1−2

 現場に到着してからは、やるべきことを順々にこなしていく必要がある。

 雨が降っているなら、まずは自分の油合羽あぶらがっぱ頭巾フードを立てる。足元が滑らないことを確認しつつ、馬車の扉を開けて先に出る。前後左右の確認。馬車周辺に異常がないかの確認。そうしたら、あらためて御者に停止の合図を出して、馬車の入り口まで戻る。そして中に残っている人の足元に気をつけながら、その手を取って、馬車の外に導く。雨の日は、傘が必要かどうか先に聞いておく。このひとの場合、大体は、不要だ、の一言で終わるが、確認しておくに越したことはない。


 そうやって馬車からゆっくりと導き出したのは、大男である。


 見上げるほどに背が高く、分厚い。深い褐色の肌。おそらくは剃り上げているであろう禿頭。そして顔半分を覆う、短く刈り揃えた白髭が、肌の色と対比されて目立っている。大きな体の割に小さく、少し落ちくぼんだ青色の瞳。その周囲を、峡谷のような皺がいくつも走っている。


 そういう、男だった。


 ダンクルベールは左手に持った杖を鳴らしながら現場に降り立った。それだけで、先に現場に到着していた警察隊の空気が引き締まる。


「さて、ペルグラン。見るべきものを見ていこう」

 言われてペルグランは、思わず固い返事をした。


 自分のおよそ三倍は生きている人間である。存在感が違った。行き交う先輩隊員たちが視界にそれを収めるなり、居住まいを正して敬礼する。それに対しダンクルベールは、手でそれを制する。そのまま、そのまま。形式で仕事を邪魔することは本意ではないと本人も常々言っている通り、あまりそういうところにはこだわらない。

 杖をついた、いくらかに足を引きずった老人ではあるが、歩幅は大きい。早足でなければ置いていかれる。

 この雨足でも、ダンクルベールは頭巾フードを被らなかった。長くなるようなら、自前の黒いフェルト帽を被る。それぐらいである。


 はたして被害者は、大通りの脇に、棄てられるようにして横になっていた。

 妙齢の婦人である。

 顔立ちや着ているものから、なんとかして中流家庭に嫁げたといったぐらいか。目は閉じ、眠るように。この雨で化粧は落ちていた。


縊死いしですな」

 先に現場に到着していたウトマンが言った。自分が着任する前にダンクルベールの副官を勤めていた人である。今は花形である捜査一課の課長を任されていた。

「それにしても下手です。力が足りないのか、縄の締め方がわからなかったのか、首筋に、ほれ、爪の跡。こんなに」

「ひどいもんだな、可哀想に」

 底からひねり出すような声で、ダンクルベールがうめいた。杖突きなのに、雨の中、跪く。そうして女の頬に手を添えていた。


 周囲を見る。野次馬を押さえ込むゴフたち。雨の中、這いつくばって、何かないかと目を走らせる一課の先輩。

 そして、部下に傘を差させてまで、犠牲者の様子を素描する、ひとりの軍警。


 フェリエ。それよりはデッサンという渾名で知られる男。ペルグランや他の連中は、死体画家なんて、ひどい呼び方をしていた。


 正直に、この人をあまり好いてはいなかった。


 誰よりも先に現場に来て、死人の姿を絵に描いていく。繊細に、というより執拗に。雨の日は、今日みたいに、部下に傘を差させてまでそれをする。見た目なんて、下膨れの瓶底眼鏡に無精髭。両の手はいつだって、炭やパン屑で汚れていた。

 いつ見たって、悪趣味な男だ。内心、そう毒づいていた。


「ペルグラン。何か見えるかね?」

 おもむろにダンクルベールが尋ねてきた。


 言われて、あらためて犠牲者の周辺を見る。

 ずぶ濡れの、首を締められた女。それだけである。


「雨で全部流されています。証拠はないでしょう」

 思ったことを正直に言った。

「もそっと近づきなさい。人の目は、そこまでよくない」

 穏やかだが、たしなめるような口調だった。正直むっとしたが、言われた通りにすることにした。


 死体に近づく。着任からおよそ一年、それなりに死人を見てきてはいるが、やはりまだ慣れない。どうしても汚いものとして見えてしまう。


 ふと、違和感を感じた。死体の背中に手を回し、少しだけ持ち上げる。

 背中に、藁が付いていた。


「荷馬車で、ここまで運ばれてきたんでしょうか?」

「そうだな。つまりは、ここは犯行現場じゃない」

 ウトマンの手を借りながら、ダンクルベールがのっそりと立ち上がった。それに合わせて、ペルグランも急いで立ち上がる。

「気持ちはわかるが、面倒臭がるのはよくない。になる前に直しておきなさい」

「はっ、申し訳ありません」

 言われて、形式通りの敬礼と謝罪を返した。それを見たウトマンは、心配そうな表情でいた。


 お互いにまだ、よそよそしいところがある。それは承知の上だった。


 両親が無理を通して、ダンクルベールの副官として、自分を当てたのだ。それもベテランのウトマンを押し退けてまでである。

 ペルグランとしては、元々は別の役職を希望していたし、ダンクルベールも、士官学校を卒業したばかりの若造を押し当てられて、面倒に感じているだろう。それでも向こうが大人なところを見せて、なんとか自分を受け入れようとしてくれている。


 その心遣いをありがたく思う一方、迷惑にも思えていた。


 後から来たもう一台の馬車に犠牲者を押し込んで、もうしばらく現場を見て回って、それで終わった。途中、野次馬連中とゴフが取っ組み合いになりそうになったのを、ダンクルベールじきじきのお説教で場を収めるという、ちょっとした騒動はあったものの、順当に終わった。

 さて、帰るときは、行きとは逆の手順で、ダンクルベールを馬車に押し込める必要がある。これもまた、形式通りに馬車の周囲を確認し、自分の油合羽あぶらがっぱに残った水滴を払ってから、ダンクルベールの手を取った。


 これで、三人目。


 馬車に乗り込むとき、ダンクルベールが小声でそんなことを言ったのを、ペルグランは聞き逃さなかった。


―――――

 コルカノ大陸西部に、小さな島国がある。

 国土は小さいものの、降雨量の多い温暖な気候と、緩やかな丘陵、そして急峻な山脈地帯から流れ出る清流が、豊かな農作物や果樹、数多くの海産物を産出する、楽園のような大地である。

 その一方、そこは“政争の国”と揶揄やゆされるほどの、絶えることのない情勢不安に悩まされ続ける国でもあった。

 もともと各地方の豪族、名主たちが、絶え間なく勢力争いを続けていた。そこにかつての大国、ヴァルハリアが侵入した。ヴァルハリアの名門貴族が王となり、圧政を敷いていたが、相手は歴史の大半を抗争に費やした、歴戦の猛者である。時には自ら王を僭称せんしょうし、時には民衆を煽動せんどうし、そして敵の敵は味方とばかりに合従がっしょうし、王侯貴族と衝突を続けた。

 くわえて時代が降ると、文明の近代化に伴い、海運業を担っていた豪商の影響力が強くなりはじめる。対してヴァルハリア本国にて宗教革命が発生し、国教たるヴァーヌ聖教がなかば死に体となったことで、王の絶対性もまた揺らいだ。度重なる叛乱と民衆蜂起により、王侯貴族が折れる形を取り、国民議会の制定を確約した。

 それは、民衆の代表という大義名分を掲げた豪商たちが、それまで手の届かなかった宮廷に乗り込むことを意味していた。

 そうしてここに、現在まで続く、地方豪族、王侯貴族、そして豪商という、終わることのない三つ巴の政争関係が完成したのである。

 宮廷がこの有様なら、市井はもっとひどい。政争に敗れた貴族、豪族たちが賊に身をやつし、あるいはより高度な犯罪組織へと変貌した。政治に不満を抱えた民衆たちは、今度は民主共和政の実現を掲げ、叫び猛りながら暴れ回っている。古代より延々と続く地方豪族同士の領土争いも、未だ燻り、時には火柱を上げている。


 そのような暴虐から無辜むこの市民を守り、助けるのが、内務省管轄の国家憲兵隊である。そして中でも、闇に紛れて凶行に走る恐るべきものたちに対し、昼夜を問わず、全身全霊をもって相対する勇者たちがいた。

 それこそが、国家憲兵隊司法警察局警察隊。各地方に配備される支部小隊。そして首都近郊の犯罪捜査を担う警察隊本部中隊を併せて一個大隊相当の、屈指の精鋭であった。

―――――


(つづく)

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