第16話 拝啓、自分勝手な糞先輩

 怖い、怖い、怖い……っ!

 鳴り響く着信音にひたすら恐怖を感じていた。


 本来なら電話で助けを呼びたかったけれど、ひっきりなしに鳴るので、誤って取ってしまったらと思うと迂闊に触れることができなかった。


「シロくん、助けて……!」


 薄着で膝丈のルームウェアのまま、私はガムシャラに走り続けた。今の先輩を相手に一人で戦う勇気はない。でもシロくんが傍にいてくれたら。


 時刻は深夜の十時。近所迷惑と思われても仕方ない時間にも関わらず、何も言わずに唐突に訪問した私を、シロくんは驚いた顔をしつつも受け入れてくれた。


「菜子、どうした? こんな時間に」

「助けて……っ、私、その、恐くて」


 シロくんの背後には心配そうに覗き見るご両親の姿が見えた。こんな真夜中に中学生が息を切らしながら訪ねてきたのだ。只事じゃないと思うのが普通だろう。


「とりあえず説明してもらえないかな? 菜子、深呼吸できる?」


 恐る恐る彼の掌が私の背中を摩る。優しい手付きに安心感が込み上がる。

 大丈夫、もう大丈夫。


「シロく……あのね、先輩から連絡がきて……別れたいって伝えたら、許さないって言われて」


「——え?」


「それからずっと着信が鳴り響いているの……。私、恐くて、恐ろしくて……御免なさい。シロくんの都合も考えないで、急に来て」


 とうとう耐えきれなくなった私は、ボロボロと涙を流してしまった。最低、自分で蒔いた種なのにシロくんばかり頼って。自分勝手にも程がある。


 だけどシロくんは迷惑そうに思うどころか、私の身体を包むように抱きしめて「ありがとう」と耳元で囁いてくれた。


「俺を頼ってくれてありがとう。もし俺に気を遣って菜子が一人で悩んで傷ついていたら、きっと俺は自分のことを許せなかったかも」


 そう言って「スマホを見せて」と私の腕を掴んできた。


 まだ鳴り続けている……どれだけ執着しているのだろうか? もう何日も私のことを放置していたくせに。


「……母さん、父さん。今、菜子が困っているんだ。俺は菜子を助けたいんだけど、ちょっと外に行ってきていいかな?」


 こんな時間にと、シロくんのご両親は怪訝な顔をしていたが、彼の言葉に観念したように頷いた。


「外に出ないとダメなの? 心配だから家にいなさい」


「菜子も上がっていい? 場合によっては泊めて欲しいんだけど」


「その方がいいわよ。葛城さんのところの菜子ちゃんでしょ? 知らない子じゃないし、お母さんは構わないわよ」


 ただし、ちゃんと私の親に外泊の許可を取りなさいと釘を刺された。場合によってはシロのお母さんが連絡すると、提案までしてくれたのだ。


「あと、アンタ達のこともちゃんと説明しなさいよ? はぁー……いつまでも子供だと思っていたのに、最近の中学生はマセているのね」


「い、いや……! 待ってよ、母さん! 今はそういうのじゃなくて!」


「はいはい。まぁね、菜子ちゃん。母親の私がいうのも何だけど、志郎は良い子よ? ちゃんと誠実に向き合う子だと思うから安心しなさい」


 こうして私とシロくんはご両親の許可を得て、シロくんの部屋へと入った。幸い、先輩からの着信は一時休戦か鳴り止んで静かになっていた。

 その隙に届いていたメッセージを確認しようとアプリを開いた。


 見るに耐えない罵詈雑言がツラツラと続いていた。


「……マジか。スミレ先輩のことがなくても愛想尽かされても仕方ないことをしてると思うけど、宮迫先輩は気付いてないのかな?」


「多分、自分のことしか考えていないんだよ」


「申し訳ないけど、菜子って宮迫先輩のどこが好きだったの? こんなおっかない先輩、俺は近付きたくもないんだけど」


 今となっては先輩の良いところなんて一つも見つからない。あんなに先輩のことしか考えられなかったのにと薄情な自分にショックを覚えた。


「んじゃ、次の電話が来たら話そうか。もし菜子が言えない時には、代わりに俺が言うから安心していいよ」


「あ、ありがとう、シロくん」


 彼の優しさに感謝している最中、不運にもスマホが鳴り始めた。相手はもちろん、宮迫先輩だ。観念したように通話のボタンを押すと、意外にも電話越しの相手は静かで拍子抜けしたところだった。


「あ、あの……先輩?」


 いくら話しかけても無音のまま。おかしいなと思いつつも声を掛けていたら、荒々しい足音が大きくなり、ハッと息を呑んだ瞬間、鼓膜が破れるような罵声が鳴り響いた。


『おい、テメェ! ふざけんなよ! 勝手に別れるとか抜かしやがって!』


「先輩……! だって先輩、西條先輩との間に子供ができたって」

『そんなのオメェに関係ねぇだろ! そもそもスミレとは別れたんだからいいんだよ!』


 子供のことを否定しない……ってことは噂は本当の可能性が高い。にも関わらず、認知せずに逃げるように別れたと告げる先輩に軽蔑すら覚えた。


「子供……どうなったんですか? 西條先輩は何て言ってるんですか?」

『だーかーらぁー! そもそも俺の子供とは限らねぇし! アイツも愛想ばかり振り撒いて、男を侍らせていたし! 大体、俺達まだ中学生だぜ? 子供産むとか頭おかしいだろ?』


 私からしてみれば、中学生がリスクも考えずに性行為を行う方がおかしいと思うのだけれども、先輩のように考える方が多数なのだろうか?


 妊娠なんて自分には関係ない。避妊さえしていれば問題ない。中出しさえしなければ大丈夫だろう——って。


 そんな曖昧な考えが皆を不幸にするのだ。

 甘い汁だけを吸って、責任を放棄するなんて人間として屑だ。


『なぁ、菜子。頼むから別れるなんて言うなよ。俺のことが好きだって言ったじゃねぇか? もしかしてデートをすっぽかしたことを怒ってるのか? んなの些細なことだろ?』


「先輩にとって私は浮気相手で、些細なことかもしれないけど……。それでも私は先輩のことをずっと待ってて、何かあったのかなって心配してたのに」


『菜子……。そんなに俺のことを心配してくれたのか。やっぱお前しかいねぇよ。だから別れるなんて寂しいこと言わねぇでくれ』


 だが、先輩の言葉に私はハッキリと告げる。


「私には無理です。二度と私に近付かないでください」


『——は?』


 その言葉を皮切りに、先輩は酷い言葉を投げつけてきた。


『人が下手に出りゃ、調子に乗りやがって! 糞アマァ! ◯ね、◯ね! ぶっ◯してやる!』

「そう思うなら私に関わらないでください! 私ももう、先輩と関わりたくない……! 先輩と出会ってからツラくて、楽しくなくて——!」

『テメェ一人で被害者ヅラしてんじゃねぇぞ! 俺の方が百倍ツレェんだからな? ふざけやがって……皆して俺を責めやがって』


 自業自得なのに、どうして自分が世界で一番不幸だと思うことができるのだろう?


「お願いですから、西條先輩とお腹の子供の為にも、目を逸らさないで下さい。産む、産まないは別としてでも、西條先輩と話し合って未来を決めて下さい」


『——はっ、お前は他人だから綺麗事が言えるんだよ。はぁ…………あぁ、もう二度と恋なんてしたくねぇな。こんなことなら誰かを好きになんてならなきゃよかった』


 そう言って、先輩は言いたいことを言ってから勝手に電話を切った。


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