第9話 エリス教の憂鬱
かつて神の言葉を伝えていたエリス教会の大聖堂では、ざわめきが収まらなかった。
金色の羽根を持つ神聖なオウムが、高天井を滑るように舞い降りたのだ。皇帝の使い、《パイロットパロット》である。
「――癒しの奇跡は、精霊環教の加護によってもたらされる。
この世の癒しは、精霊の循環の中で与えられるのです」
鳥のくせに神託のような声音でそう告げた瞬間、大聖堂内は蜂の巣を突いたような混乱に包まれた。
「精霊環教だと……!? 異端ではないか!」
「我らが神を差し置いて、なぜそのような民間信仰が力を得る……!」
「だが……精霊環教の祈祷師に癒された者がいるのは事実だ。癒しの光は、本物だ……」
信仰と現実のはざまで、司祭たちの顔が青ざめてゆく。
人々がすがるのは真理ではない。救済される場所なのだ。
その騒然とした空気の中、一人の修道女が静かに群衆に紛れていた。
紫がかった瞳が、不気味に光る。彼女の唇がかすかに動くたび、空気が震えた。
それはクレパス機関・紫のモルティアによって仕込まれ、ゆっくりとゆるやかな洗脳をされた者たちも混ざっていた。
彼女の呟く呪句に、数名の信者が涙を流しながら言葉を漏らし始める。
「精霊たちが……癒してくださった……」
「ポポ陛下は……精霊の導き手……」
「もしかすると……あの方こそ、選ばれし御方では……?」
その声は伝染するように広がり、次々と別の信者が頷き始める。
誰に強制されるでもなく、自らの意思で『神』を選び直すように。
老シャーマンの一礼から、数日。
《精霊環教》は、地方の小村から都市の片隅にいたるまで、静かにその根を張り始めていた。
もともと点在していたシャーマニズムやアニミズムの宗教集団が、皇帝の命により水面下で統合された。
だが、その背後に《聖職者ギルド》という存在があることは、どこにも記されていない。
あくまでこれは、「自然発生的に拡がった、癒しの信仰」なのだ。
癒しの奇跡は、ただ《精霊環教》に祈った者にのみ訪れる。
都市部のエリス教会では、異変が広がっていた。
「このままでは、死者が出るぞ……」
「奇跡が……なぜ働かない……」
「精霊環教の教主を呼んでくれ! あの者には……癒しの光が宿っている!」
かつて人々の命を預かっていた聖職者たちが、信者たちの怒号に晒されていた。
そしてその背後には、密かに配置された《ギルド回復者》たちが控えていた。
癒しを望む者は、精霊環教の儀式に参加するほかなかった。
名簿への記名、浄化の儀式、そして『精霊の許し』を受けること──
そのすべてが、実のところは《聖職者ギルド》への間接的な『加入手続き』であった。
人々はその仕組みを知らぬまま、次々と『救い』の列に並んでいく。
──そうして宗教は、ゆっくりと塗り替えられていった。
神の名のもとに築かれた世界が、精霊の名を騙るギルドによって、静かに呑まれてゆく。
イセリナ聖王国、第三環区にある古びたエリス教会――
その夜、静まり返った大聖堂にて、『奇跡』が起こった。
突如、聖堂の祭壇にまばゆい光が差し込み、風もないのにステンドグラスが震え始めた。
「……あ、あれを……ご覧ください!」
信者の一人が震える指で天井を指す。
白い羽根が、ひとつ、またひとつと宙に舞い降りる。
その瞬間――響くのは、荘厳な『神の声』。
> 「汝らを見捨てぬ。癒しは、精霊の環を通して、なお我がもとに届く」
> 「疑いを捨てよ。新しき導き手の名は、ポポ」
> 「その者を信じる者にこそ、我が恩寵は降りるだろう……」
跪いた信者たちは涙を流し、手を取り合って祈り始める。
「……ポポ陛下……ポポ陛下……」と声を重ねながら。
その裏側、聖堂の地下通路。
クレパス機関・白のアリュシアが幻術装置の操作を終え、軽く髪を払った。
「ま、これくらいなら、初歩の演出ですわね」
声の発信源は、ギルド所属の《聖職者(回復者)》が精霊言語の一部を再現し、音響幻術によって『神の声』として響かせたもの。
白の工作により、声は天井から、光は聖杯から放たれたように見せられていた。
回復魔法も、タイミングを計って発動される。
奇跡の光とともに、立ち上がる難病の老人。泣き崩れる家族。
すべては台本通りだった。
「信仰に『真理』など不要。ただ『演目』を見せれば人の心は傾くのよ」
アリュシアは冷たく微笑む。
こうして、エリス教会第三環区は『神の導き』によって、精霊環教へと転向した。
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