君に美味しい料理と歌を
黒宮涼
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トマトのリゾット:ラブソング
第1話 私を形作るもの
女の子は朝から大変である。起きたらまずスキンケアをするために顔を洗って、タオルで拭く。化粧水と美容液と乳液を顔にまんべんなく塗る。順番なんてうろ覚えだ。
洗面所を出て自室に戻り、クローゼットを開ける。白い半そでニットと、黒いストレートパンツを取り出して着る。 灼熱の夏が終わり、そろそろ肌寒くなってきたので、上着はアイボリー色のカーディガンを羽織った。
今年の夏は、外に出たら命の危機に晒されるほど暑く、熱風が顔を包んだ。やけに長く感じた夏の暑さがやっと落ち着いてきたと思ったら、今度は急に寒くなった気がする。体温調整が難しいと感じるぐらいだ。
再び洗面所に戻ると、次は化粧だ。化粧下地とファンデーションを塗る。(最近は面倒なので、オールインワンを使っている)パウダーを顔の全体にまぶしてから、目元のメイクにうつる。
眉毛を整えて、眉頭からアイブロウをひく。濃くしすぎないように注意だ。アイシャドウには、ベージュカラーを選んだ。私は左目からベースを塗り、色を重ねてグラデーションを作り、アイラインをひく。同様の動作を右目にもした。マスカラは苦手なのでビューラーでまつげを上げるだけにする。
これを毎日するのは、本当に骨が折れる。けれど、私の場合は周りの友達が髪色や化粧が派手な子ばかりで、どうしてもやらなければならない。 周りに合わせることが、私たちの常識なのだから。本当は面倒だと思っていて、常にすっぴんでいたいと思っているのは内緒だ。
私は、美容師専門学校に通っている。
女性が美しくなりたいと思うのは、とても自然なことである。例えばそれが自分のためだったり、好きな人のためだったり理由は人によるだろうけれど、他人を美しくしてあげたいという思いは、その延長線上にあるのだろう。
しかし、私は美容師になりたい理由がたまたま、実家が美容室だったからというものだった。私は一人っ子で、実家を継ぐために美容を学ばなければならなかったのだ。周りとの熱量の違いを感じても、仕方がないと思う。
実家を継ぐのが嫌なわけではないが、果たして私にその仕事が向いているのかどうかは、甚だ疑問である。
今日は学校が休みだけれど、朝から薬局のアルバイトを入れていたので、いつもより落ち着いた化粧をしたつもりだ。それでも、店に行けばお局さんから派手だねとか言われてしまうのには、一か月も働けば慣れていた。
一人暮らしをしているアパートから歩いて二十分。自転車を使ってもよかったが、ついていないことに、先日チェーンが壊れて修理に出したばかりである。
*
到着すると、急いでロッカーを開けて荷物を放り込んだ。指定のエプロンに着替えてから、タイムカードを機械に差し込んで出勤した。友達のバイト先では、スマートフォンのアプリで出退勤をするらしいので、うちはまだ前時代的だなと思う。
先に出勤していた店長に、「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と元気に挨拶した。
私はバイトをするときは、元気に明るくをモットーにしている。むしろそれしか取り柄がない。自分は仕事ができるほうではないことを、自覚しているからだ。
出勤してから一時間が経過したころ、「坂井さん」と三十代後半で子持ちのパートに、声をかけられた。
「はい。なんでしょう」
私がアルバイトしている薬局には、お局と呼ばれる五十代の女性と、この三十代後半のパートの女性がいる。私は二人とも苦手だが、そんなこと口に出すことはできない。私は笑顔で振り向いた。いくら苦手な職場の人間とはいえ、眉間にしわを寄せた顔をみせるのはよくないと思う。
「あなたこれ。値札間違っていたわよ。隣の商品と逆よ」
「え。すみません」
私は、慌てて頭を下げて平謝りする。
「はぁ」
という大き目のため息が聞こえてきて、私は思わず目を閉じる。小言が聞こえてくるのではと思ったのだ。
「まぁ、いいわ。気をつけなさい」
「はい」
予想外の言葉が飛んできて、私は拍子抜けした声で返事をしてしまった。なんだかいつもと様子が違うと感じたのは、今日はこれで二回目だった。
首をかしげながら、作業に戻る。
「なんだお前。またやらかしたのか」
パートがレジに入ってしまったので、私が段ボールから商品を棚に並べていると、後ろからまた声をかけられる。今度は最近入ったばかりのアルバイトの青年だった。歳が同じだからか、私のほうが先輩にも関わらず、ため口を使ってくる。
「そんな言い方しないでよ」
私は口をへの字にしながら言った。
「悪い悪い」
後輩の倉餅新二はそう言うと、いたずらした子どものように笑いながら、去っていった。
彼と話すのは気楽ではあるものの、いつもからかうような物言いなのは困ったものだ。そのうえ、私が彼と話していると毎回、五十代のお局が鋭い目つきで私をにらんでくるのだ。
きっと若い男の子が好きなんだ。そうに違いない。嫌だな。と思っていると、再び「坂井さん」と後ろから声をかけられたので、私はおそるおそる振り向いた。お局の声だったからだ。
「はい」
「店長がよんでいます。一緒に来てください」
「え?」
今日は本当に、なんだかいつもと様子が違う。
スタッフルームには、顎ひげを蓄えた六十代の店長と、お局が立っている。店長は神妙な顔をして私を待ち構えていた。
「坂井さん。すまないが」
その後に続く言葉を、私は思いだしたくない。
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