2
約束の日、僕は彼女の手を取って遊園地へとやってきた。
ただでさえ病弱で、前に会った時より身体が細くなったように見える彼女が心配だったが、ハードなアトラクションじゃなければ、との許可が下りてよかった。
楓からラベンダーの香りが漂ってきて、一層可憐に見える。しかも、服装も僕が一度も見たことのないもので、心臓の高鳴りが止まらない。
人混みを縫うようにして観覧車へ足を進める。彼女の小さくて、ちょっと力を加えただけで壊れてしまいそうな手はどこか冷たい。
夏休み真っ只中の遊園地は当然、カップルか親子連ればかり。奥には忙しなくアトラクションに乗っていく人や、メリーゴーランドが回る様子が見え、声を上げて楽しむ人たちが少し煩い。
「景色、綺麗だね」
隣に座る彼女は切ない表情を浮かべていた。病気のせいでろくに家からも出られない彼女は、この景色を待ち望んでいたのかもしれない。
僕たちの間に沈黙が流れる。なんとかしないと……楓を楽しませるが僕の役割じゃないか。
────カシャッ
無意識にカメラを手に取っていた。ちょうど頂上に来た時の一枚。
群青色の空を背景に、儚い楓の横顔と壮大な景色が映っている。
「え? 」
楓は驚きと共に、目を丸くした。そしてすぐに、微笑を浮かべた。
「写真撮るの、まだ嫌? 」
「……嫌じゃないって言ったら嘘になるかな。でも、前よりだいぶマシになったよ」
「そう? 嬉しい」
別に写真を撮るのが嫌いなわけではないのだけれど。何も言えずにいると、楓はおもむろに口を開いた。
「この時間が、ずっと続けばいいのにね」
彼女の声は震えていて、怯えていた。
僕は無意識のうちに彼女を抱き寄せ、髪を優しく撫でた。すると、楓は肩に頭を乗せた。
「遠くに行っちゃったら、はるくんは私のこと忘れちゃう? 」
「長いこと帰ってこなかったら忘れるかもね」
「えー、もし忘れててももう一回好きって伝える」
「……」
僕も好き、という言葉を発することなく観覧車は1周してしまった。また羞恥心に負けてしまった自分を殴ってやりたい。
観覧車を降りたとき、袖に水滴がにじんだ跡があったが、彼女は何事もなかったかのように笑みを取り戻している。
他のアトラクションは乗れないため、実質観覧車のためだけにここへ来た僕たちは、すぐに戻ることになった。
「はるくんは行きたいところある? 」
「そうだな────」
目の前に流れる透き通った川に太陽の光が反射する。夏を象徴する蝉の声と青と水色を混ぜたような爽やかな青空。風が吹けば芝生の草の匂いが鼻腔をくすぐる。
流水に手を入れてみると、程よく冷たい温度が心地良い。
「隙あり! 」
後ろから楓はカメラを構えて、シャッターに手をかけていた。
「見て見て、いいの撮れた」
自信あり気に見せられたその写真は少しブレていて、彼女は怒った子供のように頬を膨らませた。
「ブレてるなぁ……なんで私が撮るとブレるんだろう」
「あはは、しょうがないんだから」
そう言って僕はカメラを取り、数歩下がる。
シンプルなピースと笑顔。楽しそうに笑っている彼女がこの世のなによりも愛おしい。
────パシャッ
シャッター音が鳴る。僕たちの思い出はまた一つ増えたのだという実感が僕を包んだ。
忘れられない夏になったのだと思うと、写真を撮る気分が前より随分と軽くなった気がする。
「どう? いいの撮れた? 」
彼女は背伸びしながらカメラに顔を覗かせている。腰まである長い黒髪が揺れていて可愛い。ジャンプする度にいい匂いが漂ってきて、どうにかなってしまいそうだ。
上手く撮れていたようで、楓は満足気な笑みを浮かべた。
風が吹いて木の葉が揺れる音が聞こえる。青空の下、僕は人生で一度限りの、今年の夏を噛みしめる。
「にしても、はるくんがここに来たいなんてね。 ほぼ毎日来てるじゃん」
「毎日来てるから、思い出がたくさんあるんじゃない? 」
「あはは、確かに」
それでも、ただの芝生の広場と川になにか特別なものはなくて。
ベンチに座って足を小さくバタバタさせていた楓は、なにかを思いついたようで、唐突に声を上げた。
「ツーショット撮ろうよ! これで」
ツーショットは撮ったことがなかったっけか。楓は意気揚々と僕にカメラを手渡した。
ベンチに腰を下ろし、カメラを太陽の方向へ掲げる。レンズが僕らの方を向いていて、どう映っているかは撮らないとわからない。
「いくよ、せーの」
────パシャッ
重いボタンを力一杯押すと、シャッター音だけが耳に入る。
表示されたのは、不器用で表情の引き攣った僕と、にこりと笑う可愛さ全開の楓。
この写真は、間違いなくこの夏一番の思い出深い写真になった。帰宅した後、僕はその写真だけプリントアウトした。
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