、完全に彼女の特性を否定しているよね。


「お前らは私が滅ぼす! 絶対に必ず!」


 あぁ、そんな悪魔に勝利宣言をしても。


 ブラウニーが無表情のまま固まっている。


 これはかなりブチ切れていると考えられる。


「ふーん、そっか」


 ブラウニーの口から最初に出た言葉は以外に素っ気なかった。


「じゃあ、今すぐお前の心臓を食べる。だけど、すぐには死なせない。心臓を失ったまま爪、目玉、髪の毛、あらゆる部位をゆっくり味わってやる。もちろん、痛覚は生きたまま」


 彼女の瞳が爛々とした光から、機械のように冷酷な眼差しへと変わっていた。


 どうしよう。このままだと残酷な展開になってしまう。


 落ち着け、僕。考えるんだ。


 うーん……そうだ!


 僕はリュックから本と杖を取り出し、食べ物の絵を描いた。


 出したのは、パンケーキ――じゃなかったポムポム。


 屋台通りとは行かないが、何もないよりはマシだ。


「あの、ブラウニーさん!」


 思い切って声をかける。


 すると、「あ?」と彼女が怖い顔のまま僕に向けてきた。


 背筋がゾクッとしたが、大きく深呼吸してから、


「これ食べてください!」

 と、ポムポムを差し出した。


 すると、彼女の赤い瞳が大きくなった。


 ここで、さらに畳み掛けよう。


「あの、ブラウニーさん。僕は悪魔でも、人間の食べ物をいっぱい食べているブラウニーさん、好きですよ」


 これでどうだろう。


 うまく怒りを収まってくれるといいんだけど。


 ブラウニーの反応を確認してみる。


 よし、彼女の赤い瞳が段々銀色に戻っていっている。


「ドリス〜!」


 すると、どうだろう。


 赤い騎士を放り投げたかと思えば、僕に抱きついてきたのだ。


 ムニュムニュと柔らかい感触が僕の身体に伝わってくる。


 久しぶりの温もりにゾクゾクしてしまうが、ポムポムを落とさないようにグッと片手で持っていた。


「あ、あの……早く食べてください」


 僕がそう言うと、ブラウニーは「そうだった!」と離して、それを受け取った。


「いっただきま〜す!」


 手掴みで、ふんわり柔らかそうな生地に口に入れた。


 味わうように目を閉じながら何回か咀嚼した後、カッと見開いた。


「やっぱり美味〜!」


 そう言った途端、空が一気に晴れた。


 太陽の輝きと同じくらいブラウニーの顔は晴れやかだった。


「はぁ〜! うまうま! 魔法で出てきたポムポムも悪くないね〜!」


 そう言いながら、あっという間に完食した。


「いや〜! 美味しかったよ! ありがと〜!」


 ブラウニーはさっきまでの殺気立った面影はとっくに消え、穏やかな顔をしながら僕の頭を撫でていた。


「よ、喜んでいただけて嬉しいです……」


 感謝の気持ちは受け止めておこう。


 すると、ブラウニーが「ねぇ、あと二十枚くらい焼いてもらえない?」と僕と同じ目線まで屈んでお願いしてきた。


 その時に垣間見える谷間にドキッとしたが、必死に振り払った。


「えっと、その……おかわりですか?」

「ううん、違うわ。私の友達におみやげとして渡そうかなって」


 友達? 友達いるんだ。


 でも、誰だろう。魔物か大罪のうちの誰か。


 相手が誰にせよ、作らなければ殺される。


 なので、魔法で彼女の指定した数を出して、渡した。


「ありがと〜! ドリスくん!」


 お礼を言われたかと思えば、いきなり僕の頬にブラウニーの唇があたった。


 全身が痺れてしまい、危うく気絶しそうになった。


「君は本当に最高だよ! じゃあ、またね!」


 ブラウニーは片手で二十枚重ねのポムポムを手に持ったまま消えていった。


 僕は彼女が消えていった後を見ながら、キスされた頬をなでた。


 それにしても、どうして彼女にキスされて、全身が痺れたのだろう。


 分かんないや。

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