03. 心霊スポット
都内の心霊スポットを紹介しているネット記事を読み終えたところで、おれは人前でバツッターのスパムアカウントが投稿しているURLをひたすらクリックする作業に没頭する妄想をした。
ニートをやっていると暇になる、というわけではない。やけっぱちになっている、というわけでもない。なんかそうすれば、百人のうち数人かは笑ってくれそうな気がして、得意な気持ちになるのだ。
おれはよくこういう夢を見る。
勝手にカーソルが動いたり、よく分からないメールが勝手に作成されたり、えっちな言葉しかサジェストされなくなる夢を……。
だって、ウイルス対策ソフトの有効期限を更新したいって、親に言えないんだよ。
朝陽はカーテンに
おれは起きるとまず、メモ帳を開くことにしている。適当にキーボードを叩いて、気まぐれに変換をしてまったく適当な候補を選び、絶対にデリートをしない。
おれが作る、意味のない文字列は、時間と空間を超越した文章を紡ぎ出す。文法もめちゃくちゃだし、言語も入り乱れているし、バンバン不適切な用語ができあがる。
おれは、この不気味な文字列を意味のあるものに変えるなにかを欲している。そんな感じがする。というか、その欲望が、おれの作る影のなかに埋め込まれてしまっている。しかしおれには、その欲望を満たすことができない。
もう十年も、実家の自分の部屋に埋め込まれているおれには、できないのだ。
* * *
都内の心霊スポットを紹介しているネット記事いわく、この公園のトイレは深夜の三時になると、女性のすすり泣く声がして、入口のバリケードから中をのぞくと、手を
おれはバリケードをさわった。鉄パイプは月の光を受けてひんやりとしていた。
「あっちに新しいトイレができたんだ。そっちを使いなよ」
そんな声が聞こえてきたかと思ったら、腕をがっしりと掴まれた。だけどその手は、すすり泣きをする女性の手ではないらしかったし、その声はもちろん、すすり泣いていたような痕跡がまったくなかった。
「死ぬなよ。生きるのは、生きることを
おれがここでなにをしようとしているのか、こいつには分かっているらしい。
* * *
おれたちは、花壇を囲む
この抽象的な形のオブジェが、なにを意味しているのかを、おれは考えた。自ら人生を終えることなんて、もう考えていなかった。
ポケットのなかにあった、そのための「手段」は、存在感を完全に失っていた。
「このオブジェはいいよな」
と、彼は言った。
「きっと、ぼくたちがこうして夜の公園で缶コーヒーを片手に秋の静けさを感じられるっていうのは、このオブジェのあの複数の曲線に象徴されているのだと思う」
「どういうこと?」
おれは素直にそう
「いくつもの曲線が、ひとつの束になることなく、並行したり
「平和を象徴しているってこと?」
彼は、ノンノンと口ずさんでから、月の光のなかに得意気な顔を見せた。
「夜の公園で缶コーヒーを片手に秋の静けさを感じるのが、
彼は抽象的なオブジェを、具体的な言葉で読解したあと、詩的にまとめてみせた。それは、おれにはできないことだった。おれは彼のことを、この瞬間だけ尊敬してしまった。
「なんであのトイレで、死んじゃったんだろう」
おれは、あのオブジェのことだけではなく、そのことに対する彼の見解を聞きたかった。
「わかんない」
「だよな」
おれだってわかんないし。
それから十二秒くらい経ったとき、「でもさ」と前置きをしてから、彼はこう言った。
「すすり泣くってことは、悲しいんだよ。そりゃ、悲しいさ。つらいことがあって、それをはね返すなにものをも持てなくて、死んじゃったんだから」
彼の視線の先には、心霊スポットとなってしまったトイレがあった。トイレの上に向かって、寂しく月の光が
「笑わせたいな」
彼は
「ぼく、芸人をしてるんだよ。ピン芸人。ぜんぜん売れてないけどさ。くすぶっているうちに、もう三十歳だよ。だけど、笑わせたいんだ。泣いているひとを、怒っているひとを、悲しんでいるひとを、希望を失っているひとを、すがるものがお笑いしかないひとを。だから、あそこで死んじゃった女性を、おれは、笑わせたい。笑わせたかったよ」
おれはいつの間にか泣きそうになっていた。その理由は、まったくわからなかった。だけどその理由というのが、あのオブジェより複雑な形をしているというのだけは、なぜかわかった。
「絶対に泣くんじゃないぞ。ひとを泣かすなんて、芸人のすることじゃないんだから」
「おれ、あんたは作家かなんかだと思ってた。話してる感じで、勝手にそう勘違いしてた。あと、深夜に公園にいるもんだから」
「まじかよ。そんな風に見えるのか、ぼくは。でもさ、ぼくが作家だったら――」
彼はそこで言葉を切り、ビルとビルの合間にある、やけに大きく見える満月に目線を投げた。そして、眼を伏せた。
「――作家だったらさ、彼女に死ぬことを選ばせたものすべてを、インクが枯れ果てるまで言葉でぶった切っただろうな」
おれはこいつの名前が、
秋の夜はゆっくりと明けていった。だるいくらいに。
天気予報では雨だと言っていたのに、ぐずぐずした天気にはならずに、おれの様子をうかがうかのように、カーテンのすきまから何度も光が差しこんできた。
夜になってようやく、雨が降りはじめた。ざあざあ降りだった。
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