第2話
あの日、夕立が過ぎた駅の改札で、僕は忘れ物をした事を思い出した。
電車を一本、遅らせよう。
僕は下校する他の生徒の隙間をぬって、教室に向かった。
この時間には、もう教室には誰もいない。
そのはずだった。
教室の後ろのドアの前に来た僕は、目線の所にある窓から中を覗いた。
誰もいないはずの教室に、夕日がさしていた。
そこには、身長ほどのギターを背中にしょった女の子がいたんだ。
黒板に手を伸ばして、ただそこに立っていた。
僕はその時、教室に入るのを躊躇したんじゃなくて、その美しい景色に見とれていたんだ。
その女の子が、手をゆっくり下げると、教室の前の扉に向かって歩いていった。
僕はとっさに、教室に背を向けたんだ。
背中に感じるドアを開ける音。
近寄ってくる足音。
それ以上に、静かな廊下に響きそうな自分の心臓の音が聞こえた。
「何やってんの?」
「はっへっは」
僕は、自分の声の出し方が分からなかった。
ただ、分かるのは、今僕の顔は真っ赤だと言う事。
そして、僕の心臓は爆音を奏でてる。
「どうしたんだよ。蔵元幸人(クラモトユキト)だよね?」
彼女は、僕の顔を覗き込んで、ものすごく笑っていた。
そして、僕の名前を知ってくれていた。
「わっわっ……忘れ物」
呼吸困難になりそうな喉で、僕は声を絞り出した。
「そっかそっか。じゃあね」
彼女は颯爽と、後ろ向きで両手を挙げながら廊下を進んでいった。
前髪は特徴的なぱっつん。
髪の毛は、凄く綺麗な黒髪のストレート。
軽音部に入っていて、学校の行事や、それ以外でもライブをしているらしい。
そして、彼女の周りには、いつも人が集まっている。
僕が幽霊なら、彼女はその影を消してしまうような太陽のような人。
腰塚楓(コシヅカカエデ)
いつも、遠くから見てる彼女の顔が、僕の目の前にあった。
彼女の笑顔が、僕の中に焼き付いた。
不思議だった。
彼女の顔だけは、はっきりと認識できた。
この日、僕は家に帰るまで、どうしていたか分からない。
覚えているのは、大好きな唐揚げの味が、分からなかった事だ。
部屋に戻って、ベッドに横になると、見慣れた天井に彼女が浮かぶ。
でも、思い出したんだ、いつも太陽のような人なのに、黒板の前から廊下に向かう時。
彼女の目は、普段とは対極にあるような凄く冷たく見えた。
それは僕の、気のせいかもしれない。
それと同時に、黒板に手をのばしていた彼女は、いったい何をしていたんだろう。
答えは出るはずもないし、彼女との接点は今日だけだ。
そんな事は、分かり切っている。
彼女にとっては、ただのクラスメートが教室の前にいただけ。
校門を出たら、そんな記憶は彼女から消えている。
分かっているさ。
僕は、ただの教室の幽霊なのだから。
それともうひとつ、僕は忘れ物を忘れた。
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