パンをふんだ娘たち

十夏

序章 パンをふんだ娘、インゲル

 むかしむかし、空にある大きな木、ユグドラシルを中心に、アースガルド、ヴァナヘイム、アールヴヘイム、ミッドガルド、ヨトゥンヘイム、スヴァルトアールヴヘイム、ムスペルヘイム、ニヴルヘイム、ヘルヘイムの、九つの世界が存在していました。

 そのひとつ、ミッドガルドのデンマーク地方に、インゲルという、十歳になる美しい少女が住んでいました。

 ある日インゲルは、お母さんのお使いで、世界で最も偉い神様オーディンの神殿へ行き、パンをいくつか捧げてくるよう言いつけられました。

 しかし神殿へ行く途中で雨が降ってきて、道がぬかるみ始めました。神殿の前には大きな水溜まりができてしまい、避けようにも道がありません。

 インゲルは思いました。

「こんな所を歩いたら、自慢の靴が泥で汚れてしまうわ。

 そうだ、パンを置いて、その上を通ろう。

 パンはこんなにあるんだから、二つ三つくらい使っても罰は当たらないでしょう。

 祭壇に捧げるのは、一つあれば充分だわ」

 インゲルはパンを水たまりに置き、踏んで歩きました。

 その時です。インゲルの頭の上に黒い雲がもくもくと現れました。そして黒雲から、男の声が聞こえました。

「傲慢な娘、インゲルよ。

 お前は私に捧げられるパンを汚した。

 その罪の重さで、暗き国ニヴルヘイムの底に沈むがよい。

 恐ろしき死者の岸と呼ばれる、ナーストレンドの館で、

 蛇たちに血をすすられるがよい」

 黒雲はたちまち大きくなり、インゲルに雷を落としました。インゲルは男の言葉の通り、水たまりに沈んでいきました。それきり、インゲルの姿は見えなくなりました。

 その様子を、オーディンの使い魔のカラス、フギンとムニンがじっと見ていました。

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