第2話 ボルゴ伯爵
霧が晴れた途端。
琉酔乱の前に、優美な町並みが横たわっていた。
辺境の森の中に広がる、美しい都市だ。
城壁は見当たらない。
自然の川が孤をえがくように流れていて、そこに石組の橋がかかっている。
それが防備といえば、いえないこともない。
頭上には陽光がきらめき、森の木々は青々とした葉を繁らせている。
そのあふれる光をあびて、都市と家々は、黄金と瑠璃色に照りかがやいている。
都市の外観は、全体的に低い作りである。
しかし、それでも数本の尖塔がたちならび、神殿らしい、ひときわ目だつ建物もある。
これほどの規模ともなれば、中で生活する人々の数は、少なく見積もっても、数千人は下らないだろう。
だが……。
たしか今は、日暮れの刻だったはず。
花梨が腹をすかし、早く夕食にしようと騒いだのは、ほんの少し前ではなかったか。
それに対し、霧の中では危険だから
「いかがなされました?」
先ほどの声の主である。
ふと我にかえると、目の前にたっていた。
銀色の長い髪をもつ、美しい娘である。
たくしあげた絹のような髪を、ゆったりと背後で束ねている。
膚の色は、もっとも北方のミリア人よりも白い。
ほとんど、色素というものを持たぬかのようだ。
耳には、花びらの形をした可愛らしい金のイヤリングをつけている。
それは琉酔乱の見かけた、ゆいいつの装飾品だった。
目の色は、透きとおった深い湖の色。
その蒼い瞳が、しんと琉酔乱を見つめている。
「いや……美しい町だ」
「このエフェネルは、マルーディアでもっとも気高く、もっとも美しい人々の住む町です。そして、それをねたむ外部の者が、なんとかして、この町を我がものとしようと浸入を試みています。あの森の霧は、それを防ぐ天然の防壁なのですよ」
「なるほど。心の清浄な者しか入れないわけか」
自画自賛に等しい一言。
それが臆面もなく、するりと口をついて出る。
自分では、しごく当然だと思っている。
それが、琉酔乱である。
「おもしろい御方」
娘は口に手をあてると、上品に笑った。
「名は、何という」
「ラミアです。さあ、参りましょう」
「どこへ?」
「領主様がお待ちです。霧の壁を抜けてこられた旅人は、どなたも町の大切なお客様。ここの領主である、ボルゴ・ゼントラール伯爵様も、さぞや首を長くして待っておられることでしょう。さあ、こちらへ」
ラミアと名のる美しい娘は、そう言い残すと、先にたって歩きはじめる。
「エフェネルのボルゴ伯爵か……」
なにを思ったのか。
琉酔乱は、唇の端を小さくゆがませた。
そして、ふうっと溜息じみた笑いを浮かべる。
その顔のまま、ラミアのあとを追った。
※※※
「ほほう、珍しい物を」
ボルゴ伯爵は琉酔乱を迎えると、真っ先に背中の金具を指さした。
琉酔乱の招かれた所は、古式豊かな謁見室である。
いまではレチアの離宮にわずかばかり形式のみを残す、階段状の台と宝石飾りの天蓋。
そして左右からたれる、絵物語の刺繍された天幕……。
それらが、ここでは新品同様の状態で使われていた。
ボルゴのいでたちも、おとらず豪奢だ。
ゆったりとしたチュニックに身をつつみ、胴には黄金と
十の指には、それぞれ宝石の指輪が光っていた。
習慣なのか、武器のたぐいは身につけていない。
「これか?」
琉酔乱は、背中に腕をまわした。
背負いひもを外し、前に持ってくる。
T字型をした、ひと抱えはある奇妙な金具を見せる。
「斬光剣をお持ちとは、なかなか面妖な旅人だ」
「なぜ、知っている」
琉酔乱の眼が、ほんのすこし険しくなる。
そのままの顔で、じっと相手を見つめた。
しかし視線を真っ向からあびたにもかかわらず、ボルゴの表情はまるで変らない。
反対に、小馬鹿にしたような笑いを漏らす。
「なにを、恐れておるのだ? このエフェネルは、まさにマルーディアの美と智の中心。その斬光剣も、もともとはこの都市の所有する宝であった。それが無事、里帰りを果たしたというのだ。それをもたらした功労者に驚いたとして、どこが悪い?」
「これが……ここの宝だった!?」
琉酔乱の困惑は、ますます深くなった。
この魔導の剣が我がものとなったのは、今から六年ほど前のことである。
それ以来、何度となく、その出自を自分なりに調べてみたことがある。
遥かな昔。
英雄レオンが、ジルム山中の太古の遺跡――忘却の洞窟の奥から、これを持ち帰った。
そののちも、この剣は時の権力とともに、果てしなく流浪をくりかえした。
しかし……。
その記録のどこを探しても、エフェネルの名は出てこない。
「英雄レオンより斬光剣を受け継いだ、第一代聖王エルダインは、のちにリギア異端王と呼ばれるようになった反逆者によって殺された。
そののちダルタネン決戦によって、エルダイン二世がふたたび平和を勝ちとるまでの二十年間、このマルーディアには戦乱の嵐が吹き荒れた」
「知っている。歴史で習った」
「ほう、それは偉い。だがその間……マルーディアに真の聖王がいなかった時代、斬光剣の行方はどこにあったと思う?」
「それが、ここというわけか」
「なかなか、理解の早い若者だ。さすが聖剣の保持者だけはある」
「で、俺になにを希望する?」
茶番は好きではない。
のらりくらりと茶を濁すくらいなら、多少波風がたとうとも真正面からぶち当る。
それが、琉酔乱である。
案の定、ボルゴは眉をひそめた。
「おぬしは少しばかり、品性に欠けるところがあるな」
「ほっといてくれ」
「では、こちらも単刀直入に言おう。その斬光剣、このエフェネルの神殿に奉納してはもらえぬか」
「………」
「もともと斬光剣は、ここのハーン神殿にまつられていたもの。聞けば、エルダイン二世のあとを継いだ第三代聖王ミルファンは、まるで斬光剣の存在など知らぬ様子。
さらには英雄レオン以来、その剣を使いこなせた聖王はいないと聞く。それならば、いっそ……」
「ミルファンの息子、シタンは使える」
話をさえぎった琉酔乱に、ボルゴは首をかしげた。
「シタン? ああ、あのまだ元服前の王子のことか。期待するのは結構だが、望み薄だろうな」
「シタンは紫丹王となり、レオン以来の斬光剣の使い手として、歴史に残る聖王となる。彼の手によってマルーディア、アボリア、ラテリアは合併され、歴史始まって以来の、ランドキア統一王朝が誕生するのだ」
「おぬしは、ガリレアの密偵かなにか……聖王家に、なんらかのつながりのある者らしいな。そうでなければ、ランドキア平原で最強のラテリア王国を、マルーディアが併合するなど、そんな夢物語を広言するはずがない」
「夢物語か」
琉酔乱の、頬に刻まれた微笑みが、いっそう深くなる。
「無駄話には、そろそろ飽きた。さあ、渡してもらおう」
「嫌だと言ったら?」
「おぬしが、いかに腕のたつ武人であろうと、儂に逆らうことは不可能だ。それでも、あえて逆らうとあれば……ではすこし、頭を冷やしてもらおうか」
その言葉が終わらぬうちに。
琉酔乱の足もとが、ぱっくりと二つに割れた。
とっさに、跳躍を試みる。
が、とても足りない。
なにしろ足もとに開いた落し穴の広さは、ボルゴのいる玉座の前の階段ごと、この部屋の半分ほどにも渡っている。
視界の中を、ボルゴの姿が上にすべる。
漏斗状になった穴だ。
その中を、琉酔乱は、まるで滑り台を駈けくだるように落ちていった。
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