猿も木から落ちる 2

 翌日、大学の1限目を終えた私は、佐久とともに山林に入ることにした。講義が終わり、それぞれの家に戻った二人は、レインコートを羽織り、長靴に履き替え、背嚢を手に家を後にした。


 昨日の現場を、待ち合わせ場所にした二人は、合流したのちすぐに森へ入っていった。森は昼にもかかわらず薄暗く、鬱蒼とした森に、あの黒い塊がいることを想像すると不気味に感じた。動物の気配もないこの森では、雨粒と二人の歩く音のみが響いていた。


「見つけるのに、だいぶ時間がかかりそうだな」

 森に入る前に私が発した一言は、思いがけず裏切られることになった。森の入り口から数分歩いた先にある、カラマツの枝には、1メートル近くもありそうな真っ黒な毛が絡まっていた。あの黒い塊は、森に走り出し、その後、木に登り移動していったのだろう。見ると、黒い塊が移動に使った枝には、黒く長い毛が絡まっていた。


「この毛をたどれば、いつかは見つかるだろう」

 佐久はそう言って、森の中を進んでいった。後を追う私は、こんなに毛が長くとも、木に登ることができるのかと、妙に感心していた。


 “朦朧とする意識の中、懐かしい声だけを頼りに、体毛と血痕を残しながら黒い塊は進む。皮膚の痛みなどもう忘れていた。”


 黒く長い体毛が巻き付く木を10本と数えぬうちに、二股に分かれたブナの樹の枝に黒い塊の死骸を発見した。ブナの枝に激しく絡まった体毛は、黒い塊の首を締め上げ、その体を宙に浮かせていた。


“黒い塊はとうとう止まった。木から足を滑らせ、宙に舞った体は、体毛が枝に絡まり、自身の首をきつく締め上げた。とうとう、黒い塊は懐かしい声と出会うことは叶わなかった。”


 ブナの木で、首が吊られた黒い塊は、激しい腐敗臭を放っていた。私たちは、赤黒く反射した毛の塊を前に、とうとう近づくことは出来なかった。その後、写真や記録を取り、満足した佐久は、私に「アパートで今回の出来事について話そう」と提案した。  

 私の住むアパートへ帰り、麦茶をすすりながら、デジカメで撮影した黒い塊の写真を眺めた。見れば見るほど、私は猿ではない、何かに見えてしょうがなかった。この疑念は深く私に突き刺さり毒を巡らしていた。


「あんなに毛が長い猿なんて、この世にはいないよ」

「いや、あれは猿だよ、僕はそう確信したんだ」

 佐久は得意げに言った。

「猿も木から落ちるって言うだろう」

 馬鹿らしくて、私は笑ったが、案外正しいのかもしれないとも感じていた。

 

 “懐かしい声は、黒い塊がいなくなった今でも呼び続けている。”


『●●●●私は●●に●●よ』と。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る