第6話 緑のオアシス!水と知恵の交流

黄色とオレンジ色一色だった砂漠の景色の中に、鮮やかな緑が現れた時、隼人は思わず感嘆の声を上げた。ケプリも安堵したような表情で、ラクダを促す。


近づくにつれて、緑は濃くなり、ヤシの木らしき背の高い木々が見えてきた。鳥のさえずりも聞こえる。そして、乾ききった喉が、湿り気のある空気を感じ取った。


「すごい…これが、オアシス…!」


教科書や写真でしか見たことのなかった光景が、今、目の前に広がっている。砂漠の真ん中に突如現れた、命の輝きだ。


ラクダを降りると、地面は硬い砂地になり、草や灌木が生えている。少し歩くと、木々に囲まれた場所に、透き通った水を湛えた大きな水場があった。まさに「緑の楽園」だ。


水場では、何人かの人々が水を汲んだり、洗濯をしたりしている。彼らの服装はセネト村の人々と似ているが、もう少し布の色が豊かで、装飾品も多いように見える。旅人らしき姿も見えた。


ケプリが彼らに話しかけると、人々は最初は少し警戒した様子だったが、ケプリの言葉に頷き、歓迎の意を示してくれた。隼人の奇妙な身なりにも、セネト村ほど露骨な反応はなかった。ここは、旅人が行き交う場所なのだろう。


水場のそばでラクダに水を飲ませ、二人は顔や服についた砂を洗い流した。冷たくて清らかな水の感触が、全身の疲れを癒やしてくれる。


「うっっま!やっぱ水はこれだよこれ!」


日本の水道水やミネラルウォーターとは違う、自然そのままの水の味だったが、砂漠で渇ききっていた体には、何よりの恵みだった。


オアシスの人々は、二人を村…いや、集落の中心へと案内してくれた。そこには、セネト村よりも少しだけ大きく、しっかりとした造りの家屋が並んでいる。いくつかの露店も出ていて、活気がある。


「ハヤト、アソコ、タベモノ」


ケプリが指差す先には、見たこともない果物や、焼かれた肉などが売られていた。


「おお!美味そう!」


二人は露店で食料を買い、その場で食べた。砂漠を旅して初めて食べる、温かい、そして豊かな味の食事だった。


食事を終え、休息していると、一人の老人が近づいてきた。彼は他の人々と違い、白い布を全身に巻きつけ、杖をついている。その目は鋭く、このオアシスの長老か、責任者のような雰囲気だ。


ケプリが老人に丁寧に挨拶し、隼人のことを説明した。老人は隼人をじっと見つめ、何か言葉を発した。その言葉の中には「セネト」や「アメン」といった隼人も知っている単語が含まれていた。どうやら、アメン老人から連絡が来ていたか、このオアシスの人々がセネト村と交流があるのだろう。


老人は「ソベク」と名乗った。ケプリが隼人に「ソベク様」だと教えてくれた。


ソベク様は隼人を家へと招き入れ、改めて話を聞いた。ケプリが懸命に通訳してくれたが、隼人の複雑な話(実験の爆発、異世界、科学)を完璧に伝えるのは難しい。それでも、セネト村で魔物を退けたこと、そして外の世界について知りたいと思っていることは伝わったようだ。


ソベク様は、このオアシスの水場について、少し困っている様子を見せた。水は豊富だが、時々、水が濁ることがあり、それを飲んだ者が腹を壊すことがあるという。神々が怒っているのかもしれない、と彼は言った。


(水が濁る?腹を壊す?それ、絶対病原菌だろ!)


隼人はピンときた。セネト村でも危惧していた衛生の問題だ。このオアシスの水は、一見きれいに見えても、目に見えない微生物が原因で病気を引き起こしている可能性がある。


「ソベク様…あの水…汚い…(ジェスチャーで)病気…になる…(ジェスチャーで)」


隼人は、地面に水場と人間の絵を描き、その人間の絵が腹痛で苦しんでいる様子を描いた。そして、水場に目に見えない小さな点の絵を描き加えた。


ソベク様や周囲で話を聞いていたオアシスの人々は、不思議そうな顔をした。目に見えない汚れなど、彼らの概念にはないのだろう。


隼人は、アメン老人にやったのと同じように、水を熱く煮沸するジェスチャーをした。そして、熱した水は「キレイ!病気にならない!」と身振り手振りで強調した。


彼らは半信半疑だ。せっかくの冷たい水を熱くするなんて、という反応だ。しかし、隼人は諦めない。


オアシスにある金属製の容器と、焚き火を使わせてもらい、水場の水を汲んできて、実際に煮沸してみせた。


グツグツと沸騰する水を見て、ソベク様をはじめ、オアシスの人々は驚いた顔をした。湯気が立ち上り、今まで飲んでいた水とは違うものに見えるのだろう。


隼人は、ジェスチャーで「この水、大丈夫」と示し、冷ました水をソベク様に差し出した。


ソベク様はためらいながらも、その水を一口飲んでみた。そして、もう一口。彼の表情が変わった。


「…これは…清らかだ…神聖な水のようだ…」


ケプリが通訳してくれた。ソベク様は、煮沸した水が、いつも飲んでいる水よりも美味しく、澄んでいると感じたらしい。


隼人は興奮して、目に見えない小さな生き物のこと、熱すればそれが死ぬこと、だから病気にならないことを、拙い言葉とジェスチャー、そして絵で一生懸命説明した。


全ては伝わらなくても、「目に見えない何か」が水を汚し、それを熱することで「キレイ」になる、という大まかな概念は伝わったようだ。


ソベク様は深く考え込んだ後、オアシスのみんなに隼人の知恵を試すように指示を出した。最初は抵抗があった人々も、ソベク様の言葉と、ケプリがセネト村での隼人の活躍を話したことで(おそらく脚色も交えつつ)、少しずつ煮沸した水を試すようになった。


数日後、オアシスでは腹を壊す者が減った、という報告が上がった。


ソベク様は、隼人の「知恵」が神の御業や魔法とは違う、しかし確かに奇跡のような力だと確信したようだ。


「ハヤトよ…お前は…本当に賢者だ…」


ソベク様は隼人に深く感謝し、オアシスに滞在している間、最高の待遇でもてなしてくれた。美味しい食事、快適な寝床、そして、この世界の様々な情報を教えてくれた。


オアシスは、砂漠を行き交う旅人たちの情報集積地でもあった。ケプリが熱心に耳を傾け、隼人に伝えてくれる。


例の巨大な魔物は、セネト村だけでなく、他の場所でも目撃されていること。特に「東の方」から現れることが多いらしいこと。


あの「大きい石」は、この世界の中心にある「ナイル」という大きな川の近くにある、最も神聖で古い場所であること。そこには「ファラオ」と呼ばれる、この世界全体の王がいること。


ナイル川沿いには、オアシスよりもずっと大きな町や都市がたくさんあること。


そして…この世界には、「魔法使い」と呼ばれる、本当に不思議な力を使う者たちがいるらしいこと。


隼人は胸が熱くなるのを感じた。この世界は自分が思っていたよりもずっと広大で、そして、謎に満ちている。魔物のこと、ピラミッドのこと、ファラオ、魔法使い…そして、もしかしたら、故郷に帰る手がかりも、この世界のどこかにあるのかもしれない。


オアシスでの滞在は、隼人の知識を広げ、次の目標を明確にしてくれた。


「ケプリ!行くぞ!」


「オウ!ハヤト様!」


オアシスでの休息と情報収集を終え、隼人とケプリは次の目的地を決めた。ナイル川だ。あの大きな川に沿って下れば、きっと大きな町や、あのピラミッドの近くまで行けるだろう。


ソベク様は、旅立つ二人に、道中の安全を祈る言葉と、いくつかの貴重な水筒、そして、川沿いの町へ行く旅人向けの簡単な地図(おそらく砂漠の地図よりは正確だろう)をくれた。


オアシスの人々に見送られ、隼人とケプリは再びラクダに跨った。


背後には、砂漠の緑の楽園。


目の前には、未知なるナイル川へと続く、新たな砂の道。


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