(7)新大久保
夕食が終わると、ヨウスケと姉、父はリビングに移動して、めいめい好きなことを始めた。ヨウスケはスマートホンでアニメを見て、姉は同じく何か動画を見ている。父はテレビのニュースを見ていた。洗い物は母がやっている。昭和のころの、家事は全て母がやる典型的な四人家族家庭のようにみえるが、姉やヨウスケも時々母親を手伝うし、父も皿洗いは意外に引き受けることがある。
ヨウスケが姉に聞く。
「何見とんの?」
「ダッシュボード・ブラックボックス」
「知らん」
「知らんの? いまKポップの頂点やん」
姉は今時の女子高生だからか、最近はKポップをよく見ている。ヨウスケは、姉が時々リビングで妙な動きをしていることに気づいていたが、どうやら推しのグループの振り付けをまねているらしい。
姉が逆に聞く。
「ヨウスケ、新大久保行ったことある?」
「どこ?」
「新大久保。東京の」
「ないよ。知ってるやん」
まだ中学生のヨウスケは、東京と言えば、親に連れられて千葉県の大きな遊園地に行った際に通過した程度で、Kポップの聖地のような、新大久保に行ったことなどあるわけがなかった。
「行きたいなぁ」
「なんで?」
「聖地やん。知らんの?」
「聖地て、何の?」
「K…」
姉が「Kポップ」と言いかけた時に、ヨウスケが思わず、
「あ、焼肉やん」
と言葉を挟む。
「焼肉? 知らんよ」
「東京の新大久保が焼肉の聖地って、なんかでやっとった」
「ああ、焼肉は韓国系やからね」
「行ってみたい」
「そっちか。ヨウスケはまだ食い気しかないん」
と姉は笑った。ヨウスケはその勢いで、父に、
「父さん、オレ、新大久保で焼肉食べたい」
と尋ねる。父は、
「焼肉? そんなん、あっこのハンバーガー屋の中身でええがな」
とヨウスケの希望の本質を無視したような答えをする。姉はその答えにのって、
「なあ、お父さん、ウチも一緒に連れてって」
とせがむ。
「新大久保て、あのコリアンタウンか?」
父が姉に確かめると、姉は連れて行ってもらえるのかと精一杯の笑顔で、
「そや、コリアンタウン。クラスでも行った子はまだあまりおれへんねん。ウチ、行ってみたい」
「小遣い貯めて友達と行けばええやんか」
と父が提案するが、姉は、
「あんなとこ、女子高生だけで行ったら怖いやんか。なんかあったらあかんやろ?」
と慎重な見解を示す。父は半分嬉しく半分嬉しくない顔で、
「そら家族で行った方がええけど、Kポップのグッズ漁りとか、お父さんおったらいややろ?」
と至極まっとうな問いを返す。
「ええのええの。ウチ、慎重派だから、推しのグッズを安全に買えればそれでええの。あと焼肉」
姉は、非常に慎重なふるまいを見せ、さらに焼肉に言及する。これは明らかに、焼肉しか頭にないヨウスケを味方につけるためだった。
「そやそや、オレ、新大久保で焼肉食いたい」
ヨウスケは、降ってわいたような幸運を逃さないような様子で、調子を合わせた。
「お母さん」と、父が助け舟を求めるように聞く。
「ええやん、行っといで。あんたらがおらんとワタシも楽やし」
母は身も蓋もないようなことを笑いながら言う。
「ほんなら、往復はバスやで」
子供たちの勢いに負けたのか、父が節約案を出す。たしかに、大人三人が新幹線で大津から東京まで往復したら、食事代も含めて十万円近くはかかるだろう。それほどの金持ちでないヨウスケの家は、こういうところで倹約する。
「ヨウスケ、おまえ、バスの予約しいや。オレはスマホの予約はよう分からん」
少しでも手間を周囲に押し付けたい父は、自分の役目は費用と保護者役だけと決め込んだ。
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