第11話 二股

 12月。キャンパスの街路樹もすっかり葉を落とし、寒々しい景色が広がっている。だが、奏太の心は弾んでいた。

 彼女ができたというだけで、かつて灰色で殺風景に見えた世界が、まるで鮮やかな色彩を取り戻したかのように輝いて見える。


人もまばらな教室の最前列に日葵の姿を見つけると、奏太は迷うことなく隣に座った。


「おはよ」

「おはよ。今日寒いね」

「うん、そのセーター温かそうだね。ざっくりとしたケーブル網もかわいいし」


 今日の日葵は水色のセーターに黒のパンツというシンプルなコーデ。そのシンプルな中にも網目の可愛さに日葵のセンスを感じる。

 奏太が何気なく口にすると、日葵は目をぱちくりさせた。


「そうなの網目がかわいいからお気に入り。でも、セーターの編み目までみるなんて、男の子にしては珍しいね」

「まあ、たまたまだよ。バイト先の従姉妹から教えてもらったんだよ」


 とっさに嘘をついた。凛と一緒に買い物に行ったとき教えてもらった知識だが、付き合っている日葵のまえで、他の女の子の名前を言うのは憚られた。


「そういえば、いとこのお姉さんがやっているカフェってこの近くなんでしょ、今度行きたい!かわいいメイドさんいるって話題だよ」

「あ、いや、それは。バイト先に来られてもちょっと恥ずかしいし、一緒に行くと従姉妹から冷やかされるし」

「まあ、奏太が嫌がるなら行かないけど……」


 不満げながらも行くことを諦めてくれてホッと胸をなでおろす。

 メイド姿で働いているところを日葵に見られたら、破局は免れないだろう。

 

 授業中、講師の板書を写しながらも、奏太は隣に座る日葵にふと視線を移した。

 すると、ちょうど日葵もこちらを見ていたようで、視線がカチリと合う。日葵はわずかに微笑むと、すぐに前を向いて講義に集中し直した。

 奏太も慌てて視線を黒板に戻す。そんな「視線が合う」瞬間が、90分の講義中に三回もあった。


 講義が終わると、奏太が動くよりも早く、日葵が柔和な微笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「奏太、こっち見すぎ」

「はっ!? 視線が合うってことは、日葵も見てただろ!」


 奏太が肘で軽く小突くと、日葵はクスッと楽しそうに笑った。


◇ ◇ ◇


 四限目の講義が終わり、奏太は足早にバイト先のカフェ「レ・グット・ド・プリ」へと向かった。

 ドアを開けると、カウンター席に座った雫が、スマホからふと顔を上げた。


「奏太、あの白石さんって子、すごいわね。インスタグラムのフォロワー、5000人もいるんだってね」

「ああ、あのルックスで、交友関係も広いからな……」

「へぇ~、そんな子に気に入られるなんて、奏ちゃんもやるじゃない」


 雫はにやりと笑う。凛の愛くるしい笑顔を間近で見られるのは嬉しい。

 だが、凛が気に入っているのは「奏」であって、「結城奏太」ではない。


 以前はそれに気づくたびに気落ちしていたが、今は違う。奏太はスマホを取り出し、日葵とのツーショット写真をこっそり見返して、バイトに向けて気合いを入れた。


 カフェ「レ・グット・ド・プリ」は午後も活況だった。

 満席とまではいかないまでも、ひっきりなしに客が訪れ、奏太もオーダー取りや調理、配膳など、慌ただしく働く。


 熱々の湯気が立つ淹れたてのコーヒーを奏太に渡しながら、雫は楽しげに呟いた。


「ミニスカサンタ、やっぱり好評ね。季節感出すのって大事なんだわ。1月はどうしようかしらね? 1月といえば、やっぱり着物かしら?」

「北欧風はどうしたんだよ……」

「そんな理想、とっくの昔に捨てたわよ。いっそのこと、もっとメイドさん増やして、キャバクラ風カフェにしちゃうのも良いかもね。指名料とか取っちゃったりして。そういえば、夜職やめて昼職にやりたがっている子、いたわねぇ……」


 このカフェの今後に対し、一抹の不安を覚えながらも、奏太はコーヒーをトレイに乗せてカウンターから離れた。


 ラストオーダーの午後6時半。奏太がドアのプレートを「営業中」から「閉店」へと変えようとした、その時だった。


「まだ、大丈夫ですか?」


 遠慮がちにドアから顔を覗かせたのは、白石凛。


「あら、白石さん! もちろん大丈夫よ。あら、今日は一人なのね? ……珍しいね」


 雫がにこやかに応じる。いつもは友達を何人か連れてやってくる凛にしては珍しく、今日は一人のようだ。

 凛は慣れた様子で窓際の席に座ると、ホットチョコレートを注文した。


 胸焼けしそうなほど甘い匂いが立ち上るホットチョコレートを凛のテーブルに置くと、彼女はすぐにカップに口を付けた。


「ん~! 美味しい!」


 濃厚なチョコの風味にうっとりしている凛の顔をもっと見ていたい気持ちになるが、ラストオーダーも終わり、閉店準備もある。そうも言っていられない。奏太が席を離れようとした、その時だった。


「ねぇ、奏ちゃん。この後、何か予定ある?」

「特にないけど……」


 奏太の返事に、凛の顔がパッと輝く。


「それじゃあ、駅前のイルミネーション、観に行かない?」


 凛と二人きりでイルミネーション。他の男子が聞けば、羨ましさで嫉妬の炎に身を焦がすだろうシチュエーションだ。だが、奏太の内心は複雑だった。


「あら、良いじゃない! ほら、奏ちゃん、常連さんへのアフターサービスも大事なお仕事よ。後片付けは私がやっておくから、行ってきなさい」


 雫のまさかの援護射撃に、凛はさらに目を輝かせる。


「ほら、オーナーからも許可出たし! 行こうよ、奏ちゃん!」


 無邪気に喜ぶ凛の顔を見ていると、もう断る気力など残っていなかった。奏太は観念し、着替えるため休憩室へと向かった。

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