欠片

轟零華

欠片(全編)

 夜空を無数の流星が埋め尽くす。十一月の寒い夜。星が綺麗に見えた。隣には、**がいる。



 これは、俺が死んだある日のお話。


◆◆◆              ◆◆◆                ◆◆◆


 夕刻、街が青く染まる頃。俺は変な幼女に出会った。


 それは十一月も終わりに差し掛かったある日の事。俺は学校から帰るところだった。まだ四時半だというのに、陽はもう沈みかかっていた。


 俺は、大通りを早足で歩いていた。マフラーを巻きセーターを着ても、身を切るように寒い。街路樹の枯れ葉が、風に舞っている。


 横断歩道に差し掛かる。俺が渡ろうとした瞬間、信号が赤に変わった。ついてない。俺は内心舌打ちした。


 その時だった。目の前に、小学校低学年くらいの幼女が現れたのは。ついさっきまで誰もいなかったはずなのに。


 そいつは、金髪だった。薄い金色の髪。地毛だとするとかなり珍しい。


 そいつは俺を見上げて言った。


「あと四時間七分三十一秒で、地球は滅びる。水鳥川遥人みとかわはると、あなたは鍵」


 そいつは幼女特有の澄んだ瞳で俺を見つめながら、そう言った。その瞳もまた、髪と同じ薄い金色だった。


「は?」


 なんだこの幼女。頭いかれてるのか? 地球が滅びる? 俺が鍵? 意味が分からない。そもそも、地球が滅びるとかなんの冗談だ。一九九〇年代に流行ったっていうあれか? 時代錯誤にもほどがあるだろう。あと、鍵ってなんだ。つかなんで俺の名前知ってんだよ? 俺はこいつの事なんか知らないぞ?


「だから。あと四時間六分五十三秒で地球は滅ぶ。水鳥川遥人、協力して」


 そいつはさっきと同じように、地球が滅ぶのだと言った。幼女らしい声、けれど口調は幼女らしくなかった。


「何を言っているんだい?」


 俺は、出来るだけ優しい口調で尋ねた。


「信じられないのは分かる。けれど、これは事実。あと四時間六分五秒後に、地球とほとんど同じ大きさの隕石が衝突する。そして、地球は宇宙の藻屑もくずと化す」


 いやいや、信じる信じないの問題以前だ。第一、そんな大きな隕石なら、とっくに観測されて避難命令だかなんだかが出てるはずだ。


「あのねぇ、大人をからかうのはよくないよ?」


 俺は、そう返した。


「……やっぱり幼女のこの姿は都合が悪い。だからあの方にも申しあげたのに」


 幼女はぼそりと何かを言った。けれど、俺には聞き取れなかった。


 信号が変わった。俺は、得体のしれない幼女から逃げるように、横断歩道を渡った。


「待って、水鳥川遥人。まだ話がある」


 幼女は俺を呼んでいたが、俺は無視した。


                  ***


 俺は、大通りを早足で歩いていた。家に帰る道。高校から家までは意外と遠いのだ。もうかなり暗くなってきていた。


 ふと空を見上げると、無数の流星が空に軌跡を描いていた。俺は立ち止まった。綺麗だ。純粋にそう思った。


「水鳥川遥人。話を聞いて」


 急に、声を掛けられた。俺は声のした方を見た。


 そこには、あの幼女がいた。金髪の、変な幼女。


「これは兆候。隕石の周りの小さな塵が、大気圏に突入しているあかし。そして、水鳥川遥人。この隕石は、あなたに引き付けられてやってきた」


 幼女はそう言った。確かに、考えてみればこの流星の量はおかしい……ような気もする。かといって、この怪しい幼女の話を信じようとは思えないが。


「……信じてもらえないだろうけど。私は、過去と未来が見える」


 何を言っているんだろうか、この幼女。


「例えばあなたは今日、朝食に目玉焼きの乗ったトーストを食べた。目玉焼きは半熟。今日の昼は、チョコミント蒸しパン……? を食べた。目当てのパンが売り切れていたから」


 確かに当たっている。けれどこんなのまぐれに決まってる。……まぐれ、だよな?

 幼女は続けた。


「夕食はカレー。水鳥川春香はるかが福神漬けを買い忘れたから福神漬けはなし。どう? 信じてくれる?」


「信じるわけないだろ?」


 未来の話をされても、確かめようがない。どうして俺の母さんの名前を知っているのかは知らないが、信じるわけないだろ。


「そう。残念」


 幼女は、淡々とそう言った。そして、一瞬虚空を見つめてから。


「私なら、行方不明になった幼馴染の行方を教えてあげられるのに」


 そう言った。

                  ***


 行方不明になった、幼馴染……? 俺にそんな人はいない。やっぱりこの幼女、はったりを……。




「……忘れている? 楢居悠里ならいゆうりを」




 ならい……ゆうり? その名前に、何か引っかかるものがあった。思い出せそうで思い出せない、何か。


 その名前に引き出されるように、細切れの、それだけでは意味のないような記憶があふれ出してきた。


 小学二年生の冬、丁度このくらいの時期。俺は、確かに女の子と。


 ――そういえば、目の前にいる幼女はあの時の女の子に似て。




 その時、混乱した思考を中断するかのように幼女が倒れた。俺は幼女を抱きとめようとして。




 すり抜けた。幼女の身体を、俺の腕はすり抜けた。そして、その瞬間。俺ははっきりと思い出した。


                  ***


 楢居悠里。そいつは確かに俺の幼馴染で、そしてある日突然行方不明になった女の子だった。


 俺と悠里は家が近所だったから、小さい頃からよく遊んでいた。小学校に入ってからは遊ぶ機会も少なくなっていたが。


 あれは、丁度今と同じくらいの季節だった。


「おかに、星見にいこ? しし座りゅうせいぐん、ってのが見れるんだって。いっしょに、おねがいごと、しよ?」


 悠里が俺を誘ってくれた。けど、女の子と二人で願いごとしに行くなんて気恥ずかしかったし、それに次の日学校でからかわれたくなかったから、


「いかない。星なんてきょうみねーし」


 って断ってしまった。悠里は


「そっか……じゃあ、わたし一人でいくね」


 って言って、寂しそうに笑って、それから丘の方に向かってかけていった。




 それが、俺の見た最後の悠里の姿だった。


 その次の日、悠里は学校に来なかった。けれど、誰も悠里の事を覚えていなかった。


 勿論、俺も。


                  ***


 俺は、猛烈な後悔を覚えた。どうして俺はあいつの事を忘れてしまっていたのか。どうして俺は、あいつの誘いに素直にうなずけなかったんだろうかと。


 そして、俺は今になって気がついた。俺はたぶん、あいつのことが……好きだったのかもしれない、と。


 俺は、改めて幼女を見た。……似ている。悠里に似ている。


 幼女が目を覚ました。


「……なあ。お前が言ったことって、本当なのか?」


 俺は、間髪入れずに聞いた。


「本当」


 その言葉を聞いて、俺は家に向かって勢いよく駆けた。


                  ***


 家に着くと、勢いよく玄関のドアを開けて、俺は叫んだ。


「ただいま母さん! 今日のご飯何?」


「あら。おかえりなさい、はると。今日のご飯はカレーよ」


 母さんが落ち着いた口調でそう言った。


「それで、福神漬けはある?」


「突然なあに? 福神漬け……? あら、買い忘れてたわ。なしでいいかしら?」


「あ、ああ、いい、けど……」


 幼女の言ったことは正しかった。ということは、本当に……?


「信じた?」


 幼女の声がした。見れば、あの幼女が目の前に立っている。どのようにしたのか、玄関のドア側ではなく一段上がった方に。


「あ、ああ」


 俺は、事態をよく飲み込めないままうなずいた。


「よかった」


 幼女が微笑んだ。それは、俺が初めて見た幼女の感情だった。そして、それは悠里の微笑みのようで。


「詳しい説明をする。でも、場所を変えよう。ここだと、水鳥川春香に聞かれる。いい場所を知っているか?」


 俺は、あの日悠里と一緒に行けなかった場所へ、この幼女と行こうと思った。


星見ほしみの丘はどうだ? あそこなら、きっと人もいない」


 星見の丘。その名前の通り、星が綺麗に見える丘だ。あの日、悠里が行こうと言った丘。


 けれどあの丘は、人気ひとけが少ない。夜歩くには道が危険だからだ。


「星見の丘……。大丈夫、人は来ない」


 幼女は、どこか遠くを見つめながらそう言った。俺は、幼女の手を握った。なんとなく。強いて言うのなら、悠里に似ていたから。


 握れた。さっきはすり抜けたのに。幼女の手は、ほんのり暖かかった。


「ちょっと行ってくる!」


 俺は、母さんに声を掛けてから、家を飛び出した。


「ちょっと、はると?」


 そんな母さんの声が聞こえた。


                  ***


 俺たちは、星見の丘に向かって歩いた。お互い何も話すことがなかったので、黙って歩いた。空を、無数の流星が流れていく。そして、数分でふもとに着いた。丘に登る道の下は、崖になっている。俺は、幼女の手をしっかりと握って登った。


 頂上へは、すぐ着いた。暗くて足元が不安だったが、転ぶこともなく頂上にたどり着くことが出来た。


 見上げれば無数の流星が、夜空に色とりどりの軌跡を描いていた。それはとても綺麗で、下で見たときよりももっと綺麗だった。俺は、星空に見とれた。




 少しして、幼女が口を開いた。


「詳しい説明をする」


 幼女は、こんなことを言った。


 曰く、彼女は"時空の意思"という、時間と空間の意思、のようなもののつかいなのだという。彼女は、"時空の意思"からその力の一部を授けられた。その時、彼女は光そのものとなったのだという。だから、過去と未来を知ることが出来るのだと。


 そして、どうして隕石の情報が出なかったのかの理由も分かった。隕石はどこからともなく、唐突に現れたらしいのだ。各国の機関が気づいた時にはもう、隕石は衝突を回避することも不可能な距離にあったことから、公表しない事が決められたのだと。




 そして最後に、彼女がここに現れた理由を語った。それは、"時空の意思"に使命を与えられたからなのだと。


 彼女は"時空の意思"にこう知らされたのだという。




 水鳥川遥人――つまりは俺――に巨大な隕石が引き寄せられ、地球は滅ぶ、と。


 そして各国の政府が匙を投げるような地球隕石滅亡衝突を防ぐ方法こそ。俺を。




 俺を殺すことなのだ、と。




 笑いが込み上げてきた。乾いた笑い。意味が分からない。"時空の意思"? なんで俺なんかが? 俺は、ただの平凡な高校生だ。ははっ、何を言ってるんだこの幼女。ありえない。




「私は、告げた。だから、死んでもらう」


 幼女は話を終えると、その手にナイフのようなものを握りしめながらそう言った。


「は? ちょ、ちょっと待て」


 俺は一歩後ろに下がった。まさか本気なのか? なんで、なんで俺が。




 気づけば、俺の胸にはナイフが刺さっていた。一瞬遅れてくる激痛。


 一瞬目の前が暗くなって、足元がふらつく。そして、そのまま倒れこむ。刻一刻と命が失われていく感覚。もう、身体に力が入らない。




 誰かが、俺を受け止めた。次の瞬間に俺は、その人の膝に頭をのせられていた。それは暖かく柔らかかった。


 最後の力を振り絞って目を開けば、そこには金髪の幼女がいた。ボロボロ涙を流しながら、俺を見つめていた。


 泣くなよ。俺を刺したのはお前じゃないか。全部、お前の意思なんだろう? "時空の意思"なんだろう? なら、泣くなよ。お前は悠里そっくりで、けれど人類とは異なるものなんだろう? なんで泣くんだよ。


「はる君……? なんで」


 泣きながら、幼女は言った。はる君、それは悠里が俺を呼ぶときの呼び方だった。


「わたし、なんで、」


 そう呟いて、それからすぐに絶叫した。


「わたし、そんなつもりじゃなかった、しんじゃやだよ、はる君!」


 ためらいもなく俺を刺しておいて、なんだよ。胸の奥から怒りがこみあげてくる。俺は、なんで俺は幼馴染に殺されなきゃならない。こんな終わり方、おかしいだろ。


 けれど、もう限界だった。段々と視界が滲んでいく。空を無数の流星が埋め尽くしていた。大きな塊がこっちに近づいてくる。俺は冷たい暗い闇に沈んでいく。


「なんで、滅びの運命は回避――」


 幼女が叫んだ。その瞬間、雷が間近に落ちたような、衝撃と轟音。すさまじい熱波、そして、衝撃波。




 その時、俺は不思議な光景を見た。俺ではない、誰かの記憶。どうしてかその光景は誰かの記憶の中のものなのだと分かった。


                  ***


 舞台は、この丘だった。丘の頂上に続く真っ暗な道を、小学生の女の子が登っていた。表情は、心なしか寂しそうに見えた。


 少女は丘の頂上に着くと、空を見上げた。 しばらく空を眺めて、そして突然に表情が明るくなる。少女の目線の先には、一筋の流星。少女は急いで何か願いを叫ぶ。それから、寂しそうにうつむくと何かつぶやいて、それからくるりとターンして元来た道を下ろうとした。


 その時だった。少女は足元の石に躓き、崖の方へとよろめいた。そして、そのまま崖から落ちてしまう。


 本来、少女は崖の下に落ちるはずだった。けれど少女は、落ちていく途中で宙にかき消えた。



 次、少女が目覚めたのは異様な場所だった。上下も、左右も、周りに何があるのかもわからないほどの闇だった。地面もなく、一体何によって少女が支えられているのかすらわからない。


 突然、声が響いた。何を言っているのかわからない声が。それは優しく、そして偉大さを感じさせた。


 少女は頷いた。そして、彼女はその声の主のしもべとなった。少女の髪は金に染まり、それ以来成長することもなくなった。


                  ***


 そして、この光景の主人公こそ。俺の幼馴染、楢居悠里だった。


 俺は知った。あの幼女は、いや悠里は嘘なんか一つもついてなかったのだと。




「どうして!」


 朦朧とする意識の中で幼女、否悠里の悲痛な叫びが響いていた。何だよ、なんなんだよ。一体何のために俺は、俺たちは。


 無力さが恨めしかった。悔しかった。




 その時、全てが欠片になった。地球は巨大な隕石に砕かれ、そして宇宙の塵と消えた。どこかから、誰かの嘲るような、憐れむような笑いが聞こえた。




 ――これは、俺が死んだある日のお話。そして、地球が宇宙の塵となったある日のお話。

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欠片 轟零華 @Raika_Todoroki

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