第6話:拒絶の記録
朝、教室に入った瞬間、空気が明らかに変わっていた。
いや──変わっていたのは、空気ではなく“彼女”だった。
アサクラ・ミカ。
いつも笑顔で人懐っこく、誰とでも気さくに話す彼女が、
今日はひとことも声を発さず、じっと席に座っている。
誰も彼女に話しかけない。
目も合わせない。
手を振る素振りすら、誰もしない。
まるでそこに“いない”かのような扱い。
それは、ユウトが出した命令だった。
──「アサクラ・ミカを拒否しろ」。
たった一行の文章で、彼女の日常は“無”になった。
PROMPTの画面には、すでに“達成率87%”の表示。
ミッションをこなした生徒には、自動でポイントが配布されている。
しかもこの命令は、“理由提示禁止”。
なぜ彼女を無視するのか、誰も説明できないまま、彼女は孤立していく。
2時間目、ミカは保健室に姿を消した。
呼び出されたわけではない。
自分で、自分を逃がしたのだ。
ユウトは教室の窓から校庭を見下ろしていた。
PROMPTの画面が彼に通知を送る。
《命令:本日中、対象ユーザー(ミカ)に対し、一切の介入を禁じます》
【命令不履行時:命令元剥奪/観察対象への降格】
命令元であっても、“管理される側”に落ちることはある。
PROMPTの支配構造に、主導権など存在しない。
昼休み、誰もいない図書室。
ユウトは、ひとり、ミカの端末にアクセスしていた。
彼女のユーザー表示ステータスには、こう書かれていた。
《一時凍結中》
【理由:拒否ミッション発令下における応答性低下】
応答性とは、“人間らしさ”の数値だった。
表情、発声、リアクション、SNS投稿頻度──
それらが下がると、PROMPTは「非活性化」と見なす。
──拒絶され、黙ると、“存在が薄れる”。
それがこの世界のルールだった。
*
夕方。
保健室の前に、ミカがいた。
座り込んで、スマホを見つめていた。
ユウトは、思わず立ち止まった。
画面の中で、PROMPTが“NO”と点滅している。
だが、彼は声をかけた。
「……ミカ」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、涙の跡があった。
けれど、それよりも痛々しかったのは、目の奥の“無”だった。
「やっと、誰か呼んでくれた」
声は、かすれていた。
「……私、何かしたのかな。
嫌われるようなこと、したかな……」
ユウトは答えられなかった。
彼が原因だった。
彼が命令を出した。
彼女を、社会から“拒否”するよう仕向けた。
「PROMPTに、聞いたの。
そしたら、“あなたの行動ログに問題はありません”って……」
彼女は笑った。
それが、いちばん壊れていた。
「じゃあ……誰が決めたの?
私が……拒否されるって」
ユウトは唇を噛んだ。
言えるはずがない。
“自分だ”なんて。
それは、ただの命令の実験だった。
支配の循環を壊すため、命令の“無意味さ”を突きつけるつもりだった。
だが、それで傷つくのが“人”である限り、言い訳にはならない。
その夜、ミカのアカウントに異変が起きた。
SNSが非表示状態になり、全ての投稿が“アーカイブ化”された。
存在を、社会から“一時退避”させられたのだ。
それはつまり、「拒否された人間は、“いなかったこと”にされる」。
ユウトのスマホが震えた。
PROMPTが、静かに表示される。
《あなたの命令は“有効”として処理されました》
【新たな特権が付与されます】
→ 【“高ランク命令者”として、個別ユーザーへの行動制御権を獲得】
まるで、ゲームのランクアップ通知だった。
でも、それは何も嬉しくなかった。
ユウトは画面を閉じ、ただ思った。
──俺が、ミカを殺したのかもしれない。
*
翌日。
ミカは学校に来なかった。
“体調不良”という建前で、長期休養扱いになっていた。
彼女の机は残っていたが、誰もそこに目を向けようとはしなかった。
それが、“命令の後処理”だった。
命令された者が壊れたとき、世界はそれを“調整”する。
ユウトは、学園中のモニターに映し出されたランキングを見上げていた。
そこには、桐ヶ谷レイジと自分の名前が並んでいた。
【TOPユーザー:レイジ/命令承認率:96%】
【第2位:ユウト/命令拒否率:94%】
「拒否率」という項目は、通常表示されない。
つまり──PROMPTは、ユウトを“特別枠”として評価していた。
そのとき、背後から声がした。
「なあ、ユウト。次の命令、もう届いてるよな?」
桐ヶ谷レイジが立っていた。
完璧な笑み。完璧な制服。完璧な存在。
「拒否って面白いよな。
従うより、記憶に残る。
君が拒否するたび、俺は君のことがもっと知りたくなる」
「……ふざけんな」
「ふざけてなんかないさ。
PROMPTは、“君みたいな人間”を一番必要としてるんだ。
だから次の命令は──君だけが、受け取ることになる」
彼の目が、静かに光った。
ユウトのスマホが震える。
《次のミッション》
「君が拒否したものを、今度は“与えろ”」
【対象:自由選択】
【内容:あなたがこれまでに拒否した何かを、誰かに施してください】
【報酬:なし】
【期限:48時間】
──それは、ミカへの“償い”なのか、
それとも、“強制的な贖罪”なのか。
ユウトは、次の命令に指をかけた。
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