造花の恋心に水をあげて

名月 楓

造花の恋心に水をあげて

 彼と付き合う前、私の心は空っぽだった。何にもやる気が湧かなくて、モノクロでつまらない日々。ただ生きてるだけの、怠惰な日々。そこに彼が現れてから、私の生活は一気に色づいていったように感じた。だから、彼を運命の人だと思ってしまった。人は不変的な存在ではないと、今になってようやく気づいた。もっと早く知っていれば、期待なんてしなかったのに。


************


 日曜の昼下がり、彼はソファーで横になりながらスマホをいじって、私は台所で食材に向き合っていた。

「ねぇご飯まだ〜?」

彼は呑気に一歩も動かずそう聞いてくる。

「まだもう少しかかるかなぁ」

最初は色々手伝ってくれていた彼も今や何も手伝うことはなくなってしまった。そもそも家事も折半だったはずなのにそれすらも守られず、ごく稀に気が向いた時だけやる程度になってしまった。いつからこうなってしまったのだろうか。なぜこうなってしまったのだろうか。……いや、きっと最初から何も変わっていないのだと思う。むしろ変わったのは私だろう。最初は運命だのなんだので舞い上がって見落としていた部分が、冷静になって目につくようになってしまっただけなのだろう。小気味良く響く包丁の音は、かつては舞踏曲だったのに今や哀歌となってしまった。

「お待たせ、できたよ」

「ん」

ありがとう、の一言もなく、彼は椅子に座って食べ始める。昔からこうだったのかな。こうだったのかも。寂しさで目元を濡らさないように、絶え間なく胃にご飯を詰めてゆく。

まだ結婚していない、付き合っていたころ、彼とは良く外食に行って、決して高いとこじゃなかったけど、一緒に食べるご飯は美味しかったし、その二人の時間は幸せだった。二つのもので悩んでたら片方を頼んで分けてくれるところが好きだった。ご飯を食べながら合間合間でゆっくりする会話のキャッチボールが好きだった。早く食べ終わっても、ゆっくりでいいよ、と言って待ってくれるのが好きだった。今、彼はスマホをいじりながらご飯を食べ、早々に食べ終わると食器を片付けずにソファーで横になって昼寝を始めてしまった。今日の味付けは少ししょっぱいかもしれない。


 もう過去には戻れない。そして彼が今から過去の彼に戻ることもないだろう。だから私は、決断をするしかなかった。

たとえその選択が間違いでも。


「ダンボールに荷物なんて詰めてどうしたの?」

彼は呑気にこちらを見ている。

「断捨離、みたいな?」

「ふーん、服とかも?」

「うん、そうだよ」

「頑張ってねぇ」

手伝おうか?の一言もないことを寂しく思いつつも、その思いすらも振り払ってダンボールを満たしていく。もう決めたんだ。だから絶対に振り返らない。


 彼が仕事に出た平日、彼に内緒で有給を取って、ダンボールを運び出す。私の中の決意は、かつてないほど固かった。最後のダンボールを車の荷台に詰める。これでもう、最後だ。今まで幸せだった。苦しかった。ぐちゃぐちゃな感情を、最後に整え、小さく口に出す。

「さようなら、今までの私」





************


「ただいまぁ、あれ、ダンボール無くなってる」

「それに電気もついてないし、なんだろ」

彼はリビングに入り電気をつける。

「うわっ、びっくりしたぁ、なんでリビングで電気消して寝てるんだよ」

「ん、おかえり、早めに帰ってきたら眠くなっちゃってさ」

「ふーん、まいいや、ご飯できてる?」

「うん、作ってあるよ、いまよそるね」


さようなら、今までの私。

おはよう、これからの私。



 アンティーク調のオルゴール、カシミヤで編まれたマフラー、ちょっとした宝石のついたネックレス。リサイクルショップの店員はきっとそのラインナップを見て、彼氏と別れたな、と思ったことだろう。でも、私は決めたんだ。今までの思い出を全部忘れて、捨てて、今ある幸せを噛み締めるんだ、って。そうして、造花の恋心に、水をあげるんだ。

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造花の恋心に水をあげて 名月 楓 @natuki-kaede

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