古びた絵馬
鈴隠
1.
職場の近くに、神社がある。
朱塗りの鳥居は色褪せ、木々は鬱蒼と茂り、昼間でもどこか薄暗い。周囲には高層ビルが立ち並び、人通りの多い通りからも近いのに、境内だけが時代から取り残されたように、静まり返っていた。
数年前、社運を懸けた大きなプレゼンの前日、何の気なしにその神社を訪れて手を合わせた。特別な信仰があるわけでもなく、ただ通りすがりに気まぐれで立ち寄っただけだった。だが、プレゼンは思いがけないほど成功した。
以来、何か大切な仕事や、私生活での節目があるたびに、ふらっとその神社に立ち寄るようになっていた。賑やかな喧騒を離れ、静寂の中に身を置ける場所として、どこか心が落ち着くように思えた。
その日も、特に理由はなかった。ただ仕事帰りに足が向いた。
軽く参拝を済ませた後、私はいつものように絵馬掛けの前へと向かった。小さな神社だが、意外と絵馬の数は多い。「志望校に合格できますように」「あの人と両想いになれますように」……素朴な願いが並んでいる。それを眺めるのが、私は密かに好きだった。人の願いはどこか温かく、優しい。
けれどその日、ひときわ異質な絵馬が目に留まった。
他の絵馬と明らかに違う、古びた板。色が黒ずみ、縁は崩れていたが、紐はしっかりと結ばれていた。それは、そこにあるべきものではないように見えた。
好奇心に突き動かされるように近づき、その絵馬に刻まれた文字を読んだ。
「後ろに気づけませんように」
……意味がわからなかった。願いとして成立していない。けれど、書かれた文字には異様な迫力があった。おそらくボールペンで、板に傷がつくほど強い筆圧で書かれている。
そして、その下にあった名前を見て固まった。
――私の名前だった。
一瞬、理解ができなかったがすぐに同姓同名か、と思い直した。ありふれた名前ではないがいなくはない名前だ。だが、妙な不気味さに、背筋がじっとりと冷えていくのを感じた。
よくある偶然だ、と自分に言い聞かせ、私は神社を後にした。
しかし、胸騒ぎはずっと残ったままだった。
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