第21話 予想外の再会



「見て見てアンナ、花の形に切った!!」


「あは、凄い。綺麗に出来てる!」


「あ、そろそろケーキ焼きあがるんじゃない? 甘い香りがしてきた!」


「あともうちょっとだよ」


 キッチンでアレンと二人、笑いながら料理をしていた。


 アレンは包丁を手も使わずふわふわ浮かせて動かしながら、器用に野菜を切っている。私たちの背後には変わらず籠が二つ。今から完成した料理は、どんどんここに入れていくことになる。


 私は鍋に入ったスープをかきまぜた。今日はミルクをたっぷり使ったシチューで、こちらはまだまだ煮込んでとろとろにしたい。今のところはいい感じ、っと。


 使い終えた調理器具を洗ってしまおうと戸棚を開けると、そこに黒い包丁がしまってあるのが見えた。


 あ……ノアがくれたやつ。


 ひっそりとそこにいる包丁は以前、ノアの婚約者のフリをした日に彼が与えてくれたものだった。『今後はこれを使ってください』といって、銀色に光る包丁を黒く染め、ぱっと見かなり不気味なものが仕上がっている。光沢もなく闇の色をした不思議な包丁は、世にも珍しいものだと思う。


 でもこれがあると、やはり私は自分で食材を切ることが出来た。一人ですべての調理を行えるようになったのだ。


 だが、案外これの出番は少ない。というのも、アレンは今までのように手伝いたい! と言ってくれたので、結局彼に下ごしらえを任せてしまっているからだ。彼が現れないときなどはこれを使うこともあるが、圧倒的にアレンが手伝ってくれることの方が多い。


 包丁の腕が落ちないか心配だ。私は一人でそう笑う。


「アンナ、他の精霊たちも楽しみにしてるよ! 焼き上がりを待ってるみたいだ」


 アレンに言われて振り返ると、確かになんだか空間がフワフワしている気がした。目には見えない誰かがいくつもそこに漂ってるみたい。


「あともう少しだよ。アレン以外の子も見えたらいいのに」


「これが全部見えるとなると、多分アンナはうんざりすると思うよ……保育所みたいで」


「え、そんなに数いるの?」


 笑いながらキッチンで動き回っていると、突然背後から低い声がした。


「いい香りですね」


 ドキッと心臓が鳴り、体が跳ねた。振り返ると、黒いフードを被ったノアが入り口に立っていた。


 アレンがノアに声を掛ける。


「ノア、やっと起きたのか! 遅いぞ!」


「最近、仕事が立て込んでいまして……ようやく眠れたので」


「アンナが止めるから無理に起こすのをやめたけど、本当なら絞ったレモン汁を口の中に放り込みたかったんだぞ」


「アンナに感謝しておきます」


 アレンとそう会話したノアが、ちらりとこちらを見たのでバッチリ目が合った。途端、ぶわっと熱い何かが体中を駆け巡り、私は目を逸らしてしまった。


「の、ノア。もう少しでケーキが焼きあがります。食べられますか?」


「いただきます」


「じゃあ、お茶と一緒にお持ちしますね!」


 やけに早口でそう答え、意味もなく忙しそうに動き回った。さっきしまったばかりの調理器具を取り出して、無駄に磨いてみたり。


 ノアはお願いします、とだけ言うと、そのまま去っていった。彼がいなくなったあと、私は深い深いため息をついた。


 すっかり彼を意識してしまっている。……困った。


 ノアとパーティーから帰ってきた後も、私たちは変わりない生活を送っていた。相変わらずノアは忙しそうにしているし、精霊たちは美味しいと食事を楽しんでいる。ただ、少しノアから話しかけてくることが増えた気はしている。


 そんな中で一人、私の心境だけが変わっていた。


 ノアと思い切り抱き合った後、彼を見ると恥ずかしくてたまらない。それ以前にも、事故とはいえ彼に覆いかぶさってキス事件みたいなことも起こしてしまったし、緊張度がさらに上がってしまった。


 でも恐らく、そんな風になっているのは私だけだ。ノアはいつもとなんら変わりなく、むしろこちらが苛立ってしまうぐらい普段通りなのだ。感謝の気持ちのハグくらいで……と言われたら、何も言い返せない。私が一人で舞い上がっているだけ。


 小さなため息を吐き、気を取り直してオーブンを開けてケーキを取り出した。焼き具合は完璧で、この複雑な気持ちが料理に現れなくてよかった、と安堵した。





 その日、私は買い出しに一人で街へ出ていた。


 もう慣れたもので、屋敷周辺の足場の悪い道も楽に越えられるようになったし、街の人たちともすっかり顔見知りで、世間話をしながら買い物をするようになっている。相変わらずノアにどうぞ、と言って色々食材をくれるので、買い物と言ってもあまりお金を使うことがないのが申し訳ないくらいだった。


 いつものように野菜や無くなった調味料を手に入れた後、魚を見に馴染みの店へ向かった。初めて来たときも、私に魚をサービスしてくれた気のいいおじさんがいるところだ。


 この街は漁業が盛んで魚が本当に美味しいので、魚を使った料理の腕が自然と上がった気がする。


「こんにちは」


 私が魚を並べているおじさんに笑顔で挨拶をすると、彼はにっこり笑って振り返る。


「おお、アンナ! 買い物かい?」


「はい。今日はどんな魚が入っていますか?」


「タイミングがいいよ。おすすめがあるんだ。もちろんたくさんおまけさせてもらうから」


 おじさんはそう笑いながら魚に手を伸ばしたところで、ふと何かを思い出したように顔を上げた。


「そうだそうだ! アンナ、君を探してる人が少し前に来たよ」


「え?」


 目を丸くして聞き返す。私を探している人?


「ほんの少し前だ。アンナっていう若い女性を知らないか、って。身長とか顔立ちの特徴も君のことを言っていたよ」


「……私?」


「とはいえ、君が魔法使いと住んでることを言ってもよかったのか迷って……とりあえず、ジョージの所へ行くように言ってみたんだ。ジョージに任せた方がいいかな、と思って」


 頭を搔きながらおじさんが言った。


 なぜだか、胸に小さなざわめきが起こった。嫌な気持ちになって落ち着かない。


「あの、それってどんな人でしたか?」


「えっと、男の人で……あれ、ほら! あの人だよ、丁度あっちから来る」


 おじさんが私の後ろを指さしたのですぐに振り返ってみると、遠くから歩いてくる人と目がばっちり合い、そのまま私は固まった。


「アンナ……」


 向こうも驚いたように目を丸くして、一瞬足を止めた。見おぼえるのある茶色の髪、真面目そうな顔立ちに黒い瞳。


「ハリス……」


 私が結婚するはずだったその人は、最後に見たときとほとんど変わっていなかった。


 途端、ぐわんと目の前が回ったような感覚に陥る。遠い記憶と化していたあの日の出来事が、鮮明に蘇ってしまう。鏡もナイフもないのに、震えが出て収まってくれない。


「アンナ? どうした」


 魚屋のおじさんが心配そうに声を掛けてきてくれるが、私は返事をすることが出来ずにいる。でもハリスは気づいていないのか、急ぎ足で私に駆け寄り、どこか弾んだ声で私に話しかけた。


「アンナ! やっぱりここにいたのか……今、君の叔父という人をたずねに行ったんだけれど留守みたいで、どうしようかと迷っていたんだ!」


「……」


「……久しぶり、アンナ。思ったより元気そうで安心したよ」


「……なぜ、あなたがここに?」


 かろうじて声を絞り出して尋ねると、ハリスはバツが悪そうな顔で答える。


「母が隠していた手紙を見つけたんだ……」


 ああ、と目を閉じてため息をついた。


 私が前の街を出るとき、ハリスの両親にだけは手紙を書いてきた。彼らは父子家庭の私を幼い頃から面倒見てくれた素敵な人達だったし、ハリスとの結婚も凄く喜んでくれていたので、何も言わずにいなくなるのは申し訳なかったのだ。


 具体的な住所は告げず、叔父のいるところへ行く、今までありがとうとだけ書いた。そして、このことはハリスには告げないでほしいとも。


 その手紙をハリスは見つけ出してしまったのだろう。彼には、叔父がトルンセルにいることを話していたので、この街にいることが分かってしまったのだ。


 私は俯き、震える手を必死に抑えながら深呼吸を繰り返し、自分に言い聞かせた。


 大丈夫、大丈夫だから落ち着け。私はもう新しい生活を手に入れて前に進んでいるのだから、今更怯える必要なんてない。正々堂々と話せばいい。


 そう心で呟いていると、ふと脳裏にノアの顔が浮かんだ。顔色を悪くさせてクマを作り、ソファ周辺を散らかしながら仕事をする光景だ。そんな何てことないノアの姿を思い出しただけで、ふっと心が軽くなったのが分かる。先ほどまで震えていた手も、すっと普段の様子を取り戻した。


 少し……落ち着いたかもしれない。


 それでも、私はハリスの顔から少し視線を逸らしたまま言う。


「それで、わざわざ何の用?」


「俺……謝りたくて……」


「もういいから。私はこの街で新しく生活をスタートさせてるから、もう関わらないで。それがあなたにできる唯一のことだから。じゃあ」


 それだけ言って立ち去ろうとした私の腕を、ハリスがぐっと掴んできたので、驚きで小さな声を上げた。つい、ハリスの目を見てしまう。彼は至って真剣な顔で私に言う。


「やり直したい! もう一度、アンナとやり直したいんだ!!」


……何を言っているのこいつは……。


 唖然としたまま、動くことも出来ず、ただぽかんと口を開けた。


 私と両親の思い出の家に浮気相手を連れ込み、私たちのベッドで愛し合った。それも、私の友達である女性をだ。


 母の形見のドレッサーにばっちりそれが映っていたためトラウマになり、私は鏡だけではなく刃物も使えなくなり、仕事さえも失った。


 ここまで私を追い詰めておいて、またやり直したいなんてどの口が言うのだろう。


 嫌悪感でいっぱいになり、私はハリスの手を払った。


「ふざけたこと言わないで……私が、私がどれだけ辛い気持ちになったと思ってるの」


「本当にごめん、謝る。でも本気じゃなかったんだ、あれは一時の迷いであって、本当に結婚したいのはアンナしかいないんだ! 俺たち、幼い頃からずっと一緒にいたじゃないか……これからそうだって信じてた」


「信じてたのは私の方よ! 絶対にありえない、もう目の前に現れないで!」


 私はそれだけ叫ぶと、引き留めるハリスの声を無視してその場から駆け出した。一度も振り返らなかったし、とにかく全力でその場から離れた。

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