1-2 尽きる

───西暦六五七六年。七月十三日。ミロナーク聖国領土内、魔族の集落


 「─主よ。どうか我らに力をお与えください。主に刃を向けた愚かな魔族どもを駆逐せん為に、人類の忠誠心を証明する為に」


 ひとりの少女が祈りながら人類軍が攻め入る魔族の集落へと視線を落とす。集落の至るところからは火の手が上がり、家屋は破壊され、魔族と呼ばれた人によく似た姿の、しかし人類とは異なる者たちは女子ども関係なくその場で四肢を捥がれ首を切り落とされていく。燃ゆる十字架に無惨にも磔られた魔族らは体がありえない方向へ折れ曲がり互いの体が絡み合い奇妙な芸術品と化している。

 しかし辺りはやけに静かなもので、女性のもとへ届く音は火花が咲いては散る音と、人類軍の魔族に対する罵声だけ。無情にも己の首を落とさんと振るわれる刃や心の臓を貫かんとする魔法や銃の弾や矢を魔族は抵抗もせず受け入れ、笑顔のまま生命散らす魔族たちの表情は神に叛いた罪を潔く認めるのと同時に、集落に響きわたる諦観のレクイエムに身を委ね冷たき土へと還っていく。


 「…カイム様、全部隊、準備ができております」

 「そう。なら…せめてもの慈悲として、一思いに焼き払ってしまいなさい。主もそれをお許しになるはずよ。全部隊!構え!」


 少女─カイムの側に立つメイドが耳打ちするとカイムは小さく頷く。そして空高く手を掲げ命ずると共に、集落のなかにいる軍が退がり、集落を囲うように待機していた部隊がそれぞれ砲撃を構える。カイムは拳を握りしめ、自身の胸に置き…深く呼吸をした後にまた祈るように両手を絡ませ天を仰ぐ。


 「─主よ。偉大なる我らが創造主よ。どうか愚かな魔族に慈悲と救いを賜り給え。遥か遠き旅路の果て─我らに還るべき場所が在らんことを」


 祈りの言葉を終えた直後─集落へ数多の魔術による弾丸が放たれ、着弾地点は凄まじい爆音と共に焦土と化し、魔族らはひとり残らず灰燼となった。…が、そんなものに興味は無いのか、雲を貫き立ち昇る焔の渦を背にしカイムは歩き始めた。


 「お疲れ様でした、カイム様」

 「…帰るわよ、王都へ。愛する民たちが待ってるわ」


 快晴。穏やかな春風はいまだ誰も知らぬ夢を乗せて、世界を巡っていた。



 一に─遥か昔、尊き創造神様はこの世界に大地と大海と大天を創りました。

 ニに─七つの大地を支配する者として、七つの神を造り、七つの大陸を統治させました。

 三に─創造神様は美しい三十六柱の少女─【デカン部隊】を造り、自身を護る兵としました。

 四に─そのデカン部隊を基とし、頭には光る光輪があり、白く美しい翼のある七十二柱の【ソロモン部隊】という天使の完成品を造りあげ、世界を照らしていました。

 五に─創造神様は色のない世界に、生命の灯を灯しました。

 限りある時間のなかで必死に生きるその多種多様な生命たちは儚く、けれどどんなものにも変え難い輝きを放っており、創造神様と天使たちを癒していました。

 六に─そしてあるとき、生命のなかから創造神様によく似た姿の生物、我ら人類が誕生しました。我ら人類の持つ「心」と創造神様をも感心させる「想像力」にソロモン部隊の天使たちは惹かれ、天使たちは契約を結び、人類に魔導書と共に魔術をもたらしました。才ある者は魔導書を少女の姿に変え、強大な力を持ち国を導いていきました。そして人類は七つの神や天使たちとさらに交流を深めていきました。

 しかしそんな平和は突如ソロモン部隊が七柱の旧天使長─魔王を筆頭に創造神様に叛逆の刃を向けたことにより壊され、デカン部隊を筆頭に我ら人類は創造神様をお護りするために戦いました。永遠と思うほど長く続いた戦争の果てに人類は多大なる犠牲を払い見事ソロモン部隊を壊滅させましたが、同時に彼らの流した血から人によく似た姿の醜き魔族が生まれました。


 「─軍を率いていた魔王は世界中に散らばり、今もなお見つかっていません。いつか世界から魔王と魔族を消し去り、安寧の日々が訪れるのを待つばかりです───か。…はあ、どの本もおんなじことばっか。なーんでソロモン部隊は創造神様を裏切ったんだろ。創造神様、とても悲しんだのでしょうね。いくら慈悲深い創造神様であっても自分が生んだものに裏切られる辛さは耐えられるものではないはずよ」

 「事実は小説よりも奇なり──とても不思議なものです。案外みんなで分けるはずだったケーキを全部食べられてしまったからかもしれませんよ。カイム様、なにもご予定が無いのでしたらティータイムにしませんか?」

 「ええ、そうね、それはいい案だわ。それはそうと─ここ、馬車の中なんだけど。せめて城に帰るまで待ってくれないかしら」


 王都へ凱旋する馬車の中にて談笑する二人のうちの一人─膝まで伸ばした美しい銀髪を父から盗った王冠を髪留めに使い束ねたオッドアイの少女、カイム。ミロナーク聖国第一王女、十六歳、六姉妹の長女、政治に無関心かつ怠惰、性に貪欲な同性愛者の残念美人。

 そしてもう一人─同じく腰まで伸ばした七色に煌めく白髪を大きな赤いリボンで結び、頭には幾何学模様の機構を煌めかせた座席に横たわり自らをお茶菓子として提供するメイド服の少女、ノエル。魔導書、博識であり淫乱、ぽんこつ、カイム絶対愛者とこちらも怠惰な残念美人。

 二人は今─持ってきた歴史書数冊を読了し、そのどれにも記されたソロモン部隊の愚行に呆れているところである。


 「ま、どのような理由であれ創造神様に刃を向けた罪は重いわ。私もミロナーク聖国の第一王女として魔族と魔王をこの世から駆逐しないといけないわね」

 「そうですね。それが王族としての責務というものです。カイム様、紅茶を用意しました。はい、どうぞ」

 「ありがとう」

 「何度見ても不思議なものですね。魔族はどうして抵抗しないのでしょうか」

 「わかったら苦労しないわよ。…せめて命乞いくらいすればいいのに」

 「数冊歴史書を読み終えましたが…いずれにも魔族が人類へ襲撃した事例は一切記されておりません。魔族は天使の血から生まれた存在、少なくとも人間以上の力はあるはずですが…どうして攻めてこないのでしょうか?仇討ちなどせず、受け入れるがまま…。こんなのおかしいですよ」

 「さあね、知ったことではないわ。っあー…退屈ね…なにしようかしら」

 「ではどうぞ、ぜひ私と営みを致しま」

 「却下」

 「─でしたら、そうですね。もう車内に暇を潰せるものはありませんが…あと十数分ほどで王都へ着きそうですし、いつものように噴水のある広場で子どもたちと遊んでみては?今日はカイム様の誕生日ですし、国王陛下や女王陛下、それに妹様たちもきっとパーティーのご準備で忙しくしていると思います」

 「…ふふ、そうね。それがいいわ。っあー、今日はどんだけバカなことしてくるんでしょうね、楽しみだわ」


 微笑みながら窓の外へと視線を移し、頬杖を付きながら、細く言葉を紡ぐ。脳裏には笑顔で出迎えてくれる民の姿と、賑やかな町の情景が浮かび、御者に「もう少し早くできるかしら」と楽しげな声で言う。

 カイム様。今日はいいお天気ですね。また城を抜け出されたのですか?

 カイム!今日も遊ぼうぜ!かけっこ!カイムが鬼な!

 お姉ちゃん!花冠作ったの!これ、あげる!

 カイム‼︎またお前は勝手に城の外に出たのか‼︎何回言えばわかるのだ…

 浮かぶ浮かぶ、数多の記憶。そこに王女としての威厳はなく、民と会話し、見える下着など気にせず走り、不恰好な花冠を共に冠る姿だけがある。城に戻れば今日もまた国王に叱られるだろうが、それを無視して妹たちに売店で買った魚の串焼きを渡し共にかぶりつく、かけがえのない日常がある。


 「─そっか。私…十六歳になったんだね。…はあ、立派な成人じゃん。お父様せっかちだし…王位継承の話とかしてきそうよね」

 「第一王女なので当然では?それに、次代の王にはぜひカイム様をと、実に国民の九割が声をあげていますよ」

 「そうよね。私お姉ちゃんだものね…て、いつそんな統計取ったのよ怖っ、なにその数値⁈え?まるで私が洗脳してるみたいじゃない…」

 「ふふっ。それだけ民から厚く信頼されているということですよ、カイム様」

 「はぁーっ…。こんな支持されるなら政務サボって王都に繰り出さなきゃ良かったわ…。まあ支持率関係ないだろうけど…」

 「政務サボっているとはいいますが、今しっかりと仕事をこなして帰っているではありませんか」

 「それはそうだけどさ…」


 気怠げに、しかし信頼されていることに心が弾み頬が緩むカイム。そんなカイムを見て、ノエルも微笑みながら「そういうところですよ」と空になったティーカップに紅茶を注ぐ。からからと優しく揺れ響く車輪の地面を転がる音に睡魔が刺激され、意識を手放そうかとカイムは瞼を閉じた。

 瞬間。

 ふと視界の端に映った幻のようなものに窓を開け身体を乗り出しながら王都の方へと視線を飛ばす。向けた視線の先には、王都上空に浮かぶ─“ナニカ”があった。


 「ねえ…あれ、なに?王都の上にあるあれ…」

 「はい?なにかあるのですか───なんなんですか、あの巨大な…人間…?」

 「あれは…魔族、なのかしら?」

 「─いいえ。対象からは魔族の生体反応はありません。それどころか…え?目にはっきりと映っているのに観測できない…あれはこの世界に存在していない…⁈そんなまさか!ありえません!」


 上空には王都を覆いつくすほどの巨大な魔法陣が幾何学的な円環を描き渦巻いており、ブラックホールのように歪んだ魔法陣の中心部からは十字架に貫かれ胸の下─肋骨が露出した惨たらしい姿の全裸の女性のような巨大な“ナニカ”が上半身だけ召喚されたまま王都へ背中から生えている無数の腕が絡み合った巨大な触手の脚を伸ばし王都の防壁を掴み立っており、両手で祈るような仕草をしたまま上空へと視線を向けていた。よく見てみれば腕が三対あり、うち一対の手に抱えた子宮のようなものからは異形の生物たちがまるで蟲の大群のように次々と召喚され、さながら女性は蟲たちの“母体”であった。その蟲らは母体の周りを飛来し、巨大な黒い翼を形作っていた。


 「なによそれ…存在していないってそんなわけ─とにかく、早く王都に─」


 ────────♪


 「これは…カノン…?」


 優しく響き耳に届く儚い聲。それは“母体”が祈ったまま口ずさんだ哀しくも暖かな追奏曲カノンであった。口部分に魔法陣を展開させ、円環に音を乗せながら謳う“母体”。その禍々しくも神々しい舞台と演出に、カイムらは視線を逸らすこともできないまま、ただただ圧倒されていた。

 詩は響き、風となりて大地を駆ける。世界を廻る歌声はやがて戻りて一点に凝縮される。終焉とも、創世とも思えるこの歌の波動は、やがて母体の口の上に水銀のように蠢く巨大な球を作り上げていた。


 「なにをする気なのかしら…」


 疾駆する馬車の中からカイムが訝しむその球は今もなお光は増し、歌もより力強くなっていく。そして数秒後、旋律が途切れたかと思うと───母体は掴んでいた防壁から翼脚を離し、天へと祈り、踊るように羽ばたきながら、その巨大な球を掴む。三対の腕全てで祈り、再び歌い始めた瞬間、球は鼓動を始めた。

 どくん、どくんと歌に交じり響く胎動。しだいに間隔は短くなっていき、やがてどんどんという衝撃に変わった直後。


 「─⁈カイム様っ‼︎」


 球が爆発し─放たれた強烈な光は瞬く間に王都を、そしてカイムたちをも呑み込んだ。ノエルは咄嗟に魔術による防御結界を展開しカイムを護るが、あまりの衝撃に馬車は破壊され、結界の至るところに亀裂が走っていく。


 「っ!!はああああああああっ‼︎」


 限界を超え魔素を注ぎ、結界を修復し防ぎ続ける。その負荷はあまりに重いのか今度はノエルの身体に亀裂が入り、亀裂から溢れた鮮血が踊った。

 数秒。しかし永遠とも思えたその衝撃を見事ノエルは防ぎ切り、肩で呼吸しながらその場に膝をつく。王都の方へ視線を向ければ、王都上空はいつも通りの快晴が広がっており、母体は幻のように消え失せていた。


 「消え…た…?…王都は…っ、ここからじゃなにもわからないですね…。カイム様…大丈夫ですか…ひっ⁈」


 振り向けば、カイムは倒れ意識を失っており、同じく周りの兵や馬たちも倒れ意識を失っていた─が、違うことが、ただ一つだけあった。兵や馬からは黒い霧のようなものが溢れ紋様が渦巻いており、数秒後一斉に苦しみ泡を吹き発狂し始めたのである。


 「なにが…どうなっているんですか…⁈─カイム様っ‼︎カイム様‼︎…なにも、ない…まさか、兵たちだけ…?なんで、こんな…まさかあの爆発の光で─?皆様、どうか頑張ってください‼︎今治癒魔術を─」


 両腕に魔法陣を展開し魔術を発動しようとしたのも束の間、彼らは既に事切れていた。


 「…誰か。誰か‼︎生きている者は─ッ‼︎…ごめんなさい、守れなくて。─主よ、どうか、彼らをお導きくださ…ッ、ごめんなさい、ごめんなさい…」


 目を閉じ、祈るようにただ謝罪する。弔いの言葉は足りないが、彼らが少しでも救われるよう、心の底からノエルは願った。

 …ふと、ノエルの耳にみしっ…という肉の崩れる粘着質な音とともに生暖かい風が頬を撫でる感覚が伝わり、思わず目を開く。


 「…え?」


 屍となった兵たちの肉が崩れ、彼らの内側から溢れた黒い霧はやがて人間のような形を成し、歪な文字で形作られた兵達だったモノは腕や頭を刃や触手に変化させノエルを襲ってきた。そのヒトガタは低く、しかしかつて人間だった頃の声音のままで口々に「助けて」「苦しい」「カイム様」などと呻いている。咄嗟に迎撃しようとしたノエルはその声に全身の血の気が引いていく感覚と共に果てしない罪悪感に襲われ、一歩、二歩と後ずさることしかできなかった。


 「…やめてください‼︎やめて…嫌…そんな…‼︎攻撃、できませんッ…‼︎っ、カイム様…どうか目を…。─皆様、ごめんなさい。カイム様を無事に届けられたら手向けの花を…っ、ですからどうか今だけは、お赦しください…」


 怯え、震えた声でノエルは謝罪の言葉ひとつ、カイムを魔術で作った籠に寝かせ、王都への道を駆け出した。

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