『ボディチョッパー』 ー犯罪の星のおとぎばなしー
水銀@創作
第一章『ジャックとユーチェン』
この世の全ては「売り物である」。
衣類、食物、住居――およそ万物で値札のつけられぬものはない。「労働」とは、人が自らの才能や寿命を換金する行為であり、己という存在の価値を市場原理の秤に乗せることである。人は無意識のうちに、「人間」という存在や「時間」という概念にさえ値段をつけて売り物にしているのだ。
この世の全ては「売り物である」――法の目届かぬ闇のマーケットにおいては、「臓器」もまた例外ではない。
誰かの目玉。誰かの腕。誰かの心臓。それらに「品質」という差をつけて、商品と称して金で売る。人間の一部をただの物体に貶め、臓器を売らざるを得ない貧しい者を人以下の存在に堕さしめる。
それが臓器売買。すべての経済行為の中で、最大の悪徳とされるもの。
ここ〈六区〉は、それがはびこる街。黒き医療のうごめく犯罪の都。
銀河中の富豪たちが、新たな身体を求めてやって来る――「臓器売買の惑星」だ。
◆
四歳で組織に入り、八歳ではじめて人を殺し、十四歳で幹部候補生までのぼりつめた。
いまや十四歳、立派なギャングスターと化したジャック・スワローの目の前で、洗車機のブラシが回っている。体中の返り血を洗い流すため、彼はためらいなくその中に入り込んだ。
「――痛ッ……ぐ、ぁぁぁぁっ……!! あぐぅぅぅぅ……っ!」
風呂とは言えぬ荒っぽい入浴だ。洗剤が自動でふりかけられ、車両用の洗浄機を流用した壊れかけのブラシが、ゴリゴリと音をたてて少年の細い体を揺さぶる。
ジャックは痛みにもだえた。ついさっき喰らったばかりの銃創が疼くのだ。胸や肩に三発撃たれ、表面だけ塞いだだけである。
死地からの生還にしてはすがすがしくなさすぎた。
「はぁ、はぁ……――クソッ、いつも以上にひどいや。洗わないわけにもいかないけど……」
三分間の責め苦を耐え抜いたジャックは、毒づきながら洗車機から出る。ドライヤーを吹きつけられて乾いた彼の身体には、片目と右腕が存在しなかった。そのかわりに無機質な義眼と義手が取り付けられている。黒鉄でできた骨組みだけの義手は見るからに安物であり、義眼の方も瞳さえ描かれていないガラス玉同然の見た目である。持ち主に視界を与える役目こそ果たしているが、切れかけの電灯のように時々点滅するのが危なっかしい。
――コンコン! 苛立ったジャックが人差し指の関節で義眼を叩くと、それは点灯状態に戻った。不気味なことには変わらないが。
「――戻ったか、ジャック。首尾は?」
着替えたジャックは青い光に照らされた廊下を歩き、ある部屋に入った。
床一面が水槽になっている部屋だ。中にはクラゲや熱帯魚、遺伝子操作で作られた猫面魚などが泳いでいる。部屋の奥には大きな机が置かれ、そこに金髪の男性が座っていた。
アダム・ヨスラフ、二十八歳。ジャック少年の主にして、この星を牛耳るマフィア『千年至福』の、最年少の幹部である。
「ご命令通り、皆殺しです。ですが、こちらも危ない所でした。生還は私を含めて四人、ほかは全員死亡です」
「なに……!? あんなシケた組織にその損害とは――『ミュータント』でもいたのか?」
「はい。他は雑魚ばかりでしたが、野良のミュータントが一匹、敵の子飼いとなっておりました。殺られた大半はそいつの被害です」
「なるほど、わかった。二十六人の殉職は痛いが、お前に責任はない。むしろ勝てただけ功績と考えるべきだろう」
「――は」
ジャックは、アダムに深々と頭を下げる。安堵にゆるむ顔を見せないためだ。
降格も覚悟していたが、助かった。やはりアダムさまは寛大なお方だ――そう、本気で信じていた。
「隊長にしてやった矢先に、あやうくお前を失うところだったよ。――ともあれ感謝する。この前の上納金と合わせて、上層部にきっちり報告しておくさ」
「お願いします」
「もともとはゴミ拾い出身……一時は『ボディチョッパー』にまで堕ちた人間が、ここまでスピード出世するなんてな。見出した俺も驚きだよ」
「ボディチョッパー」……身を切る者。
極度の貧困から、臓器や四肢を切り売りして生きながらえざるを得ない者。あるいは、生活費目的で肉体の一部を売り払った過去を持つ者を指す。人体売買の市場が当たり前に存在する、〈六区〉特有のスラングだった。
マフィアが支配するこの弱肉強食の星において、彼らは最下層の存在。体の一部を安く買いたたかれ、その代わりとなる疑似臓器や義手の粗悪品を、高値で売りつけられる被捕食者にすぎない。一時はそこまで堕ちたジャック少年が、支配者組織の一員にすべりこめたのは、ひとえに強運のためだった。
「もともと肺が片方ない身だというのに、さらに右腕と片目を売ってまで、組織への上納金を工面しようとした……。お前の忠誠とハングリーな向上心を、ボスも高く評価しているんだ。それに、どのみちその体になっちゃ力仕事は難しい。人を動かす方が向いてる」
「肺を摘出しに行ったあの時、アダムさまが『ロシアンルーレットをもちかけてくれなかったら』、今の自分はありませんでした。かさねがさね、感謝しています」
「『参加料として肺を徴収するかわりに』、生き残れたら入団を許す……その約束でお前に拳銃を渡した。『6分の5で弾が出る賭け』を、お前はすりぬけてみせた。今になって考えりゃ、とんだ拾い物だったよ。
四歳にして臓器売買に手を出すガキなんて、普通に考えりゃ『持ってる』わけねえ。絶対死ぬと思ってたんだが……」
「えー? じゃあアダムさま、おれを獲物だと思ってエサで釣ったんですか? ひどいなあ、恩人だと思ってたのに……」
「そう言うな。昔から言うだろ。落ちてる肺は拾っとけって」
「言いませんよー。――って、あ……また麻薬やってるんですか? ダメですよ、こんな早くから」
「いいじゃねーか。真昼間からキメるのが重役の特権だ」
そう言って無邪気に笑い合う。アダムは慣れた手つきで注射器を腕に刺し、片肺が粗悪な機械になっているジャックは、笑い声も途切れ気味だ。
平和な時代の人間や、裕福な惑星の人間がこの光景を見たら、みんな口をそろえるだろう――「狂ってやがる」と。
「……しかし、ミュータントがそんなところにまで紛れ込んでいたとはな……。『千年至福』の仕事も増えるばかりだ」
「ですが、見過ごすわけには参りません。ミュータント共の脅威から民衆を守護することが、われらの正義です」
「わかっている。だが……最近は『コイツ』の問題もあるからな」
そう言ってアダムは、机の上にあるモニターに一枚の写真を投影した。
右の横顔から撮った、可憐な少女の写真である――顔立ちだけを見れば、だが。
彼女はサイボーグだった。右腕が根本から消え失せ、柱のように太い白銀の義手をかわりにはめている。
彼女は殺し屋だった。少女の眼光は殺意にまみれ、わずかに映る背景は血の海に沈んでいる。この写真を撮ったカメラマンも、その数秒後に彼女の手にかかって命を落としていた。
「……まさか。『レッドフード』ですか? ヤツがこの〈六区〉にも?」
「それはまだわからん。しかしここの最寄りのサイハ基地で、組織の警備隊長が謎の怪死を遂げている。――『心臓を引きずり出されていた』らしい。噂で聞く『レッドフード』の殺し方そのものだ」
「――ごくっ。し、心臓を取り出して殺すのが流儀……ですか。その噂が本当なら、ヤツは凄まじい猟奇殺人鬼ですね」
「もったいねえよなあ。こんなに綺麗な顔してよ……とはいえ、お前も気を付けろ。ヤツは何を考えているのか分からん」
『レッドフード』……各惑星に出没し、マフィア『千年至福』の重要人物を狩る女。目的も素性も一切不明、名前さえも敵対者につけられた呼び名にすぎない。特徴的な「赤ずきん」と、武器を用いず徒手空拳によって犠牲者を引き裂き、現場を鮮血で染めるスタイルが、その名の由来であった。
いままで性別すらも明らかになっていなかったため、ジャックはヒグマのような大男を想像していたが――実像は、彼とあまり歳の変わらぬ小柄な少女だったとは。その事実がまた、ジャックにとっては不気味である。
――『千年至福』は、苦しみを癒す麻薬を貧困層に安く売り、人外の怪物『ミュータント』から人々を守る慈悲深きマフィアだ。〈六区〉の治安は組織によって守られている。世の中のために働いている彼らに、『レッドフード』はなぜこんな非道な仕打ちをするのか。ジャックには理解できないのだ。
「組織は近々、となりのエール星系へ勢力を広げる……。そのための麻薬や兵器もすでに準備が整っている。そして、その先遣隊としてこのアダムが選ばれた。俺の派閥が飛躍する時が来たんだ。
俺たちの輝かしい未来、『レッドフード』などに断たれてなるものか! お前もしくじるなよジャック!」
「……はっ!」
ジャックは威勢よく掌と拳を打ちつけた。この時代における、全宇宙共通の最敬礼である。
功績を重ね、組織で出世し、アダムとともに組織の頂点へ駆けあがる――ジャックはそれを、己の人生の目標だと決めていた。
◆
オーガン星系は、中心の恒星と、一区から八区まで番号が振られた八個の惑星から成る。
マフィア「千年至福」の本拠地となっている第六惑星〈六区〉の人口は、およそ二億人。そのうち四割が「千年至福」の団員であり、一割はその収奪対象たる貧民層。残り五割は一般市民だが、このすべてがマフィアの傘下で事業を行っている。
つまりこの惑星の人間で、組織に支配されない者は存在しないのである。「千年至福」とは本来、聖書における地上の神の国を指し、彼らの〈六区〉における覇権を謳うような組織名だった。
この装甲列車「スノーラビット」もまた、「千年至福」の所有物。
一般人が乗ることの許されぬ特別車に、ジャック少年とアダム・ヨスラフが乗っていた。
「首都まで何時間だ? ジャック」
「……あと五時間です。遠いですねー」
「いくら特急でも、ほぼ星の裏表だからな。同じ星の移動で宇宙船出すわけにいかんし」
ジャックはアダムにつきあって、据え付けのデスクでのんびりチェスを打っていた。吹雪と荒野だけの外の景色には、二人とも一切関心を示さない。
この列車は全七両編成だが、そのうち客席は先頭の二両のみだ。一号車がジャックたちのいるVIP室、二号車が少数の護衛が乗る一般席。残り五両は全て戦闘ドロイドや火器を満載した貨物室になっている。
その様相は兵器を通り越してもはや火薬庫じみており、要人輸送機にしても過剰すぎるこの戦闘力が、しかし今度ばかりは役に立っていた。
「さっき出発したばっかりですけど、もう基地のほうが心配になってきちゃいました……大丈夫でしょうかね、あいつら」
「『レッドフード』が最初に現れてから四週間。ヤツはきっかり七日おきに、ひとりずつ俺たちの仲間を殺していった……」
「出現の傾向から考えて、来週か再来週には、俺たちの基地が狙われる可能性が高い」
会話しながらもゲームは進む。チェスの盤面は現在、ジャックが有利であった。
超攻撃的なクイーンと、その脇を固めるように働くナイトがよくかみ合っている。アダムの方が手駒の残りが多いものの、徐々に押されてきていた。
「だが、着くまでには気持ちを落ち着かせとけよ。せっかく今日は、お前がはじめてボスとの謁見を許される日なんだぜ。マフィアの世界は度胸が全て――おどついた顔をボスに見せちゃ、もらえる地位ももらえんぜ?」
「……はい。でも、みんなが心配で……」
「……お前は優しい奴だよ。でも、大丈夫だ。今週の殺しを終えた以上、『レッドフード』が俺たち不在の間に襲ってくることはまずない。来るとしたら来週以降……つまり俺たちが帰った後からだ。その時に、俺とお前でヤツを討つんだ!」
アダムが発破をかけた、まさにその瞬間――ドォン! と轟音が走る。
――なにかが、列車に衝突した? そう考えるより先にジャックの身体が浮きあがり、そのまま重力の方向が変わる。二人は衝撃で椅子から跳ね飛ばされ、壁に向かって転げ落ちた。
「ううっ……!」
「……な、なんだ……!? おい、ジャック!?」
なんらかの凄まじいパワーによって、装甲列車が丸ごとレールから外れて横転した。
いまや床となった壁に、ジャックは思い切り頭を打ってしまい、出血する。困惑するアダムの頭上で誰かの足音がし――金属のきしむ衝撃音とともに、鋼鉄のドアが足形に凹んだ。そのまま二撃、三撃と加えられたドアはついに叩き落とされ――
「フン。たわいもない」
吹き込む豪雪とともに、異形の人影が車内に降り立った。
「お……お前は」
「運がいいじゃないか、そこの少年。500キロ越えで脱線させたというのに、ただの出血で済むとはな」
コキュートスに吹く風を思わせる声が、彼らの頭上にふりかかった。
身長ほどもある巨大な義手を右腕とし、深紅の頭巾をかぶった、小柄な体躯の少女。その特徴はまさしく――
「き、きさまレッドフード……!!」
「しかし、貴様はどうしてキズひとつないのだ? アダム・ヨスラフ支部長殿。――あわよくば、今ので全員殺せればと思ったのだが」
「バトルドロイド!! 出動しろっ!!」
「フン……ムダだ。後方の貨物室の扉は既にロックしてある。無駄な装甲のせいで内から破るのも不可能……レーザーで焼き切るにしても、ニ十分後か三十分後か。
とはいえ、私は急いでいる――この列車を明け渡してくれるならば、『楽に殺してやってもよい』」
「――くそっ!!」
「フン」
ジャックがむりやり勇気を振り絞り、愛銃を手にくらくらする頭で立ち上がった。
少女は鼻を一つ鳴らし、掌を――生身の左手の掌を、わずかに押し出す。次の瞬間、ジャックは体をくの字に曲げて吹き飛ばされていた。
「がはっ……!?」
「高速の掌圧によって空気を押し出す……『ただの人間なら』これだけで制圧できる。よかったな少年、君はもう少し長生きできるぞ。
――だがあなたはダメだ、ヨスラフ支部長殿。死んでもらう」
「ジャック!? てめぇ……!!」
衝撃波を腹に直撃されたジャックは、車両の奥の壁に叩きつけられ、血を吐いてぐったりと倒れる。激高したアダムはライトサーベルを点火し、中段から斬りつけた。彼を巨大ギャング組織の最年少幹部たらしめた剣術だ。
その超高熱の刃を、白く輝く金属の義手が、掌で握りしめた。絶望的な間合いの差である。白刃取りを行った少女とアダムは、義手を挟んで優に二メートルは離れていた。
――ゴシャァ! 少女の鉄腕が、ライトサーベルを展開する本体ごと、アダムの両手をひねりつぶす。
「レ、レッドフード……」
「……フン。この私をつかまえて、ずいぶんかわいらしい名をつけてくれたものだ――もっとも、犯罪者共になんと呼ばれようと汚らわしいだけだがね……」
(うぅぅ……! 動け、おれの体! このままじゃアダムさまが……!!)
「健気な事だ」
少女は、立ち上がろうともがくジャックに目線を送ったまま、空中で横殴りにチョップを繰り出した。金色のものが床へ――転倒によって床に変わった列車の壁へと落ちる。
切断されたアダムの頭部だ。そう気づいたとき、ジャックの身体の痛みは止まった。
「貴様ア゛ァァァァァッ!!」
吹き飛ばされても銃を離さなかったジャックは、少女の頭部に三発撃ちこんだ。アダムが剣士なら彼は銃の名手、その技量は百発百中であり、実戦経験も豊富。負傷した程度で外すはずがない。
マグナム弾が『レッドフード』の額に食い込む。――殺した! 一瞬、ジャックはそう思ったが。
「……フン……早いな。その年で、幹部と同行するだけはある」
「――いいっ!?」
左顔面に突き刺さったはずの銃弾が、三発とも落下して、涼やかな音を立てる。
ジャックは驚きながらも、仁王立ちして銃を両手で構えるが――すでに、少女はジャックと鼻が接触するほど距離を詰め、その手に手を添えている。
そして、至近距離で少女の顔をよく見た時――ジャックは、骨まで総毛立つのを感じた。
「残念だったな。ここはもう肉体じゃないんだ」
銃弾は全て『レッドフード』の右顔面に命中していた。その被弾箇所がへこみ、表面が剥がれて内部構造が見えている。
頬の傷の中には、基部に据わった人工の奥歯がのぞき、額の傷の中には、視神経の役割を果たすらしいケーブルが埋まっている。まさにサイボーグそのものの顔だった。
「左顔面はまだ生身だ。そっちを狙われたら避けていたよ」
ジャックは、負けじと靴の先から隠し刃を出し、蹴り上げようとする。少女は「フン」と鼻を鳴らし、刃を足ごと床に踏み抜いた。
「あぁッ……!」
「次はどうするつもりだ少年? 噛みつくか、それとも頭突きか。あるいは、目に唾でも吐いてみるかね?」
間近で見る彼女の、半分機械と化した顔には、凄まじい迫力があった。なまじ基が美少女なせいで、余計に凄味が増しているのである。
漆黒の髪をポニーテールにまとめ、紅い頭巾に開いた穴から垂らしている。右側の義眼は青色をしているが、本人のものと思われる左眼は、赤色の猫目だ。小さな唇も、リップを塗っていないにもかかわらず艶めいている。
十四年間女っ気のない人生を送って来たジャックは、思わず息を呑んでしまった。間違いなく〈六区〉の出身ではない。なぜなら美貌の女は、スラムばかりのこの星で永く生きられないからだ――それこそ、「美貌」と言えるほど容姿が熟す前に。
「っ……なぜお前がここにいる?」
「……質問か。私が答えると思うかね?」
「思わない。隙を探ってるだけだ」
「少し用事ができてな。明朝までに首都に行かなければならないんだ。手ごろな列車が走っていたので、乗っ取らせてもらおうと思っただけだ。」
「答えるのかよっ! ……しかも、それだけでアダムさまを殺したっていうのか!?」
「それだけなものか。殺人、宇宙船墜落、売春強要、兵器や麻薬の密売……奴が犯した罪状は、どれをとっても極刑ものではないか」
「……! お前、銀河警察の人間か?」
「ノーコメント……だ」
少女は、指でジャックの拳銃の銃口をはじいて、飴細工のように折った。足を踏み砕いたり手ごと握りつぶしたりしていない時点で、これは温情ある対応だろう。
振り絞れる限りの勇気を、すべての武器を、最小の動作で封殺された。圧倒的などというものではない。目の前にいるこの少女は、まさしく別次元の存在だ――ジャックは、そう実感せざるを得なかった。
(だが、『レッドフード』が本当に警察の人間なら、なぜおれも殺さないんだ? だが、恩人を殺されて黙っているわけにはいかない……!)
しゃべっているふりをして、ジャックは、歯の裏に舌を滑らせていた。そこからあるものを取り出して、噛み砕き――瞬間、強烈な光が生じた。
「……ぐぅっ!?」
「念のために仕込んだスタングレネードだ……殺してやるッ、レッドフード!!」
ジャックは左手を思い切り伸ばした。装置が作動し、仕込み銃が滑り出て来る。
目をくらませた少女が、とっさに手で顔を覆ったので、今度は胸に全弾撃ち込む。鉄腕をつけた小さな体が力なく倒れた。
すかさず彼は少女の上に馬乗りになり、アダムの死体に手をそえる。
「勝手なことをぐちぐち言いやがって……アダムさまが、ただの犯罪者なものかよ! 俺たち『千年至福』は、ミュータントから民衆を守る正義のマフィアだ……何をしようが全部、人々のために必要なことだ!」
「……フン。やはり君は、何も知らんようだな」
「――ああ、そうさ」
「「!!」」
第三者の声が車内に響いた。八発撃たれた『レッドフード』が何事もなくしゃべった驚きも、ジャックの中から一瞬で消える。
二人そろってアダムの死体に目をやった。――首を切られたにもかかわらず、ほとんど出血がないアダムの死体に。呼吸器とつながっていないはずの生首の口が、確かに動いていた。
「俺はそいつを、ほんのガキのころに拾って育てたが……そいつだけじゃない、この星の連中はみんな一緒だ。俺たちのことを正義の味方などと、そんな家畜向けの『おとぎ話』を――そろいもそろって信じているのさ!」
「――伏せろ! 少年ッ!」
「……えっ……?」
アダムの死体が――死体だと思っていたものが、急激に膨張した。
肌はおぞましい緑色に変色し、全身が針山のように尖って――すぐそばにいたジャックの片目が切り裂かれる。それも、まだ生身だった方の目だ。
「あぁっ……!!」
「少年ッ!! ――貴様、やはりか!」
ジャックの義眼は健在だが、それはあくまで、片方残っていた自前の目を補完して、視界を形成するためのものだ。義眼の限定的な機能だけに頼った彼の視界は、色のないワイヤーフレームのみで構成された世界と化し、故障した義眼が時々ビープ音とともにノイズを走らせる。
それは人間の輪郭や地形がギリギリ判別できる程度のおぼろな視覚でしかなかったが、その中でもアダムが変異したのは、人からかけ離れた異形であることははっきりわかった。
むろん少女の目には、その光景が鮮明に映っている。恐竜のなりそこないのようなフォルムをした、緑色のウロコを持つ四足獣の姿だ。胸の当たりにはトゲの生えた心臓が露出し、ドクドクと力強く脈動するさまがはっきりと見てとれる。
「ほかの幹部どもと同じく、すでにミュータント化していたか……しかし、なんと醜い。蛹から無理に変異しようとするからだ」
「べつに本意じゃねえよ……いま解放すればこういうことになってしまうことは、俺にだって分かっていたさ」
「ミュータント化……アダムさまが? バカな……」
目の前で起こっている事態を、ジャック少年は受け入れられない。
人々を脅かす怪物、ミュータント。それを討伐するのが『千年至福』の存在理由であり、ジャックの生きる動機そのもの――なのに、自分を組織に迎え入れてくれたアダム・ヨスラフが、そのミュータントだっただと?
だが破壊された視界のみならず、彼の聴覚までもが、ジャックにそれを裏付けていた。聞きなれたアダムの声は枯れ切り、時々獣の唸りのような雑音が入ってくるのだ。それは、声帯を含めた肉体そのものが変貌している証。
「だがここで死ぬよりはマシだ! たとえ一生この姿だとしても、お前の命だけは持っていくぞ……!」
「フン。なりそこないがよく喚く」
「ほざくなァッ!!」
巨大な腕が、狭所を交差する。
『レッドフード』の白鉄の腕と、怪物化したアダムの粘着質な肉の腕だ。生まれたてにもかかわらず、腐肉のようにただれたアダムの身体は、アメーバのように膨張を続けている。じきに車内を覆い尽くしそうなほどの圧迫感だ。
事実アダムは少女ににじり寄り、押しつぶそうとしている。少女は鉄腕の重みを使って動きにひねりを加え、全体重をかけた強烈な蹴りを叩き込むが、衝撃を吸収されて有効打が与えられない。
「効かねえよ……!!」
「――くっ!? か、はっ……!!」
カウンター。腐肉の弾力を生かした突き上げが、少女を天井へ跳ね飛ばす。
まさに人外の闘いだ。ジャックは全くついていけない。視覚が健在でも何が起こっているか、理解できなかっただろう。
「なぜです、アダムさま!? ミュータントは我らが倒すべき対象……あなた自身がそれになってしまうとは!? 『千年至福』を裏切るおつもりですか!?」
「くはは……お前が知る必要はねえよ、ジャック! 『レッドフード』が勝とうが俺が勝とうが、お前は死ぬことになるからなッ……!!
組織を裏切るだと? 相変わらずズレたことを言う! 俺のこれこそが組織の真の姿だというのにな……!!」
「……なっ!?」
「お前はたしかに優秀だったが、根っこの部分が俺たちとは違っていた。麻薬ビジネスへの欲望も持たず、組織でのしあがる野心もない。ミュータントを駆除して、人々に安心を与えたいと……そんなバカげたことを本気で願っていやがる! お前なんかを幹部にしたら、『千年至福』が終わっちまうんだよ……!!
俺の出世に役立つ間は生かしておくつもりだったが――この姿を見られては是非もねえ! お前とはこれまでだよ……ジャック!!」
「フン。私をさしおいて何を勝手な」
「……てめえ、まだやるつもりか」
アダムはすでに勝ったつもりでいるようだ。しかしジャックには、少女が大したダメージもないくせに、あえて黙っていたように思える。
――自分たちの話を聞くため? いや、彼女にとってみればアダムさまも自分も同じ敵。会話の内容など、どうでもよい事のはずだが……?
「動くんじゃねえ、レッドフード。他の幹部どもは殺せても俺はそうはいかねえ。俺は人間を超越したんだ」
「いきがるな、成り損ない――貴様らは等しく、人間以下のバケモノだ」
その時、天井に打ち付けられてへたりこんでいたはずの少女が、跳びあがった。全身で床を蹴りつけたような加速で、少女の腕の鉄塊がアダムに肉薄する。
「たかがチンピラ駆除のために、こんな長物をぶら下げやしない。
知るがいい――わが鉄腕は、怪獣殺しの術であることを」
――空間が大きく揺れ、ジャックの視界にノイズが走る。
次の瞬間、少女の義手が、アダムの身体から脈動する肉塊を奪い取っていた。――表面でむき出しになっていた心臓。まだ動くそれを、鉄の剛腕が躊躇なく握りつぶし、粘ついた緑色の血が少女の体中を汚した。
「『シアー・ハート・アタック』――浄化完了」
「……ハハ……クソがよ。……素直に死んどいた方が、マシだった……な…………」
――未練がましいうめきを残し、アダムの肉体は塵になって消え去った。『レッドフード』の顔に、膿のようにべたついたミュータントの血も、同じく跡形もなく消滅する。
あとに残ったのはただ二人。満身創痍のジャックと、アダムを殺した少女のみ。少女は何度か掌を握ったり開いたりしてから、おもむろにジャックの方へ歩を進めた。
「少年。君はさっき目をやられていたな?」
「――ひっ!!」
「安心しろ。いま楽にしてやる……」
少女の生身の腕が、ジャックの顔面へ伸びる。――きっと頭を砕かれるのだろう。ジャックはすべてを覚悟して目を閉じた。
――だが、十秒ほど経ってもまだ死んでいない自分に気づいて、彼はおそるおそる目を開ける。そこにあったのは、なぜか色彩を取り戻していた景色と――
「よかった。ちゃんとなじんだようだな」
片方の眼窩が空洞になった、少女の安堵した表情。気づけば、目を切り裂かれた激痛もすでに止んでいる。
それが意味することは一つしかなかったが――彼の口から出てきたのは、「なぜ?」の一言だけだった。
「む? なにがだ」
「……あんた、おれに目をくれたんだよな……? なんで、こんなことするんだよ……」
「フン……なんでもなにも、君らがいつもやっていることだろう。人間には本来二つしかない目玉も、マフィアにとってはただの売り物。親からもらった体の一部を、取ったり換えたりも日常茶飯事……そう困惑するようなことでもなかろう?」
「おれが聞きたいのは、なんで敵にこんなことするのかだ! アダムさまを殺したら、次は俺の番のはずだろう!?」
吼える少年に一瞥もくれず、少女はコンタクトレンズを入れるような気軽さで義眼をはめこんだ。ジャックの義眼とは雲泥の差の自然さである。そしてなぜか彼女は、ジャックと目線を合わせるように、真正面に腰を下ろした。
ジャックは思う――悔しいが、やはり可愛い。そしてかなり若い。眉間にしわが寄っていて目つきが悪いが、歳は多くても自分より二つか三つ上……どう見ても二十歳には達していない。戦闘スタイルの荒々しさと落差がありすぎる。
「なあ、少年……君はなぜそれほどまで、アダム・ヨスラフに……『千年至福』に愛着を持つのだ? 片腕片目を失うほど酷使されたのだろう?」
「質問を質問で返すなよっ!? ……で、これか? 別にそういうわけじゃないよ。組織への上納金を工面するために、自分の意志で売ったんだ」
「……フン、余計に最悪だな。私たちの語彙では、そういうのを自己決定とは呼ばんよ。
――リリィ、そろそろ出てこい」
「……WOOF」(御意)
「うわっ!?」
少女の号令で、どこからともなく、小さな犬型ロボットが現れた。二足で立ち上がり、プルプルと震えながら壁によりかかって、尻尾についたケーブルを端子に差し込む。すると、「リリィ」のサングラス状になった目の部分がキラキラと光り始めた。
「……何してるんだ? こいつ……」
「ハッキングだ。異常事態の連絡は既に行ってしまっただろうが、ネットワークからこの列車を切り離して、止められないようにしておく……リリィ、しばらく任せたぞ」
「あっ、おい!?」
列車はいまだ横転している。少女は天井へ手を伸ばし、絶えず雪が入り込んできていた出入り口につかまって外へ出た。
外は豪雪だった。なんの装備もなく負傷しているジャックには顔を出すのがやっとだが、少女の方は、みるみる体中に積もる吹雪を意に介さず突き進む。
「……私は、臓器売買を憎む者だ」
「なに?」
「目をなくした者にはまた光を見て欲しい。肺をなくした者には再び空気を……こんなよどんだ空気ではなく、もっと自然豊かで平和な星の空気を吸って欲しい。罪なき人々に、健康な人生を送らせてやりたい……そう願う者だ。
だからこの仕事についた。体の一部をなくした、あるいは売らざるをえない貧しい人々を、助けたいと思うがゆえに」
「……おれは、お前が敵を助けた理由を聞いているんだぞ……」
「フン、ずいぶんそこを気にするな。だが、私にとって相手の立場はたいした問題ではないのだ。相手によって態度を変えるのは、本当の信念ではないからな。
――少年、中に入ってどこかに掴まれ。列車をレールの上に戻す……」
「えっ!? あ、あわわ……」
横転して脱線した装甲列車を、力づくでレールに戻す。彼女がそんなバカげた芸当を実行できてしまうことは、身に染みてわかっている。
「ぎゃあ!?」
「BOFッ」(おうッ)
「お、思ったより荒っぽい……大丈夫かお前?」
「WOOF」(慣レテルノデ)
鉄腕の拳を横っ腹に叩き込まれた列車は、レールの上にドンピシャで乗った。少女がやはり手作業で車輪を微調整し、列車そのものがガタガタと動く。テーブルの位置でも直しているかのような手際に、ジャックは改めて戦慄した。
九十度回転していたのがもとに戻ったが、あいかわらず吹雪は横殴りで入り込んでくる。ドアそのものがはじけ飛んでいるのでどうにもしようがなかった。
「私の正義において、ジャック少年は救われるべき存在だ。そう思うから助けるのさ……」
「――ッ!! ふざけるな……! おれは、お前に憐れまれたりされるような人間じゃない! 組織に入っておれは変われたんだ! 不幸な奴なんかじゃない……!」
車両の中と外の会話。お互いの顔は見えないが、吹き付ける風の中でもはっきりと分かるほど少女の声は力強い。
「フン。違うな……君は未だ、歪められた世界の住人だ。自分が被害者だと気づいていない被害者ほど哀れなものはない。
本来ならジュニアハイスクールの歳で、目と腕と内蔵を失いながら、なおも鉄砲玉として働かねばならないのだろう? そんな若者は、他の惑星には居やしないよ」
「……あんただって、若いじゃないか?」
「私は選んだよ」
君とは違ってな――と続くはずの言葉は、爆音で遮られた。
後ろからだ。護衛の兵隊が待機していた、なおも横転したままの二両――。
「ヨスラフ様! ジャック様! ご無事ですか!?」
「――! レ、レッドフー……!!」
「フン。そうか、すっかり忘れていたな……」
ロックされた扉をこじ開けたらしい兵隊たちが、車両の入口に殺到する。少女は大して慌てた風でもなく、手刀を構えるが――ジャックは意を決して、両者の間に躍り出た。
「――待てッ!! お互い止まれッ!!」
「!」
「……え? ジャ、ジャック……?」
「アダムさまはすでに亡くなられた。現在は彼女『レッドフード』が、この列車を掌握している。おれも応戦したが、見向きもされなかった。彼女にとっては、おれなど相手ではないということらしいよ……」
「――そんな!」
「つまりお前たちも彼女には決して勝てない。ここでの流血はもう無意味だ。
――おとなしく列車を明け渡して欲しい、そうすれば全員の命を保証する……そう、彼女は言っている」
「!?」
アダムの部下であるジャックが生きており、主君の仇である『レッドフード』を代弁する立ち位置につく。冷静に考えればおかしな状況だが、彼らにとっては都市伝説じみた存在である殺し屋『レッドフード』を前に、兵隊たちは恐慌状態だ。
そもそもこの場では、彼らへの命令権はジャックにある。仮になにか疑問があっても、ここは少年の言葉に従うしかないのだ。
そして困惑したのは『レッドフード』たる少女も同じ。なにしろ、ジャックはいきなり本人のすぐそばで、彼女の名前を使ってブラフをかけたのだ。
(おい、少年……?)
(とりあえず合わせてくれ! これがいちばんすんなりいく!)
「……あ、ああ、そうだ。無駄な殺生は本意ではない。私は、目的地への足さえ手に入ればそれでいいのだ……救援要請でもなんでも、好きにして構わん」
「わ、わかりました……!」
「ジャックは? お前はどうするんだよ!? アダム様も殺されたんだろ……!?」
「俺は――『レッドフード』と一緒に行くよ」
「「「「「……はぁっ!?」」」」」
ジャック以外、全員の声が重なった。少女さえ開いた口がふさがらない。
――この少年、突然なにを言い出す? 今のはどう考えたって、部下の彼らと一緒に残る流れではないのか……?
「『レッドフード』はおれたちの敵だ。お前らを助ける了承は取り付けたが、実際何をしたいのかはおれにもわからねえ。
だからおれが見張り役になる。もしこいつがお前らを殺そうとしたら、刺し違えても止めてやるさ」
「ジャック、そんな……! 人質なんて俺たちが……!」
「ダメだよ。上官の決定だ。それにお前、一週間前にやっと恋人ができたばっかりじゃねーかよ」
三十近い髭面の男を、その年齢の半分にも満たない幼い少年が、優しい笑みでなだめる。実力主義、かつ階級社会のギャングの世界では、こういう逆転した光景は起こりうるのだ。
やがて、ジャックと少女は車内に戻る。「リリィ」がハッキングを終えて待っていた。
「……フン。いい手際だったな、少年」
「当たり前だ。伊達に基地のナンバー2になってねえよ」
「だが……最後のは、一体どういうことだ? 私とともに来るなどと……そもそも君は、私がどこへ向かっているかも知らないだろう? 私の隙を見て仇討ちがしたいと言うのなら、止めはしないが……」
「……そんなんじゃない。あんたのことは、もう仇だと思えなくなった。それにおれは、あんたの行先どころか自分の未来さえもう分からない。アダムさまが死んで、しかもあの人がミュータントだった。
――なにが本当でなにが嘘なのか、おまえは敵なのかそれ以外の何かなのか。頭がぐちゃぐちゃで何も分からない……だからついていく。お前と行動を共にして、お前の事も、組織の事も、自分の目で見て考えてみる。
言っとくけど、見張るというのも嘘じゃないぜ。お前の正義が本当か、このおれが見定めてやるんだ」
「……フン、たいそうな事を。自分の目といっても、片方は私の目だろうが。
――言っておくが、死ぬぞ? 生きる確率より、死ぬ確率のほうがずっと高い任務を帯びて、私はこの星へやって来たのだ。この列車が走り出したらもう戻れない。今なら、仲間のもとへ帰れる」
「おれはもう居場所をなくした身だ。何が起こっても構わないさ。
――連れて行ってくれ。でなきゃ明日は見えない。足手まといにはならないと約束する」
「……フン。ならば、せいぜい役に立ってみせろ」
床の下で車輪が動く。装甲列車が再び走り始めた。
――戻れぬ旅が始まったのだ。ジャック・スワロー少年と『レッドフード』、本来敵同士の二人の旅が。
「……さっきから、ずっと気になっていたことがあるんだ」
「?」
「……『ミュータントこそ組織の真の姿』。アダムさまのあの言葉は、どういうことだ? アダムさまは……いや、組織は、おれに何を隠していた?」
「――フン、いいだろう。君は自分で考えて決めた。現実を知ろうとする道をな。
ならば私も知ることを話そう。君がいる組織『千年至福』、その実情について」
◆
『千年至福』――『Millennialists』。
それは銀河でも最大規模のマフィアだ。オーガン星系の第六惑星〈六区〉を本拠とし、鉱山惑星〈七区〉、中央都市〈四区〉、農業惑星〈二区〉に勢力を持つ。犯罪組織というより、むしろ小国家に近いと言えよう。
その構成員は10階層のヒエラルキーに所属し、その頂点に君臨するのが組織のボス「ゴダイゴ』だが――しかし、これは本名ではない。ジャパンの古い帝王に由来する偽名であり、ボスの素性を知るのは少数の側近のみである。
この組織は無政府地帯と化した〈六区〉における唯一の統治機構でもあり、この星の産業・流通の一切を支配している。各地の組織支部が実質的に現地の政府・警察を兼ねており、〈六区〉の住人は一切の生活基盤を組織に握られている状態だ。
ジャックたち構成員の主な仕事は治安維持。その中には、民衆を脅かす「ミュータント」の駆除も含まれている。
「ミュータントとは、古くからこの星に巣食う人外の怪物。かつて工業惑星だった〈六区〉の土に残る産業廃棄物の影響で、自然の動植物が変異を起こしたもの。それぞれ固有の能力を有し、人間を貪欲に捕食する食性と凶暴性、さらに人を欺く賢さを併せ持つ……まさに人間の天敵と言うべき存在。
――そういう風に、君らは聞かされているのだろう? 少年」
「ああ……それが、常識だと思ってた」
寒風が吹き込んでくる客席を避け、二人は本来無人の操縦席にいた。ジャックは鉄の義手に圧迫されて肩身を狭くしている。
「WOOF」
その膝の上には少女のロボット犬「リリィ」が収まりよく座っていた。どうも気に入られたらしい。
フロントガラスに映る真っ暗闇の中を、ライトに照らされた雪が駆け抜けていく。外はあいかわらず殺風景だった。
「(腕が邪魔で顔見えねえ……)……だから信じられないんだ。アダムさまがミュータントだったなんて」
「フン、違うな――アダム・ヨスラフだけではない。ミュータントとは、全て変異した元人間なのだ。動植物がミュータント化した例などは、私が知る限り一つもない。
――そして、『千年至福』がばらまく麻薬こそ、ミュータント化の原因となるものだ。君が聞かされていたのは、その事実を隠すための偽情報にすぎん。記録によればミュータントの出現しだしたのは、組織が活動を本格化した直後のことだ。君のいる組織こそが、ミュータントの元凶なのだ」
「――!!」
――組織はジャックを欺いていた。うすうす感じていたことだったが、そう断言される衝撃はやはり大きい。
『千年至福』の正義を信じていた。組織の支部こそジャック少年の住む場所であり、ともに働く仲間たちやアダムのことを家族だと思っていた。組織に裏切られることは彼にとって、世界そのものから断絶するのと同じだ。
「フン、すんなり受け入れるのか? 反発されると思っていたがな……」
「……組織からは、今あんたが言ったことと正反対の話を聞かされてたんだ。ミュータントは全て、元動物か元植物。人間がそうなった例はひとつもないって……。でも、おれは現に人間が変異するところを見ちまった。組織がおれに嘘をついてたってことになるだろ。
――信じたくないけど、今は冷静に考える時だ。今日を逃したら、おれは一生嘘の世界で生きてくことになる気がする。だからちゃんと聞くよ……つらいけどさ」
ジャックは切なく目線を落としながら、無意識に膝の上の「リリィ」を撫でていた。
本当に利発な子だな――少女は椅子に頬杖をつきながら、感嘆を禁じ得ない。この若さで幹部候補生なのもうなずける。
「でも、お前のこともまだ完全に信じたわけじゃないぞ。お前が何者か分からなきゃ、その話にも納得できない」
「――フン、焦るな少年。着いてからは急がねばならないが、それまでは時間がたっぷりある。これでも食って落ち着くがいい」
そう言って、名も知らぬ少女はジャックに灰色のパウチを差し出した。いぶかしむジャックを無視し、義手を上にスライドさせて長さを調節し、同じパウチを開ける。
「この車の中に食料が見つからなかったからな。本当は予備なのだが、まあ行先で調達するさ」
「……レーション? これが普段の弁当か? ってことはあんた、やっぱり警察の……」
「慌てるなと言うに。安心しろ、食べながらそのへんも説明するさ」
パウチの中身は色も臭いも皆無だ。首をかしげながらも、ジャックは付属のストローで正体不明の食べ物を啜ってみた。
――不味くはない。しかしそれが何味なのかわからなかった。なんとも舌に絡みつく不思議なドロドロを、二人で仲良く流し込んでいく。
「……はじまりから話すと……私は、八年前まで〈四区〉にいた。母親は別居でよく覚えていない。新聞記者をやっていた父親と、リリィと、二人と一匹で暮らしていたんだ」
「……なに? 〈四区〉の……?」
突然、少女が身の上話を始めた。
惑星〈四区〉は、オーガン星系の中心都市だ。自然豊かで裕福な星であり、ジャックにとっては文字通り雲の上の世界である。少なくともこの少女は、ジャックとは比べ物にならない恵まれた生まれだったようだ。
「だが父がある時、勢力を拡大していた『千年至福』を批判する記事を書いて――それが、組織の怒りを買った。次の休暇で久しぶりに旅行に行こうとして、私たち家族で乗っていた車が、走行中に爆発したんだ。
――三日後に目が覚めた時には、体の半分を失っていたよ。警察の対応が早くて、私とリリィはサイボーグ化が間に合ったのだが、父は助からなかった。埋葬すら難儀する程にこなみじんだったそうだよ」
天涯孤独のジャックにとって肉親という存在はピンとこない。だが、父であり兄だったアダムの死を間近に経験している分、その時の少女の苦しみには実感がもてる。
アダムを殺したのは彼女自身だが、しかし彼女にとっても組織は仇だ。これは誰の責任でもない。『千年至福』から始まった不幸の輪廻だ――ジャックは、そう認めざるをえなかった。それは、自分が彼女を恨んでも不毛である事の確認でもある。
「それで警察から勧誘を受けて――あとは、だいたい君が見当をつけたとおりだよ。銀河警察の特殊部隊のエージェントになる道を選んだ。
機動隊でも正規兵でもなく、サイボーグ改造によって戦闘力を高めた少数精鋭。通常の警察力では捕らえられぬ巨悪を標的とした、公には存在しない『暗殺部署』――それが私の所属だ。ま、人様に自慢できる仕事とは呼べんな」
「……そうか。あんたも、苦労したんだな……」
「フン、そうでもないと自分では思うが……君に同情されるようじゃ、そうなのかもな。――それと、いい加減にあんたあんたと言うのをやめろ。ちゃんと昭(ショウ)紅花(ユーチェン)という名前がある」
「……ショウ? ずいぶん女っぽくない名前だな?」
「失礼なことを言うな。というかそっちはファミリーネームだ。私は姓名の並びが普通と逆なんだよ」
「ショウ家のユーチェン? ってことは、東洋人の末裔か。なるほど、だから髪が黒いんだな」
「いいや。これは染めてる」
「染めてんのかよ!?」
「私の素性がばれたら、無関係の母親にも累が及びかねないしな。一応対処してるんだよ。君らが『レッドフード』と呼ぶこの頭巾も、もとはといえば変装道具だったんだ」
少女あらためユーチェンは、オイル臭のするスキットルを豪快に呷った。ジャックは見ているだけで気持ち悪くなる。テロで体の半分を失ったというのが本人談であり、体の中身まで相当な分サイボーグ化されているらしかった。
「……これからどこに行くんだ?」
「『千年至福』最大の麻薬プラント――ヒューム工業地帯へ向かう。奴らの工場に直接殴り込みをかけ、麻薬事業を叩き潰す」
「……あまり、気乗りはしないな。麻薬は貧民にとって、唯一の心のよりどころなんだぞ」
「その常識はおいおい治していけばいい。だが、奴らが作っているのはただの麻薬ではなく、ミュータントを無秩序に増やす病原体であることを忘れるなよ。ミュータントを絶滅させ、人々の平和な暮らしを守る――本当にそれを叶えたいなら、『千年至福』の麻薬を根絶しなければならないのだ」
「なるほど、わかった。普通の麻薬を作るべきだ、ということだな」
「人聞きの悪い事を言うなぁッ! というか君、パッと見はまともだけど、まさかキメちゃいないだろうね?」
「何言ってるんだ、おれはやらんぞ。体は唯一の資本だ、台無しにしたくない」
「そういう認識はあるのか……」
ジャックの考えでは、麻薬は「貧しい者の味方」である。一時的にでも精神の安らぎを与えてくれる麻薬は、希望のない毎日を送る者たちにとって唯一の救いである――という、安楽死じみた発想から麻薬を肯定しているのだ。
だからこそ自分には必要ないと思っているし、できることならそういう者たちを、もっと健康な手段で救ってやりたい。それがジャックにとって出世したい動機のひとつだった。〈六区〉において組織の重職に就くことは、そのまま政治への参与を意味するからだ。
「しかし、この食い物は胃もたれするなぁ……。あんたら、こんな名前もわかんないようなメシだけで、よく殺し屋なんかやってられるな? おれらが食ってる缶詰のがマシだぞ」
「生意気なやつめ。もらったものに文句を言うな」
「まずくはねぇよ。だけど、こればっかりってきつくないかって話だ。おれも似たようなもんだから分かるけど、こういうのを食う時って寝る暇もないような時だろ?」
「別にこれだけじゃない。ただ、任務中によけいな欲望を捨てるために、私があえて同じ種類のしか持ってきていないだけだ。あと、糖分と塩分を補給するためのソルトキャラメルも一応携帯している」
「――!? キャラメルっ!!」
「……おい、なんだその食いつきは? ……ああ、でも……確かにこの土地ではなかなか甘味にありつけないだろうな。
――ふむ、どうだ少年? その態度を改めるなら、いくつか恵んでやらないでも……」
「めぐんでくださいユーチェンさまッ!! お願いしますっ!!」
「早いなそこは!? ――いやわかった、わかったからしがみつくな!!」
◆
それは、この星で最も暗い部屋だった。
赤黒いライトに照らされたピアノを、ひとりの男が弾いている。美しい旋律、なめらかな指運び。そして――男が触った鍵盤に、べったりと残る真っ赤な指紋。
「――おはようございます、アークフィン様。きょうもお美しゅうございます」
「ああ……君もな、ヴィクトーリア。君が来ると知っていたら、もっと気合を入れて弾いたよ。……恥ずかしいな、練習するところを見られちまった」
「と、とんでもありませんっ! 努力する姿も素敵でございますっ!」
男――アークフィンは、入室してきた者の存在に気づき、バツが悪そうに笑う。ヴィクトーリアと呼ばれた美女は、軽口にムキになり、あたふたしながら否定した。
「で、どうしたんだ? こんな早くから君自らが出て来るなんて。わたしが寝ている間、『レッドフード』に動きでもあったか?」
「……はい。ついさっき、組織所有の装甲列車が『レッドフード』に奪い取られたと報告がありました。こちらに向かっている模様です」
「やはり、一帯の幹部どもを殺して終わりではなかったか……狙いはわたしの首、あるいは麻薬プラントか。となるとどっちにしろ首都圏まで直行してくるな」
「嘆かわしいことです。この宇宙に、あなたを好きにならない者が存在するとは」
「そりゃあ世の中君みたいに、男の趣味の悪い女ばかりじゃないからな……しかし、そうなるとアダムとジャックは既に殺られているな」
「いえ……アダムは殺されたようですが、ジャック・スワローは無事の様です。なんでも人質にされたとか」
「はぁ? なんだそりゃ。幹部候補生ごときに人質の価値を認める『千年至福』じゃねえよ。『レッドフード』も、それは承知のはずだ。
――だが、それを殺さずに同行させているということは……。もしかすると、ジャックは奴の側についたかもしれんぞ」
「……彼が裏切りを働いたと? 一体なぜです?」
「まだ確定ではないが……潔癖なあいつのことだ。多分なにかのきっかけでミュータントのことを知って、心が揺らいだんじゃないか? もともと動機としてはありえる奴なんだよ。少なくとも『人質』はまず無い。事情を知らない下っ端に対し、『レッドフード』が奴を伴う口実としてそう言ったにすぎないだろう」
甘えるヴィクトーリアを胸に抱き、優しく撫でるアークフィン。その背後には――というよりも部屋全体には、数十体の女性の死体が転がっている。開かれたままの目は、演奏を拝聴する観客のごとく、一様にアークフィンに視線を注いでいた。
死者たちの眼差しを意にも介さず、事実に限りなく近い考察を披露するアークフィン。『Archfiend』――すなわち『魔王』の名を冠するこの男は、まさしく悪魔の知性を持っているようだった。
「ところで、これは? みな若い女ばかりのようですが……」
「今朝はたまたまそういう気分だったんだ。でもあまり満足はできなかったな。せっかく刻んでやったのに、抵抗もせず泣き叫ぶばっかりでさ。……やっぱりヴィクトーリアが一番だよ。切り裂く手ごたえも、血の味も」
「――では、久しぶりに『お捧げ』いたしましょうか?」
「うん」
ヴィクトーリアは感激した表情で、どこからともなく異形の刃物を取り出した。バターナイフ程度の刃渡りだが、とても鋭利で、ごつごつした白い素材の柄を持っている。それは、ヴィクトーリア自身の骨肉から成るものだった。
「ん……く」
うやうやしく差し出されたなめらかな掌に、アークフィンが優しく手を添え、浅く刃を入れていく。染み出てきたのは、人間の血の色をしていない液体だ。おぞましい黄金色の血がナイフの刃に伝い、アークフィンの男とは思えぬ艶っぽい唇が、それを吸い取った。
愛しい男が己の一部を摂取する喜びに、ヴィクトーリアは顔を紅潮させて身震いする。
「……ああ、素晴らしい味だ。またたくさん殺したようだな」
「光栄のきわみでございます」
「君の細い首をこの手でしめて、息の根を止めることができたなら、さぞ素晴らしいだろう……そうできないのが残念だ」
「同感です。失礼ながら、そこいらに転がっている彼女たちのことが、羨ましくて仕方ありません。あなた様御自らに、命を貰っていただけるなど」
鋭い犬歯を血に濡らしたアークフィンが、相手の首に手をかけながら、穏やかに微笑む。ヴィクトーリアは乳飲み子を見るような慈しみの目でそれに帰す。
真新しい遺体だらけの、古い死臭の染みついた部屋で、この二人は確かに愛し合っていた。
「……『レッドフード』の行先は二通りしかない。つまり明日か明後日には、君かガブリエルのどちらかが奴と相対することになる。オーガン星系の支配も視野に入って来たいま、彼女こそが目下最大の敵だ。逆に言えば奴さえ消せば、わたしの夢が叶う時も目前ということ……。
――最後まで役に立っておくれよ。わたしの
「
「
丁寧な敬礼を受けた男が、血の味のするキスを女に返した。
男の名は
麻薬とミュータントをばらまいて、〈六区〉に災厄をもたらした張本人たちであった。
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