#令嬢エルゼの選択

ちゅにすけ

#0 前口上

 ――舞台は社交界の一隅、南チロルの山懐に抱かれた壮麗なグランドホテル。

ここは富と洗練を誇示するブルジョワジーたちの避暑地として、夏の輝きを放っていた。そこでは、最新のテニスウェアに身を包んだ人々が興じ、夕べにはオーケストラが甘美なワルツを奏で、洗練された会話と高価な香水の香りがテラスを満たす。

すべてが秩序と豊かさ、そして永遠に続くかのような享楽的な日常を物語っているかのように見えた。


この光溢れる舞台で、ウィーンからやってきた十九歳の令嬢エルゼは、一輪の花のようにその若さと美しさを開花させていた。

鋭い知性と繊細な感受性を併せ持つ彼女は、周囲の大人たちの会話の奥に潜む空虚さや、社交界の華やかさの裏に隠された欺瞞を、少女特有の純粋さで見抜いてしまう。

彼女の内面では、新しいファッションに対する憧れと、それを手に入れるための代償に対する漠然とした不安が同居し、自由奔放な空想と、現実の制約に対する焦燥感が絶えずせめぎ合っていた。

スポーツ姿がよく似合う快活な少女。しかしその瞳の奥には、時折、深い物憂げな影がよぎることもあった。


 エルゼの一家、ウィーンで名を知られた弁護士の家庭は、外見上の体面とは裏腹に、深刻な危機をその内奥に隠し持っていた。父の度重なる投機と浪費は雪だるま式に膨れ上がり、もはや一族の名誉と生活そのものを根底から揺るがしかねない破滅的な負債となっていたのだ。

その事実は、まだアルプスの陽光の下で無邪気に時を過ごすエルゼには、遠い雷鳴のように、不吉な予感としてしか届いていない。


しかし、運命の時は刻一刻と迫っていた。


ウィーンからの電報が、まるで死刑宣告のように、彼女のもとへと送られる。その一枚の紙片が、エルゼの夏の休暇という薄氷の楽園を打ち砕き、彼女を道徳的、精神的な窮地の淵へと突き落とすことになるのだ。

愛する家族を救うという大義名分のもとに、彼女の最も大切なもの――尊厳、純潔、そして魂そのものを天秤にかけることを強いるような、非情な要求を伴って。


 虚飾と退廃の時代を背景に、一人の若き令嬢が、社会と家族からの期待という名の重圧、そして富裕な男の冷酷な欲望に晒されたとき、その心はいかに揺れ動き、どのような決断を下すのか。

エルゼの意識の流れは、私たちを彼女の魂の最も深い場所へと誘い、美しさの代償、純粋さの脆弱さ、そして人間存在の根源的な孤独を問いかける。


物語の幕が上がるとき、エルゼはまだ、その後に待ち受ける運命の渦中にいることには気づいていない。

だが、彼女の周囲にはすでに、後の悲劇を暗示する様々な伏線が張り巡らされ、避けられない破局へのカウントダウンは始まっている。

これから語られるのは、エルゼが体験する、わずか数時間にして永遠にも等しい、魂の試練の記録――

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