第3話 造り酒屋の若旦那
「……はあっ?」
女戦士の大きな溜息が、広場中に反響する。
みじかい問答のあいだに。
『若』と呼ばれた男は、石畳の上でみごとに眠りこけていた。
「
「いや、
女戦士――蛮虎は、背おっていた巨大な袋をおろした。
中から瓜筒に入った酒を取り出す。
――すぽん!
こきみ良い音とともに、栓を抜く。
「ぬうッ……!?」
男の目がカッと見開かれる。
「面妖な……酒の気配がする」
「ほら、な」
蛮虎は笑顔ひとつ浮かべずに、あきれている花梨を見た。
「おめーらなぁ! 遊んでるんなら、おいらは行くぜ」
リュータは、とっくにしびれを切らしている。
すばやく背中をむけた。
こんな頭のイカレた連中などと、のんびりと話をしているヒマなどない。
一刻もはやく、母親に首飾りを届けなければ……
そしてすぐに、この
それしかラボールたちの目をくらます方法はない。
――ザッ!
眼前に、魔法のように薙刀の刃が現れた。
「うわわわっ!」
「動くな。まだ話は終わっていない」
蛮虎の手には、収縮自在の柄をもつ大ぶりの薙刀が握られている。
やがて、天から酒筒がふってきた。
酒筒を宙に投げあげ、そのほんのわずかなあいだに、背おっていた薙刀を抜きはなったのだ。
とてつもない技量である。
リュータは逃げきれぬことを悟った。
「若、どうするのだ?」
男は鼻をほじくっている。
鼻毛をつまむと、ぶちっと引きぬく。
「いててて……」
痛さのあまり涙をにじませた。
しかしよく見ると、下品なわりには整った顔立ちをしている。
それどころか、かすかに気品すらふくんだ、見事な美男子と言ってよい。
ただし埃にまみれていなければの話だが。
蛮虎は褐色の肌をもつガルト人。
花梨は蒼白の肌をしたミリア人。
しかしこの男は、リュータと同じ黄白色の肌をしている。
そしてマルーディアでは、黄白色の肌は、
だが……。
この男を見るかぎり、とてもそのような身分とは思えない。
それはリュータも同じなのだが。
もちろんながい歴史のあいだには、没落していった王家の末裔もたくさんいる。
それにミリア人とガルト人の混血でも、たまに黄白色の肌の子が生まれることもある。
そういう意味では、いくら美形とはいえ、抜いた鼻毛を嬉しそうに見つめている男より、覇気あふれるリュータのほうが、より高貴な名を継ぐにふさわしそうだった。
「どうするって……俺は関係ない」
鼻毛を吹きとばす息に声をのせ、男はつまらなそうに言った。
「でも、若の采配がないと」
「そいつ、盗んでないって言っているぜ」
男は、はじめてリュータを見た。
緊張のかけらもない顔である。
軽く波打つ黒髪を、ぼりぼりと手で掻きまわしている。
蛮虎のもつ酒ほしさに、しぶしぶ口を開いた……。
ありありと、その顔にはそう描いてある。
「
「ふふん。それが俺の長所だ」
「じゃ、おいら、帰るね」
言葉より先に、足を動かしはじめる。
「待て」
「な、なんだよ!?」
おっかなびっくり、ふりかえる。
「今夜は、白狼亭に泊まる予定だ。なにかあったら尋ねてこい」
「なんでおいらが、あんたらの宿に行かなきゃならないんだ!?」
「隠れ家が必要だろ?」
「へッ! それじゃあ、おとついの晩にでも行ってやらあ」
「俺の名は
「ガリレアの都でも三本の指にはいる、造り酒屋『嵐菊』の若旦那様ですわ」
おっとり刀で、花梨が追加する。
「なんだ、酒屋か」
「悪かったな。職業に貴賎はないぞ」
「それにしても……なんで、おいらをつけまわす?」
「気になったからだ」
「………?」
「まだケツの青い餓鬼が泥棒を働いて、ヤクザに追いかけられている。善良な市民だったら、とっ捕まえて尻を引っぱたくのが義務というものだ」
「ふざけんな!」
「それが年長者にむかって吐く言葉か?」
蛮虎がぼそりと吐き捨てる。
手にした薙刀が、するするとのびる。
グワッと増した殺気が、蛮虎の本気を物語っている。
「うわわっ!」
リュータは、あわてて飛びすざった。
「やめろって! あぶねえ姉チャンだなぁ! それにおいらは、ちょいとばかし忙しいんだ。あんたたちみたいな酒飲みの
「なるほど。言い得て妙とはこのことだ」
琉酔乱は、心の底から感心している。
「蛮虎、花梨……俺たち酔っぱらいの反吐だってさ」
悪態をつかれたのに、なぜか喜んでいる。
もしかしたらこの男、腹を立てる神経が欠落しているのではないかと、リュータは疑った。
しかしすぐに首をふって、いらぬ考えを吹き飛ばす。
帰りを待ちわびている、母親のことを思いだしたのだ。
「それじゃ、あばよっ!」
捨ぜりふを残し、闇にむかって走りだす。
噴水をまわりこみ、路地のかどを曲がって姿を消した。
やがて……
蛮虎から酒筒を奪い取った琉酔乱は、ぐいっと一口あおった。
そして、ただ一言つぶやきを漏らす。
「花梨。行け」
「はいっ!」
花梨の艶やかな衣が、ふわりと宙に舞う。
まるで夜光蝶の羽ばたき。
次の瞬間、花梨は消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます