02. グッバイも言わずに

 おれは阪倉晴子さかくらはるこのことをいまでも思いだせる。

 阪倉晴子が死んだその日のことを思いだすことはできない。


 小学生のときに、、お互いのを見せ合ったのも思いだせる。おれは二十五点だった。晴子は三十五点だった。。そのことも思いだせる。


 晴子が「からだ」を「身体」と表記するのを好み、「心身」と表記をすることもあったのも思いだせる。小学生のときにキャッチボールをしていて、風が吹いている河川敷であったとはいえ、を投げたことがあったのも思いだせる。


 オークションをしたバラエティ番組を一緒に観ていたとき、「高い椅子」という言葉を聞いた晴子が、「巨人の座る椅子なのかな?」といてきたのも思いだせる。それが幼稚園児のときだったというのも思いだせる。幼稚園児のおれが、「値段が高いってことだよ」と言って笑ったら、晴子は顔を赤らめてうつむいてしまったのも思いだせる。


 、幼馴染のままなのに軽くキスをしたのも思いだせる。


 阪倉晴子が死んだその日のことは思いだせない、ということにした日のことを、かすかに思いだせる。その日のことを思いだしたが最後、おれの記憶のなかで生きている阪倉晴子までもが、死んでしまうような気がするのだ。


 おれが高校を卒業したあと、ニート生活を十年続けているということを、死んだ阪倉晴子は思いだせない。というか知らない。だって、高校生のときにいなくなっちゃったから。


 グッバイも言わずにくひとがいるなんてって、ショックを受けたのも思いだせる。いつの日だったのかは、思いだすことができないけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る