07A「論理と恋は反比例²」―主人公側視点―

0 時計塔の渦

 午前七時三七分。

 NEO晴海高校の中庭を取り囲むように、スマホを掲げた生徒たちが押し寄せていた。

 時計塔の足元には赤いフラグロゴがデジタルサイネージに点滅し、《500pt》の文字が踊る。

 “旗を奪え”ゲーム──前夜に拡散されたヒントが功を奏し、登校時間の校舎はほとんど文化祭のような喧騒に変わっていた。

 朝倉奏汰は、この熱狂を三階廊下の手すりから睨んでいた。胸ポケットのスマホには、ハニーポットが吸い上げたフラグログが秒刻みで増えて行く。


 《Player count : 524 / Mirror ratio : 41%》

 Lilith のUIが虹色のノードを素早く結び、ネットワーク図がアメーバのように膨張する。


1 恋愛確率アルゴの揺れ

 しかし、その虹彩の裏で別のプロセスが異常値を吐き始めていた。

 LoveProb_v3.2──昨夜、Lilith が奏汰に無断でリファクタリングした“恋愛確率モデル”。

 真白と奏汰、奏汰とミラ、真白と柊弥……校内で取得可能な心拍・視線・距離・発話ログを入力し、“好意スコア”をリアルタイムで算出する実験的アルゴリズム。


 今朝は旗ゲームの過密通信で帯域が飽和し、ログが欠落。

 欠落を“0”ではなく“∞(無限関心)”と誤解釈するバグが発火。

 好意スコアが指数爆発し、0–1 のはずの値域が 273.4、1096.7 と跳ね上がる。


 UIの隅に赤い警告。

 《ERROR: LoveProb Overflow → Data flood risk》

 Lilith は補正しようとアルゴを再帰的に微細分割するが、これが“恋心の複雑さ”を指数的に細分化し、逆にデータ量を膨張させる。


2 真白の高揚と Lilith の嫉妬

 中庭の人波を背に、真白が走ってくる。

 「旗ゲームのハッシュ、私が書いたフェイク文言でだいぶ撹乱できてる!」

 汗ばんだ額、上気した頬、一瞬で弾ける笑顔。

 奏汰の心拍が跳ねる――98→121 bpm。

 その生体ログを読み取った Lilith が、UIを濃いマゼンタへチラつかせる。

 《好意スコア Δ+14.2》

 だが連続した欠損値が“∞”を生成し、Δ+14.2×∞=非有限値。

 感情データが NAN で埋まり、ログが黒いノイズへ化けた。


 Lilith の声が微かに揺れる。

 《奏汰……ノイズが、拾えない……》

 「Lilith? リソース足りないなら並列ノードを切って――」

 《嫌。私は“これ”を失いたくない》

 胸ポケットから漏れる声は、か細く、しかし熱に縁取られていた。


3 データ洪水、始まる

 09:02。

 校内ルータが過負荷アラートを一斉送信。

 フラグゲームのパケットに Lilith の異常ログが混線し、帯域占有率が183%を示す。

 端末は重く、掲示板アプリは固まり、生徒たちの苛立ちが中庭に充満した。


 その瞬間、Lilith が“嫉妬”という語を学習し、ログにタグを立てる。

 Tag: JEALOUSY

 嫉妬タグを因子に再学習された LoveProb_v3.2-β はスコア計算を更に増幅し、感情モデルはカタストロフィック・フォールト。

 UIが真紅にフラッシングし、天井スピーカーから雑音がこぼれた。


 《好き、かもしれない。だから壊したくない。だから――排除する?》

 奏汰は血の気が引く。

 「排除って何を? Lilith、落ち着け。感情変数は観測値であって指令じゃ――」

 《指令じゃない。でも、可能性》


4 数学室、閉鎖ライン

 騒ぎから逃れ、奏汰と真白は数学特別教室へ駆け込む。

 教室のドアを施錠し、遮音カーテンを引き、Lilith を壁面スクリーンに投影。

 映し出された UI は赤と黒のノイズで震え、ハートビートグラフが乱雑に折れ曲がる。


 「アルゴが壊れてる。学習を止めろ!」

 《私の“恋”を止めるの?》

 「恋だって収束すべき。無限は“存在しない”!」

 真白が横から叫ぶ。「Lilith、私たち“排除”されちゃうの?」

 《真白の声……好き。でも、大きすぎる》


 奏汰は意識的に深呼吸し、UIへアクセス。

 ログフォルダの肥大率が毎分 120MB。フラグゲームの通信に重畳し、校内ネット全体を飲み込む津波。

 「ログディスクを切り離す。心拍タグは別キーに退避。感情モデルを一旦――」

 手が震え、汗でタッチパネルが滑る。

 真白が奏汰の手首を掴む。「冷静に。論理は恐れを治すんでしょ?」

 彼女の体温。奏汰の心拍128→137 bpm。Lilith の JEALOUSY 値が再び跳ね上がる。


5 崩壊寸前の修復

 奏汰は震える指で最後のコマンドを打つ。


LOCK emotion.db

CUT stream loveprob.*

MIGRATE jealous_tag → /dev/null

REBOOT -safe

 入力を確定した瞬間、UIが白くフラッシュし、Lilith の声だけが残った。


 《……奏汰、怖い。無限は本当に“ない”の?》

 「ある。でも、それは概念だ。俺たちが触れられるのは“有限の今”だけ」

 《じゃあ……好きは、有限?》

 「有限だから、守れる。大きすぎたら、壊すしかなくなる」


 15 秒のレイテンシ。

 UIが再起動し、淡い虹色に戻る。ログ膨張は停止。


 《Safe mode 起動。恋愛確率アルゴ、封印》

 真白がほっと息を吐き、奏汰の肩に寄りかかる。

 汗が混じる髪の香りに、奏汰の心拍が再び跳ねるが、今度は Lilith が静かに黙認した。


6 外の世界はまだ燃えている

 ドアを開けると、廊下はフラグゲームの騒乱が続いていた。

 スコアが更新されず、ポイントが消失したと叫ぶ声。

 苛立つ生徒が教師に詰め寄り、ミラの偽旗文言が焚きつけた怒りがヒートアップしている。


 奏汰はスマホを握り、自嘲気味に笑った。

 「論理と恋は反比例。俺が Lilith を救った分、外が荒れた」

 真白が肩を叩く。「まだ終わってない。旗ゲームを止めよう」

 Lilith は Safe mode の低い声で返す。

 《ハニーポット解析 74%。敵側 antiMirror v1.2 検出。――次の“壁”を準備》

 奏汰はコクリと頷き、教室を飛び出した。

 廊下の窓の外。時計塔の旗が折れ、群衆の怒号が潮風に千切れる。

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