第10話
雨上がりの朝だった。竹林の向こうから雲が流れてきて、村の屋根をしっとりと濡らしていた。俺は鍛冶場の裏にしゃがみ込んで、炉の火を確かめていた。ちょうどいい火加減だった。炭を足しすぎると刃がもろくなるし、弱ければ鍛えが足りない。鉄は正直だ。手を抜けば、そのまま折れる。
「宗次郎、もう出来るのか?」
後ろからタエの声がした。あの戦いのあと、いつの間にか俺より背が伸びて、今じゃ村の見回り頭になっている。昔みたいに怒鳴らなくなったけど、目だけは相変わらず強かった。
「今、火がちょうどよくなったところだ」
「鍛えるの? 誰の刀?」
「弥八の分。木を伐るとき、刃こぼれが激しかったらしい」
「ほんと、村の刀鍛冶になっちゃったんだね、宗次郎」
「……父ちゃんの跡を継いだだけだよ。まだまだだ」
刀の修繕をしながら、ふと空を見た。もう十八になった。村を守ったあの戦から四年。俺の手元には、あの日交わした言葉や、斬った命の重みが今でも残っている。でも村はもう、俺ひとりが守るものじゃなくなった。木剣の訓練は日常になって、皆が剣を握れるようになった。斥候の訓練も、罠の整備も、俺がやらなくても動くようになった。
「宗次郎?」
「ん?」
「……なんだか最近、どこか見てる目してる」
「見てる?」
「うん。ここじゃない、もっと遠くのどこか」
図星だった。心が落ち着かない。刃を研いでいても、鍬の手入れをしていても、頭のどこかが風を探している。変な話だが、夜中に目が覚めることが増えた。静かな村の闇の中で、遠くのどこかにいる三人の気配を思い出す。仁蔵さん、蔵人さん、一刀斎さん。あの背中が、まだ俺の目の奥に焼きついてる。
火床から上げた鉄を、金槌で叩きながら、俺はぽつりとつぶやいた。
「タエ……最近、町から帰ってきた旅人が言ってたんだ。西の関所で、“獣みたいな老人”が山賊を一人で五人潰したって」
「……それって」
「ああ。仁蔵さん、かもしれない」
その姿が、頭から離れなかった。あの獣みたいな斬り込み方、刃をまっすぐ叩き込む姿。それに、あの人ならやりかねない。
「真相を、確かめに行くの?」
「……行こうと思ってる」
タエは少し黙ったあと、ゆっくりと肩を落とした。
「村は大丈夫だよ、宗次郎。もう“あの頃”じゃない」
「うん。俺がいなくても、守れる」
「じゃあ……行っておいでよ。三人とも、あんたにとっては“始まり”でしょ」
「……ありがとう」
行くべき時が来た。そう思った。決して村が嫌いになったわけじゃない。ただ、自分がもう少し前に進めるなら、そのためには“剣”の意味を、もう一度確かめなきゃいけない気がした。
その夜、鍛冶場の奥から父の形見の刀を取り出した。十八になった時、自分の手で刃を通したものだ。まだ名はない。けれど、俺の手にしっくりと馴染む。鞘に納めるとき、木が鳴った。心が震えた。
出発の朝、村の者たちが見送りに来てくれた。子どもたちは俺の袴を引っ張って、泣きそうな顔をしてた。若者たちは竹刀を振って、無言で頭を下げてくれた。
「宗次郎」
タエが近づいてきて、小さな包みを差し出した。
「何?」
「干し飯と薬。それと……」
包みの下から、父ちゃんの砥石が出てきた。
「これ……!」
「鍛冶場にずっと残ってたの。宗次郎が一番使ってるように見えて、実は使ってなかったから。あたし、知ってた」
「……ありがとう、タエ」
言葉に詰まった。喉の奥が熱くなる。泣きたくなかったから、振り返らずに歩き出した。背中に風が吹いていた。俺の旅が、始まった。
最初に向かったのは、南の関所だった。村から五里ほどの峠を越え、商人や旅人が行き交う小さな集落がある。そこに、噂の剣士が現れたという。関所の脇の茶屋で、旅人に話を聞いた。
「見たんだ、ほんとに。刀を鞘ごとぶん投げて、それで山賊の腕を折ったんだ。あんな爺さん、見たことねぇよ」
「どこに行ったか知ってるか?」
「たしか、西の旧街道を下ってったって……でもあの道、今じゃ廃れてて、盗賊も出るって話だぞ」
「大丈夫だ」
「いや、お前……」
「会いに行くんだ。命を懸けても」
背負った刀が、少し重く感じた。でも心は軽かった。迷いはなかった。俺は、もう一度あの人たちに会いたい。あの背中を、もう一度この目で見たい。
旧街道は草が伸び、道もぬかるんでいた。けれど、ところどころに足跡が残っている。重く、深い踏み跡。まるで地面を踏み割るような歩き方。それだけで、俺は確信した。
「……仁蔵さんだ」
進むごとに、道端に倒れた盗賊の痕跡が見えてきた。斬られたあと、骨が砕けた跡、地面に打ちつけられた跡、全部があの人の剣を物語っていた。
そして、その先。大きな倒木を回り込んだところに、小さな小屋があった。入口に鍋が吊るされ、湯気が立っていた。
「そこにいるのは誰だ!」
中から怒鳴り声。聞き覚えのある、がなり声。俺の胸が高鳴った。
「宗次郎です!」
しばらく沈黙のあと、バサリと戸が開いて、あの男が出てきた。
「……なんだ、ガキが育ちすぎててわかんねぇじゃねぇか」
「仁蔵さん!」
「ったく、どの面下げて来たんだよ。覚悟できてんだろうな?」
「もちろんです」
「なら、まずは一発……殴らせろ!」
「へっ?」
「久しぶりの挨拶ってのはな、拳のぶつけ合いからだろうが!」
そう言って笑ったその顔が、変わってなくて、嬉しくて、俺も笑った。拳を握った。ぶつけた。仁蔵さんの拳は、まだあの頃と同じだった。俺の旅が、ここから本格的に始まった気がした。
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