第2話
――さて、その何だか恐ろし気な警察署の前に今宵、一人の女が立った。
正確には警察署の、道を挟んで反対側の建物前にである。
入り口付近でたむろしていた若い警官たちが、程なく気づく。
「そこのあんた。なにしてんのそんなとこで。
【オルトロス・プロテクション・エージェント】になんか用?」
女が振り返る。
「こちら【
「そうだよ」
「みなさんお留守ですか?」
「出払ってるみたいだな。朝から今日は閉まってる。
つーかここ数日ずっと閉まってるんだよ」
「そうですか……」
女はもう一度ビルを見上げた。
「ここの連中になんか用だった?」
「いえ。用というほどのことではないんです」
女がサングラスを取ると、露わになったその美しい容姿に、警官たちは曲がりなりにも街の守護職とは思えない、浮ついた口笛を吹いた。
「あんたこの街の人間じゃないだろ」
「ええ」
「OPAの連中になんか依頼か?」
【
だが張り付いて護衛するだけではなく、彼らは情報屋の仕事や、探偵のような仕事も請け負った。
勿論、治安の悪いオルトロスの街を、他所から訪ねてきた金持ち達が歩き回る為に、彼らを護衛に雇うこともある。
所属する人間は多岐に渡る。
用途によって派遣する者を選べるのだ。
そういった会社はオルトロスには多い。
だがガードの仕事として【オルトロス・プロテクション・エージェント】はこの街で、最も実績があり、有名だった。
要するに、この街の警察も一目置く存在なのである。
「あんたみたいな美人なら俺たちが護衛してやってもいいぜ。
厄介事か?」
「あ……いいえ、昔お世話になった方がここにいらっしゃると聞いて――近くに来たのでご挨拶に寄ってみたんです」
警察官たちはあからさまになんだ、という顔をした。
「そんなの電話で済ませろよ。危ないぞ。
あんたみたいなのがオルトロスの街を一人歩きなんて」
「その方の携帯番号を知らないんです。ホテルからこちらにも電話を掛けたんですが繋がらなくて」
「珍しくみんな出払ってるみたいだぜ。稼ぐよな~。あいつら」
「……そうですか……」
女は心を残したようにビルを見上げている。
余程会いたかったのだろう。
「ちなみに、どいつに用だったんだ?
OPAの連中とはよく街で飲んでるから分かるかも」
「ライル・ガードナーさんという方、いらっしゃいますか?」
少しだけ希望が見えたように女は尋ねて来たが、対する若い警察たちの反応は予想と違った。
「なんだライルの顧客かよ」
「あいつまだ副業なんかしてやがんのか」
警察官達の反応に、女は首を傾げた。
明らかにまだ、食いついて来る肉食動物のような気配を纏っていた彼らが、変わったのだ。
「ったく、あいつ絶対顧客顔で選んでんな」
「ライルの女じゃ手が出せねえわ。潰される」
「ご存知ですか?」
「ご存知も何もあいつOPAの社員じゃねえよ。
警官だ。オルトロス警察所属の警官。
俺らの同僚」
「えっ? そうなの?」
女は知らなかったらしい。
「でも……前はOPA所属のエージェントだったような」
「あー。元々はな。
だけどオルトロスの街自体に愛着湧いて住み着いたから、
結局うちに入ったんだよ。一応俺ら腐っても警官だからどこにでも入れるし。
探偵業だと調べるにも許可取ったりしねえといけねえから鬱陶しかったんだろうな」
「そうなのですか。知りませんでした」
「おい、誰かライル今どこにいるか知ってる奴いるかー?」
「今一応有給取って休暇中ですよ。先輩たちが生意気に着拒しやがってあいつ指名手配してやるとか息巻いてたし」
「おう。んで?」
「近くにはいると思うっすけどねえ」
「俺連絡取れますよ。メールなら」
「携帯は繋がらねえな。メールしといてやろうか」
「あ……でも」
「声掛けとかねえとあいつ他の街行くかもしんねーぞ。放浪癖あるやつだから。
オルトロス警察に有給とかねえって言ってもたまにこうやって消える時ある。
いい度胸してやがるよなあ」
「すみません。お手間を取らせてしまって」
「いいよ。あんなもん俺達の腐れ同僚だしよ。あんたの名前は?」
「フロリア・アリオスキです」
「アリオスキって聞いたことあんな……サンタナの資産家でそんなのいなかったか?
三年くらい前に……事件になってたよな」
「あ、ウィーラー・アリオスキは私の祖父です」
「へえ。じゃああんたあの資産家の孫娘なんだ。それがまたなんでライルと?」
「あの、お恥ずかしい話ですがおじい様が私に遺産を残して下さったものですから……それで……」
「ああ。なるほど、揉めたわけな」
警察官は特に珍しくも無いように、すぐ察したようだ。
「はい。身の危険を感じた所をライルさんに助けていただいて」
「もう解決した?」
「はい。無事に」
「そう。良かったね」
「はい。ありがとうございます」
「メール返事来ましたよ。あいつこれからこっち戻って来るらしいです。
丁度こっち来るって」
「今どこにいんだ」
「テベレナだそうです」
「テベレナ? なんでそんなとこに」
すぐ隣の州だ。
「どうせ女だろ……」
「じゃあ帰りは数時間後にはなるな。
どうする?」
「あ、では出直します。一度ホテルに戻ってからまた……数日はオルトロスにいるつもりでしたし」
「掛け直して来ねえなら仕事中だろ。終わったら戻って来るよ多分」
その時館内に事件発生の入電が入り、すぐに二階の方から何人かが鬼気迫る真剣な表情で勢いよく駆け降りて来て、迷いなく飛び出していく。
その時だけは入り口でたむろっていた若い警官たちも立ち上がり、脇に寄って敬礼し、彼らを見送った。
間を置かず地下駐車場からもサイレンを鳴らしながら何台かバイクが次々に走り去っていった。
外に立っていた女が危なかったので、警官が腕を取って階段の方へ引き上げてくれる。
一瞬騒がしくなったが、すぐに彼らは談笑を再開している。
彼らは彼らなりに、こう見えて毅然とした規律の中で存在しているのだということが分かった。
「すみません。お忙しいのに」
「いや全然。オルトロスじゃこんなの日常茶飯事で忙しいうちに入らん」
「今日は何なら穏やかな方だ」
だな、と警官たちが笑っている。
「ホテルに戻るんだろ。送ってやるから少し待ってな」
「あ、大丈夫です、通りに出てタクシーを……」
「タクシー待ってる間にあんたみたいなの五秒で攫われるからやめとけ」
「ライル三時間くらいで帰るってさ。もうおめーとはカードやらねえって言ってんだろ。楽しいか俺たちのクソみてえな薄給巻き上げてあの野郎」
「有給休暇とか俺達に分からねえ単語使ってんじゃねえ」
「手ェ出すなよって誰に向かって言ってんだ」
ライルとメールでやりとりをしている警官の内容を聞いて、フロリアは笑ってしまった。
「ライルさんが警官になったなんて知らなかったです。
大変なお仕事だと思うけど、お元気ですか?」
「まあ元気にはやってんな。
基本的にタフな奴だから安心しろ。まだ生き残ってる」
「十代でうちの警察になって生き残ってんのあいつぐらいだもんな」
入口から署内を見た女は警官達が勤務中に署内でカードをしてる姿に、少し困惑したような顔を見せる。
しかしそんな顔されるのは珍しくないのか、警官たちはすかさず抗議した。
「遊んでるんじゃねーぞ。あんまカードとかビリヤードがドヘタクソだと潜入捜査する時一発でてめー警官だろってバレるんだよ。かといってこの激務のあとにカジノで自主練習なんて時間取れねえから、だから俺たちは勤務中にもこうやって欠かさずトレーニングに励んでるわけだ。要するにあれだ、普通の警官がジムに通ってるのと一緒のことだぞ」
「あ、なるほど……そうでしたか……」
「いやあんたなるほどじゃねーよ」
生真面目に頷いた女に警官が苦笑している。
「まあでもカードが下手くそだと警官だとバレるってのはホントだよな」
「最近の新人はカードが出来ねえんだから厄介なんだよ。すーぐなんでも顔に出やがる」
「ライルなんか警官になった時からカード凄腕だったし色々重宝してる。あいつああいうのどっから覚えて来るんだろうな?」
「どーせ女だろ……」
「あんたカード出来る?」
「たしなみ程度には……」
「たしなみ程度……」
悲しい顔をした警官たちに、フロリアは慌てて背筋を伸ばした。
「兄がポーカーの名手ですわ。私とは半分しか血が繋がってませんけども……よく、教えてくれます」
「んじゃちょっとそこ座ってカードの相手してくれよ。あんたみたいな美人がいりゃこのクソガキどもだってちょっとはやる気出すだろうから」
「きっとそのうちライル戻って来るだろ……どうせ大した用でうろついてねえよ……」
「サンタナのアリオスキ一族は総資産推定百二十億だってよ」
ふ~っ、と署内に冷やかすような口笛が飛ぶ。
下世話な反応にもあまりに学生のようで、女は笑ってしまった。
「普通の大富豪のご令嬢なら、そんな話下品ですわとか眉を顰めるとこだろ」
「私は幼い頃から一族の外で育てられたので一般感覚なんです」
「いや。オルトロスの歓楽街に一人でやって来るなんて一般感覚じゃねーぞ。お嬢さん」
「金持ちだけど気取らねえ美人とかライルのタイプどんぴしゃりじゃねえかよ」
「あいつやめといた方がいいぜ~~~~。よしあいつが来るまであいつがどうダメかをきちんと吹き込んでおこう」
「警察の義務だな」
「善良な市民が悪党に騙されるのは阻止しなければ」
「ライルさん、警察の皆さんから見ると悪党なんですか?」
くすくすと女は笑い、明らかにガラの悪そうな警官たちが溜まっているテーブルに臆することなくやって来て、椅子に座った。
たったそれだけの動作でも、気性の荒い男たちに好感を持たせる女だった。
「悪党だよな」
「特にどこがです?」
「まず女を誑してる」
そんなこと知ってるわ、というように女は笑った。
「他には?」
「んー……」
警官たちが連想ゲームのように次々と顔を隣の同僚と見合わせて行く。
「それは」
「やっぱ」
「――器物損壊だよなあ。」
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