第43話 CTRL-V episode 38

 なにもかもが――現実じみているのに、どこか作り物めいていた。


 俺はまだ、ディレクトリの社長室にいるはずだった。あの重厚な木の扉をくぐり、社長・大河律と、そしてなぜかそこにいた人気ストリーマー《神》に会った――その続きのはずだ。


「このディレクトリのタカアキ君は、意外と冷静なんだねぇ」


 神が言った。その口調は馴れ馴れしく、そしてどこか芝居がかっていた。


 俺は笑えなかった。背筋に、薄ら寒いものが這うのを感じた。


「……なんであんたがここにいる? ディレクトリの所属じゃないはずだろ」


「それは重要じゃないよ、タカアキ君。重要なのは“君と僕がここで出会った”という事実さ」


 意味がわからなかった。だが、現実の密度だけは異様に濃かった。


「タカアキ君。Vtuberの“卒業”って、どういう意味か、君には分かるかい?」


「……は?」


 あまりに唐突な問いに、間の抜けた声が出た。


「……どうしてここで、そんな話を?」


「どうして、って?」


 神は薄く笑った。どこか、試すような目だった。


「君は、大学を卒業せずに田舎に引っ越した理由って、なんだったっけ?」


 心臓がひとつ跳ねた。


「……なんで、そのことを知ってる?」


「理由は簡単さ。僕が“神”だから」


 ぞくりとした。まるで、俺の背後で誰かがページを捲っているような感覚。


「……お前、本当は何者だ?」


「誰でもあり、誰でもない。僕はストリーマーの神であり、この物語の観測者であり、君の物語の出口を見届ける者だ」


 そして、神は問い直してきた。


「卒業とは、“思い出の存在になる”ということかい?」


「……ああ、そうだ。Vtuberは、人の記憶の中に生き続ける。現役じゃなくなっても、完全には消えない。思い出になるって、そういうことだ」


 神は頷いた。その目には、冷ややかな光が宿っていた。


「それはつまり、“死ぬ”ってことと、同じじゃないかい? 存在を失って、記憶の中だけに残るという意味で」


「……それでも、魂はどこかで存在し続けている。記憶の中でも、動画の中でも。それは純粋な死とは言えないだろ」


 神は目を細めた。


「なるほど。君はもう、家族の死を完全に乗り越えているんだな。このディレクトリも……“彼女”の影響を、色濃く受けている」


 そのときだった。すべてが、止まった。


 社長の動きも、時計の針も、俺自身の思考さえも。




 ◇




 ――静寂の中に、私はいた。


 “私”という意識がそこに立っていた。


 神の前に、私が現れた。


「……タカアキ君に、普通の人生を歩ませてあげて。お願い」


 神はしばし黙していた。やがて、淡々と口を開いた。


「しかし、タカアキ君は君に干渉された時点で、すでに普通の人生から外れている。自覚しているだろう?」


 私は歯を食いしばる。


「それでも。彼が歩ける道を、可能な限り普通に保ちたい。それが、私の……願いだから」


 神はわずかに首を振った。


「君のような“存在”の欲望だけで、人一人の人生を改変する。やはり、それは間違っている」


「……」


「創造主として、君にも、そしてタカアキ君にも、ペナルティを受けてもらう」


 神は手をかざす。


「手始めに、君のCTRLの権限を奪わせてもらう」


 私の胸の内に、なにかが剥ぎ取られていく感覚が走った。


「……私はどうなってもいい。でも、タカアキ君には手を出さないで!」


 必死で叫んだ。神は冷たく笑った。


「直接の干渉はしないよ。ただ、そうだな……君から奪ったCTRLの能力で、“別の物語世界”とこの世界を衝突させてみようか」


「――それは、だめ。それをやったら、この世界にどんな影響が及ぶか……!」


「これは決定事項だよ、“介入者”。君はもう退場してもらう」


 そして、私の存在は空間から弾かれた。


 ――時間が、動き出す。




 ◇




 視界が戻る。何か大事なものが揺らいでいたという、奇妙な残滓だけが残っていた。


「……撮影の準備が整いました」


 社長・大河律が、何事もなかったように口を開いた。


 けれどその声音には、どこか空虚な響きがあった。いや――あれは、誰かの“再生ボタン”で再開された演技のようなものだった。

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