第2話 地鳴りの中の独り語

晋三は自分の呼吸音を聞いた。

生きている証明だ。

酸素マスクのゴム管が頬に食い込み、鉄の匂いが鼻腔びくうを刺す。瓦礫の隙間から差し込む光は青白く、まるで幽霊の手のようだった。


「……美恵子?」

呟いた瞬間、右目に激痛が走った。義眼がズキズキと脈打ち、視界が歪む。3日前に移植手術を受けたはずの左目は、今は黒い瞳に変わっていた。


「ここは…天国か地獄か…?」


瓦礫を掘り返す音が聞こえた。救助隊のブーツが土を踏みしめる。だがその足音は、どこか不自然に速い。晋三は必死で手を伸ばすが、瓦礫の重みが体を押し潰す。


「助けてくれぇ!」

声が裏返る。すると突然、周囲の音が消えた。


世界が真空になった。

救助隊の叫び声も、ヘリのプロペラ音も、酸素マスクの漏れる音さえも。晋三は自分の鼓動だけを聞いていた。


「……あれ?」

瓦礫の隙間から差し込む光が、今度は血のように赤く輝いている。晋三は無意識に右手を動かし、壁に触れた。すると、壁がゆっくりと開いた。


「ようやく来たな」

低い声が響く。暗闇の中に立っていたのは、黒いスーツを着た男だった。胸には「中村晋三」と刻まれた金属板がぶら下がっている。


「お前…俺の葬儀に来た奴か?」

晋三の声が震える。男は無言で首を振り、手にしたチェーンソーを地面に突き立てた。


「契約を反故ほごにした罰だ」

チェーンソーが唸りを上げた瞬間、晋三の記憶が蘇った。


22年前の病室。

美恵子が最後の力を振り絞り、晋三の手を握っていた。


「晋三…うちが死んだら…」

「待ってるで」

美恵子の唇が微かに動く。だがその瞬間、晋三は病室のドアを開けていた。契約更新のために。


「違う…!」

現実を否定する晋三の叫びに、男の笑い声が応える。


「お前はずっと逃げてきたんや」

チェーンソーが晋三の右腕を切断した。痛覚はなかった。代わりに、切断面から黒い霧が立ち上る。


「これがお前の罪だ」

男の指が霧を掴み上げると、幻覚が広がった。


晋三は見た。

自分が運転するトラックが、故意に山を滑り落ちる映像を。


「そんな…!」

「未来永劫、この罪から逃れられへん」

男の声が響く。


その時、晋三の左目が再び疼いた。義眼のレンズが割れ、中から黒い瞳が現れた。

「ほな、覚悟しときや」

男がチェーンソーを振り下ろす。晋三の体が宙を舞い、瓦礫の山に叩きつけられる。だが次の瞬間、彼は異世界の荒野に立っていた。


地面は赤黒く、空には二つの月が浮かんでいる。遠くで不気味な咆哮が響き、地面が震える。


「ようこそ、餓鬼道」

男の声が風に溶ける。晋三は右手にチェーンソーを握りしめ、左目の黒い瞳を凝視ぎょうしした。


「……美恵子の仇を討つんや」

呟く声は、関西弁に戻っていた。


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