『抜刀! 琉酔乱』青嵐王異伝

羅門祐人

第1話 リュトラの雑踏にて

              ★初出……『ネオファンタジー誌』 大陸書房

                             書籍未掲載


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「こらぁーッ。まちやがれーッ!」


「やなこったい。あっかんべー!」


 リュータは逃げた。


 倒れそうなほど身体をかたむけ、ひたすら走る。

 息が熱い。


 心臓が倍の速さで脈打っている。

 透明な汗が、玉となって散っていく。


 かるく波打つ金色の髪。

 そのやわらかな色の波が、全力疾走の巻きおこす風で、勢いよく後方へとなびいていく。


 ――タッ!


 年季のはいった石畳に、勢いよく踵を打ちつける。


 バネ仕掛けだ。

 そう思うほど、身体全体がしなやかにたわみ、そしてよく跳ねる。


 見事な跳躍を見せながら、自由市場の人ごみの中をすり抜けていく。


 追いかけているのは、地回りのチンピラ。

 そしてリュータは、こそ泥。


 こそ泥はチンピラにとって、天敵にも等しい存在だ。


 地回りのヤクザと露天商のあいだには、暗黙の契約が交わされている。

 法外なショバ代と引きかえに市場を守る。


 ほとんど恐喝にも等しいものだが、それでも契約は契約。


 というわけで。

 盗みの常習犯――リュータを見つけたからには、捕まえて袋叩きにする義務がある。


(そんなこと、知ったことかい!)


 リュータは、ヤクザの取り決めなど気にしない。


 店の売物を盗むのは、一種のスリリングな遊び――ゲームなのだ。

 そこでは凶悪なヤクザですら、鬼ごっこに欠かせない『鬼』の役目になってしまう。


 商店主は怒鳴るだけで、追いかけてはこない。

 追いかけでもしたら、たちまち第二第三のリュータが現れて、店の商品はすっからかんになってしまう。


 ところが、チンピラどもは違う。

 リュータのような市場あらしがいること自体、組のメンツを潰されたと考える。


 そろいもそろって応用のきかない、完璧な短絡思考の持ち主ばかり……。

 ましてやゲームなどと思うやつは、天地がひっくり返っても存在しない。


 それどころか、今日のリュータは市場あらしとは別の理由で追いかけられている。


 打ちふるその手には、黄金の光をはなつ見事な首飾りがにぎられている。


 激しくゆれる中で輝いているのは、中心に埋めこまれた大粒の月石ルナストーン


 それは宝石の中の女王。

 神秘の魔石とも呼ばれている。


 なるほどリュータのような小僧っ子には、まったく似つかわしくない。


 チンピラどもが、血相をかえるのも無理はなかった。


 そんな大層な代物を、自由市場の露天商が売っているわけがない。

 あろうことかリュータは、それを闇旋風組ラ・ボ・トルネドの本拠地から盗んできたのである。


 闇旋風組は、この街を牛耳っている。

 チンピラどもは、そこの私兵。


 リュータは白昼堂々、闇旋風組の敷地内にある統領ラボールの私邸に忍びこんだ。


 それだけでもえらい事なのに、少年による強奪となれば、ヤクザの面目はまる潰れだ。

 すぐさま追手が召集され、なりふり構わぬ追跡が開始されたのは当然のことであった。


 リュータは、チラリとふりかえった。


 追ってくる野郎どもは、三人にまで減っている。


 高級住宅街から平民街にいたる数町で、ほとんどの者は煙に巻いた。

 この自由市場まで追いかけてきたのは、いくら体力を使っても屁とも思わない、バケモノじみた連中だけだ。


 リュータは幼いころから、父親に拳法をたたき込まれてきた。

 それは父の死によって中断してしまったが、いまも鍛練だけは続けている。


 しかしいくら鍛えようとも、まだ十二歳である。

 若木のような肉体には、技にともなう筋力が不足している。


 くやしいが、離れて打ちあうならまだしも、筋肉のバケモノのような相手との組討ちともなれば、こちらに勝ち目はない。


 だから、逃げた。


 逃げながら知恵を絞り、なんとかやつらを打ち負かすつもりだ。


 リュータは下着をめくり、くりんとした尻をむきだしにした。


 追いかけてくる三人の男どもに、これでもかと見せつける。

 あげくの果てに、ぺんぺんとたたいてみせた。


「ここまで、おいでーだ!」


「この糞餓鬼が!」


 案の定、ひとりが頭にきた。

 腹立ちまぎれに、立ちすくむ主婦をなぐり飛ばす。


 けたたましい金切り声。


 買物篭をさげた女は、いきおいよく石畳の上にぶったおれ、すぐに口から泡をふいてガクガクと痙攣しはじめる。 


 路上にぶちまけられた野菜や果物。

 ヒステリー発作をおこす周囲の女たち。


 余波をくらって一膳めし屋の屋台がつぶれ、テントにコンロの火が燃えうつる。


 キナ臭いにおいと大量の煙。

 それが街路の幅いっぱいにたちこめる。


 怒号と悲鳴が錯綜しつつ、混雑する自由市場は、たちまち逃げまどう人々で大混乱におちいった。


 リュータは、いきなり近くのテントに飛びこんだ。


 先頭にたって追いかけていた男がニヤリと笑う。

 やっと追いつめたとばかりに、意気揚揚にテントの中へ入っていく。


 垂幕をめくった途端。


 すさまじい笑顔を浮かべたリュータが、目の前にまちうけていた。


 両手に青々とした丸瓜を握っている。


「これでも喰らいな!」


 瓜は男の顔面に命中した。


「ぐわッ!」


 男の鼻づらが真紅に染まる。


 大量の鼻血が、ぼたぼたと石畳を濡らしていく。

 衝撃のあまり棒立ちになり、ついで真うしろにぶったおれていく。


「ざまーみろってんだ!」


 リュータは歯をむきだして、会心の笑みを浮かべた。


 だがすぐに、新手が登場した。


 倒れた男のむこうから、どやどやと仕切り布をめくって入ってくる。


「手間、かけやがって……」


 男どもの顔には、うっすらと笑いが張りついている。

 仲間がやられたというのに余裕の表情である。


 なにしろヤクザ側には、まだ屈強な男が二人も残っている。

 それに対し、こちらはまだ尻の青い餓鬼――リュータひとりなのだ。


 テントの入口はひとつで、背後は漆喰の壁。

 リュータに逃げ場はない。追い詰められた小ネズミそのものだ。


「はやく盗んだものを渡しやがれ。そうすりゃ、命だけは助けてやらぁーな」


 お仕着せがましくヤクザが言う。


 ……嘘にきまってる!


 リュータは威嚇する猫の表情になった。


 キリリと眉をつりあげ、歯をむき出して唸る。


 純粋な恐怖と限界まで高められた興奮。

 それが全身から、メラメラと燃えあがる峻烈な『気』となって放出されている。


「破ッ!」


 返事は小さな息吹きだった。


 弾かれたバネの速さで、うすら笑いを浮かべる男の側頭部を蹴りとばす。


 その足でテントの支柱をも引きたおす。見事な飛び旋風脚である。


 男たちの頭上に、バサッとぶあつい麻布がおおいかぶさった。


「ばーか!」


 リュータはあざけりの言葉をのこし、ふたたび雑踏の中へと消えた。


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