18. おれの生きていた世界(Goodbye)
おれは、
物語や登場人物のセリフに深みがあって、人生の教訓や新しい気付きを得ることができた、というようなことではない。
なぜ彼女は、この小説を書かなければならなかったのか。おれはまず、そのことを考えた。そして、この小説を書くことによって、彼女はなにを得たのかということも考えた。
満足とか達成感とかいうものではないだろう。いや、それもあるのかもしれない。だけどおれには、彼女が得たものは、頸動脈にざっくりと走る傷のようなものではないかと考えた。
バツッターにアクセスして、新藤のアカウントに投稿されているであろう感想を見れば、おれには考えつかない、鋭い
しかし、それではダメなのだ。おれは、おれなりの解釈を、彼女の小説の上に
それが、彼女を尊敬し、尊重することに繋がる、などと言いたいのではない。
おれは、このことを考え抜けば、おれ自身のことが、分かるような気がしたのだ。
それは、自分のポテンシャルが引き出されるとか、そういうのではなくて、おれ自身とおれ自身でないもののあいだに横たわる、
おれは考え続けた。
正直に白状すれば、物語の内容についてはよく分かっていない。どういう物語かというのを読者に理解させられていないというのは、小説の完成度においてマイナスに分類されるだろう。
だけど、おれ以外のだれか、たとえば新藤なんかは、ちゃんと理解できているのだろうし、じゃあ、問題はないのだと思う。
そういえばむかし、おれの比較的好きなロックミュージシャンが、新譜に対して通販サイトでボロクソなレビューをされまくったとき、
「そんな個人の声を全体の意見であるかのように錯覚するやつは、俺の曲なんて聞かなくていいよ。評価が低いなあ、買うのはやめよう、お金のムダだ、なんて思ってるやつは、経済については玄人なのだろうが、俺からしてみれば、つくづく残念なやつだ。楽しんだり悲しんだりすることに関しては、素人中の素人だ」
と、テレビ番組で語っていた。
「評価が低いから聞いてみた、なんていう心構えのやつも、俺には無縁の客だよ。そんな理由で聴かれても嬉しくもなんともねえ。そういうやつは大抵、一生のうちでなにかを創ろうとしたことのないやつに決まってる」
とも言っていたし、その表情を見る限り、かなりご立腹だった。
おれはそのミュージシャンを見て、このひとは、しっかりと傷ついているんだろうなと思った。傷ついているのだけれど、そんなことを正直に言えば、彼のいう「素人」や「無縁の客」に白旗をあげてしまうと思ったのかもしれない。
そして、そういう連中に屈することは、音楽界全体の利益にもならないと考えていたのかもしれない。
そんなことを思い出したあと、おれはもう一度、司馬島卯湖の小説について、自分の頭で考えて、自分なりの感想を導き出そうとした。
一日はあっという間に過ぎていった。
なんで夜になるのか、おれはまともに勉強をしていなかったから、覚えていない。だけど、夜がきたんだから寝るしかないと思って、クセのついてしまった彼女の本を、雪よけの屋根みたいな形にして床に置いた。
そしておれは、良い夢を見た。
くだらないおれの生きている世界が崩壊していく夢だ。おれたちの世界ではない。おれの世界だ。
夢の中でなら、おれは司馬島卯湖の小説を理解できるっていうわけだ。常識が
そういうことを、彼女はもくろんでいない。というよりも、そのことを放棄している。
司馬島卯湖が企てていたのは、おれのようなやつが生きている世界を粉砕し放火し爆撃し、徹底的に破壊することだ。
そして荒廃したおれの生きていた世界が、実は、いかに美しく希望に満ち
しかし、美しく希望に満ち溢れている、おれの生きていた世界というのは、もう二度と戻ってこない。だって、粉砕され放火され爆撃され、徹底的に破壊されたのだから。
で、彼女は問いを投げつけてきているんじゃないか?
「あなたは、これからどうするの? もう一度世界を創るの? それとも、荒廃した世界で生きることを引き受けるの?」
こんな感じでさ。
おれは興奮のあまり目を覚まし、ドタドタと階段を下りて洗面所に駆け込み、バシャバシャと顔を洗った。そうしないと、おかしくなってしまいそうだったから。
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