第三話 妖精

「……その、私の入会が認められないなら、そう言っていただきたいです。無理を言うつもりはありませんから」


 彼のためらいを嗅ぎ取ったアシュリーがそう申し出たところ、先輩は首を横に振る。


「そうじゃない、君に問題があるわけではなくて……俺なんだ。あー、そうだ。もう名乗った方がわかりやすいな」


 がしがし頭をかきながら呟く。まるで何かを観念したような面持ちだ。


「自己紹介が遅れてすまない。俺は3回生のグレン・エンフィールドだ」

「……エンフィールド?」


 先輩の名前を知れたこと自体は嬉しい。しかしアシュリーは首を傾げた。聞き覚えのある名字。記憶をたどっていくうちに、彼女の顔から色が失せていく。


「あ、あのぉ……北西部に広大な領地を持つ公爵家のお名前が、エンフィールド家だったかなと思うのですが……もしやご関係が?」


 そろそろ手を挙げるて尋ねると、苦々しい面持ちでグレンは頷く。


「ああ、俺の実家だ」

「そっ、それは確かに、私なんかが気軽に話していいわけないですよね……!?」

 

 さすがのアシュリーも動転する。

 広大な領地と軍事力を誇り、王政にも影響を与える有力貴族エンフィールド公爵。その息子が、目の前にいるグレンなのだ。

 対してアシュリーはド平民である。南部にある田舎の農村出身で、土をいじり羊の世話をして生きてきた。本来ならば、グレンのような大貴族と顔を合わせることもない身分。


(そりゃこの学園にはお貴族様もいるってわかってたけど……エンフィールド公爵はさすがにレベルが違うでしょ……!)


 アストルム魔法学園は、『万徒平等』を謳っている。他国と比べて魔法文明が劣るこの国では、魔法使いの育成が急務。そのため国が設立したこの学園は、身分問わず、魔法の才さえあれば誰でも入学を認められる。

 ここでモノを言うのは魔法の腕だけ。身分を理由に他者への態度を変えてはならない。そんな理念が掲げられているが、エンフィールド家の息子を前にしても通用するかどうかは微妙なところだ。


(えっと、どうすべき……!?学園のルールに則るなら、普通に先輩として接するべきだけど、でもわざわざ名乗ったってことは、態度を改めたほうがいい……!?)


 ぐるぐる考えてしまって結論が出せない。そんなアシュリーを見て、グレンは苦笑する。


「……ほら、俺がいると困るだろう?」


 どこか切ない笑み。諦めることに慣れきってしまった、そんな寂しさが滲む。


「勘違いしないでくれ、貴族相手の礼儀を求めているわけじゃない。ただそれでも……萎縮してしまうだろう? 俺のような人間がいると。だから君にも、もっと相応しい居場所があると思うんだ。こんなところじゃなく――」

「……そ、それは違います。私に相応しい場所を、あなたが勝手に決めないで」


 気づけばアシュリーは口走っていた。貴族相手に不敬な物言い、学園の外ならば斬り捨てられてもおかしくない。

 だが、黙っていられない。


「私はここに入りたい、伝承を知りたい、その熱意は絶対に嘘じゃない。あなたが私に入ってほしくないのは勝手ですけど……それをまるで、私を慮っている風にしないでください」

「……すまない。そういうつもりではないんだ」


 ばつが悪そうに、グレンの視線が泳ぐ。無礼なアシュリーの態度に憤ることもない。その瞳を見てやはり確信する。彼は、優しい。きっと話せばわかってくれる。


「私は、妖精について知りたいんです」


 ごく限られた人にしか話していない、伝承に興味を持った理由を打ち明ける。


「私は故郷の森で、妖精と出会いました。自然を愛し自然に愛され、自由に生きる彼らに憧れました。他にどんな妖精がいて、どんな暮らしをしているのか、私は知りたいんです」

「……待ってくれ、今なんて言った? 妖精と、会ったことがある?」


 グレンが目を見開いている。冷静な彼の表情を崩せたことが、少し小気味よい。


 妖精は長い間、実在すら怪しまれてきた生き物だ。一応今は存在が認められているが、まだ迷信だと唱える者も多からずいる。人を好まず人里を避ける。そんな妖精を実際に見た者はごくわずかだ。


「私は妖精についてもっと知りたい。憧れの存在について学びたいって、当たり前の感情でしょう? だからこの研究会じゃないとだめなんです」


 妖精についての文献は非常に少ない。本気で探すとすれば、伝承や民話を漁るのが最も手っ取り早い方法なのだ。

 アシュリーはひとつ呼吸をする。伝えるべきことはすべて伝えなくては。


「妖精だけじゃない、この世界に生きる多様な民族や種族を私は知りたい。異なるからこそ世界は豊かで美しくて、楽しいと思うから……だから、それよりちっぽけな身分なんかに、囚われたく、ありません」


 毅然と言い切った。しかし指先は震えている。公爵子息相手に、ありえない発言のことは重々承知の上だ。それでも、憧れの研究会を簡単に諦めたくない。 

 どうにか主張はぶつけたが、それでも緊張は消せない。


 ちら、とグレンの表情をうかがうと、彼は目を丸くして固まっていた。しばしの沈黙。不安が募って、だんだんアシュリーは息苦しくなってくる。


「……そうか、そうなんだな」


 ようやくグレンが呟いた。


「嫌なことばかり言ってすまなかった。君が入会を望むなら、俺に拒否する権限なんてない」

「そ、それは……伝承研究会に、入ってもいいってことですか?」

「当たり前だ」


 グレンの声が優しさを帯びる。


「俺が何者であろうと君が気にする必要はない。君が知りたいことを、突き詰めるといい。ここはそういう場所だ」


 そしてグレンが手を差し出す。


「改めてようこそ、そしてよろしく。アシュリー」

「……はいっ!」


 満面の笑みで、アシュリーはその手を握り返した。

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