第28話 フェイスレスは初めて殺意を知る
「ぐっ」
アシクレイファ粘菌の衝撃吸収性能を持ってしても、まだインパクトの余韻が残っている。むしろこれが後ろに控える神邊一門に直撃しなくてよかったと、裕也は真っ先にそう思った。
その場の全員が何事かと思い、無惨に破壊された扉の向こう側を見据える。すると奥の通路に何者かが立っているのがわかった。この会場は一辺がガラス張りになっており、景色を展望できる構造になっている。ホテルの前にはこれよりも高い建築物はなく、月の光が惜しげもなく入り込んできていた。
何者かは躊躇うことなくこちらに歩み寄ってくる。シルエットで誰しもが恐らく人間であろうと予測していたので、月光に照らされたそれを見て言葉を失った。
確かに基本的なフォルムは人間のそれである。しかし何人たりとも彼を人間だとは思わないだろう。何故ならば彼の右腕、左足、そして顔面の右半分に肉が付いていないのだ。そこにあるのは非対称でひどくバランスが悪く見える白く、そして細い人骨だった。
骨からはどす黒く見える程に怒気や殺意や怨恨のこもったオーラがまとわりついている。誰がどう見ても人間ではないはずなのに、かと言って妖怪と断定できない。不可解な雰囲気を醸し出していた。
その時、裕也の耳に操の声がか細く聞こえてきた。
「全員、用心しなさい。恐らく結魂しています…」
「え? 結婚?」
どういう意味かと尋ねようとしたが、それは叶わなかった。得体の知れない男は奇声を上げるとともにこちらに襲い掛かってきたからだ。右腕の骨が元の大きさの数倍に膨れる。それを下から払い上げると、散らばった瓦礫まで飛来してくる。
飛んでくる瓦礫を一つ残らず払い落とすと、裕也は真後ろにいた操に向かって言った。
「どうやら説明を聞いている暇はないようですね。僕が引きつけますから、とにかく鵺退治を」
「わかりました…全員、早急に上を目指しなさい」
裕也は骨の男に向かって戦闘態勢を取る。それをきっかけに神邊一門は二手に別れ、骨の男と距離を空けながら迂回する形で扉を目指した。てっきりこいつは鵺の配下で、撃退に打って出てきたのだろうと思っていたが、どうも様子がおかしい。
(神邊家には目もくれていない。鵺の配下という訳じゃないのか? 狙いはあくまでも僕のようだし…)
「僕を狙っているみたいだけど、なんで? 人違いとかしてない?」
「してねえよ。顔無し野郎」
「ホントに身に覚えがないんだけど」
「身に覚えがないだと…?」
骨の男の目が、一瞬虚空に染まり物悲しいように鈍く光るのを見た。それに合わせて猛攻が凪ぐ。
そして鉛のような重苦しい声を出した。
「テメエ…『骨女』って妖怪を殺しただろ?」
「骨女?」
骨女、という妖怪の名を聞いた途端、裕也の脳内にフラッシュバックする場面があった。
あの日…神邉家所有の山で初めてアシクレイファ粘菌の能力を試した日。
家に戻る間の山中で全身が骨でできた女の妖怪を――殺した。
決して敵意があった訳じゃない。恐怖から反射的に手を出してしまった。その時の裕也は自分の力がどれほどまでに高められているのか知る由もなかったのだ。不可抗力で妖怪を滅してしまったが、相手は妖怪だからと罪悪感の一つも覚えずに今日まで過ごしてきた。
あの時の妖怪か――と、点と点が徐々に繋がり裕也に嫌な汗がにじんできた。
「なんでだよ、なんでアイツを殺したんだ? 何か悪い事をしたのか? オレと一緒にいてくれるって約束したのに…もう人は襲わないって約束してくれたのに」
骨の男は嵐の前の静けさ、という言葉を正に体現していた。
半分だけ肉のついたその顔は正の感情も負の感情も何もない真っ新で無垢にも見える表情を束の間だけ見せると、骨の男の顔は目を逸らしたくなるほどに歪んだ。そしてその場にあるもの全てを吹き飛ばさんという勢いで叫ぶ。
「なんで殺したぁぁぁぁ!?」
◇
そういえば聞いた事がある、と裕也は不意に昔にどこかで聞いた話を思い出した。
絆魂した妖怪を封印以外の方法で対処するのは愚策以上の愚策。顕現した器を無くした妖怪の力の源は人間に縋りつくように一体化する。魂の根底から妖怪と結合した人間は、妖怪でも人間でもない存在となってしまう。
そうなってしまった者はもう手の施しようがない。妖怪ではないので完全に封印することは叶わず、人間でもないため簡単に殺すことは出来なくなる。その上、妖怪の特性を色濃く受け継いだ不可思議な能力を持つ場合がほとんどだ。
骨の男は白骨化した腕を使い、裕也を追い詰める。
裕也は初めて自分に向けられる明確な殺意をたじろぐ。それは瞬く間に隙になった。
骨の男はわざと裕也を飛び退くように後退させると、肉のついた生身の腕を裕也に向かって突き出した。その瞬間、五指の先の肉が裂けて中から手の骨が射出された。銃弾と見紛うほどの威力と勢いがあると、裕也は直感で理解した。
あからさまに妖力を帯びた骨の腕には注意できていたのに、生身の左腕から繰り出される攻撃は意表突かれ反応が俄かに遅れる。手足と内臓のほとんどはアシクレイファ粘菌によるダミーだが、頭部だけはまずい。
上半身を大きく逸らし、急所だけは何とか回避させる。そのまま一瞥した記憶だけを頼りに飛来する骨を躱す。結果として右の腿に一発喰らうだけのものとなった。これならダメージはあってないのようなものだ。実際の右足はほとんどがなくなっているのだから。
しかし反り返ったのは失策だった。
骨の男はここぞと言わんばかりに巨大化させた骨の腕を突き出して突進してきた。それに容易く捕らえられた裕也は、反撃を封じられたまま突き飛ばされた。背面のガラスは何の抵抗もなく割れ、破片と共に外に放り出された。
このホテルは40階建て。このまま落下すれば如何にアシクレイファ粘菌の性能があろうとも、無事では済まないだろう。そんな考えが裕也の冷静さを奪った。単に腕を伸ばせば落下は防げるはずなのに。
そんな裕也を現実に引き戻したのは、皮肉にもヒョウヒョウと響く鵺の声だった。
(…)
(…そうだ)
(上では操さんと子供たちが戦ってるんだぞ)
(何を呆けているんだ、僕は)
正気を取り戻した裕也は飛び散るガラス片の隙間から骨の男を見据えた。渾身の力で殴り掛かるようなモーションを繰り出して腕を伸ばす。意表を突かれて固まるのは何も裕也だけではない。その上巨大化させた骨の腕が、反対に裕也の攻撃の目くらましにもなってくれていた。
喉首に一切の抵抗なく裕也の右手が食らいつく。
「うぐっ」
という男の声にならない声が遠く離れた裕也の耳にも聞こえた。
アシクレイファ粘菌は裕也と骨の男を繋ぎ止めたが、所詮は粘菌だ。依然として宙に浮いている裕也の体は重力に逆らうことなく落下している。ただアシクレイファ粘菌のお陰で振り子運動のようにホテルの側壁へと向かって動き始めた。
◆
このまま道連れに落としてやろうか、と土壇場に思い付いた。けれども骨の男はとてつない力で踏ん張り自分を支えた。結果として裕也の算段はふいにされたが、落下は回避することができたのだ。
繋がったままに裕也は上を見た。骨の男は堪えているとはいえ、割れた窓ガラスの縁のギリギリまで引きずり出されている。すると裕也に次の妙案が浮かんだ。今度は左腕を突き上げる形で伸ばした。けれども今度の狙いは奴じゃない。
裕也の左腕は骨の男を通り越し、そのほんの少し先にあったパーティ会場のフロアの天井へとネバネバとした水音と共に張り付く。そして今度は粘菌を急速に体内へ浸透させた。伸ばしに伸ばしきったゴムが縮むかの如く引っ張られ、裕也の体は物凄い勢いで上へと登って行く。タイミングよく粘菌の粘着をほどくと、骨の男へ向かって、
「Good,Buy」
と、厭味ったらしく言い放った。
パチンコの要領で発射された裕也は鵺がいるであろう屋上へと進んでいく。
骨の男は相変わらずの怒声で、
「待ちやがれぇぇぇっっ!」
と叫んだ。
◆
―――引っかかったな。
アシクレイファ粘菌の下で裕也は自らの作戦がうまく行ったに笑みをこぼした。
操たちといち早く合流したいのは勿論だが、いくらなんでも脅威となる人物を引き連れて行くことなどあり得ない。裕也が上を目指している心理を逆手にとって、骨の男の冷静さを奪うための策だったのだ。
裕也が屋上へ飛んでいったと信じ切っていた骨の男は「え?」などとマヌケな声を出した。
そこには自らの予測とはまるで異なり、側壁に粘菌を付着させて急ブレーキをかけているMr.Facelessの姿があった。焦りから不安定な身の乗り出した方をしてる上、完全に隙を突かれた骨の男は裕也の攻撃に反応する事すらできなかった。
重力を利用して裕也は襲いかかる。そうして繰り出したギロチンと見紛うかかと落としはお手本のように華麗に決まった。
「がはっ…!!」
肩口から背中にかけて上からの衝撃をもろに受けた骨の男は、苦痛とも怒りとも取れる表情を浮かべながら絶叫を置き土産に落ちていった。
男は骨の腕を必死に伸ばして壁を掴もうとする。しかし勢いがあるせいで窓やガラスなどの突起にもうまく捕まることができないでいた。ガリガリと何かが削れるような音が響く。男の落下のスピードが緩まる様子はない。あれなら死ぬまでとはいかなくとも、落下の衝撃で戦闘不能に持ち込めるか、少なくともまた上まで登ってくるまでの時間稼ぎにはなるだろう。
裕也は外壁をつたって屋上へと急いだ。
そして屋上に着いた裕也は信じられない光景を目の当たりにすることになるのだった。
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