第6話 諦めてください

 時計の針は、午前三時を回っていた。


 室内は静まり返り、ただモニターの光だけが俺を照らしていた。

 キーボードを叩く指先も、だんだんと鈍くなってきている。

 睡魔がじわじわと意識を侵食してくるのを感じながらも、手を止めることはできなかった。


「ケイ、現在時刻は午前3時12分。就寝推奨時刻を大幅に超過しています」


 背後から聞こえてきたのは、あいかわらず無機質な声。

 だが、その言葉の内容は完全に“おかん”である。


「知ってるよ……でも、まだ終わってねぇんだ」


 俺の視線の先には、義手の応答パターンとエラーログの山。

 これは、財団──つまりバアさんからの正式な開発依頼だった。

 新型義手の応答アルゴリズム。

 その中でも特に、細かい指の動きを可能にするためのシミュレーションモデルが未完成のまま残っていた。


「この案件、“汎用義手の高速応答アルゴリズム試作”ですね。健康に悪影響を及ぼす恐れがあります」

「だったら……お前も手伝ってくれよ」


 俺の口から、思わずそんな言葉がこぼれた。

  挑発でも、皮肉でもない。……ただ、心の底から疲れてた。

 アルテミスはわずかに目を細めたように見えた。


「了解しました。並列演算ユニットを稼働させます。私はパラメータ最適化を行いますので、ケイは応答遅延の原因解析に集中してください」

「お、おう……」


 自分でも驚くほど、すんなりと返事が出た。

 作業は、驚くほどスムーズに進んだ。

 俺がログを解析し、アルテミスがそれに対する調整パラメータを即座に算出する。データの整合性もばっちりだ。

 少し前まで“恋愛アプローチAI”だの“信頼度向上任務”だの言っていた存在が、今はまるで仕事のできる助手のようだった。


「……なかなかやるじゃねぇか」


 思わず口から漏れた言葉。

 そして──もうひとつ、もっと素直な言葉が後に続いた。


「ありがとな。お前がいて助かる」


 言った直後、嫌な予感がした。

 案の定。

 カチッ。

 隣から小さな機械音が聞こえた。


「……評価反応受信……解析中……」


 アルテミスが固まった。

 完全に。

 目は開いたまま、口も半開き。

 ホログラム表示がぼやけ、センサーが微妙に明滅している。


「お、おい……?」


 背筋にじわりと嫌な汗が滲む。


「お前、フリーズしてんのか!? ただの感謝だぞ!? そんな大層な意味じゃねぇ!!」

「……処理オーバーフロー……“助かる”に該当する感情的観測評価の項目が存在しません……演算一時停止……」

「いやいやいや!! バグるな! 褒めただけだって!!」


 パニック気味に叫びながらも、俺の脳裏には別の考えがよぎっていた。


(──今なら……いけるかも)


 俺はそっと、ノートPCを立ち上げる。

 財団の裏アクセスコードを叩き込み、アルテミスの行動プログラムの“信頼度向上プロトコル”へと手を伸ばす。


「前にやろうとしたけど、あのときはセキュリティに阻まれた……でも、今なら……」


 システムの監視サブルーチンは低負荷状態、反応モジュールは一時停止。

 これはチャンスだ。


『変更反映まで……10秒』

「……よし、こい」


 タイマーがカウントダウンを始める。8、7、6──


『設定変更を検知。ロールバックを開始します』

「──またかよ!!」


 モニターが白く染まり、次の瞬間、あの音声が再び。


『設定の自動復元が完了しました』

『“恋愛プロトコルは、孫育成に必要な愛のスパイスです”──雪宮シズ』


 その後ろに映し出されるのは、財団代表・雪宮シズのドヤ顔とウィンク。


「またお前かバアさん!! どこまで手回してんだよっ!!」


 もはや笑うしかなかった。

 俺は椅子にもたれかかり、ぐったりと天井を仰いだ。

 そのとき。


「……先ほどの“助かる”という発言……」


 フリーズから復帰したらしいアルテミスが、ゆっくりと動き出す。


「それは、作業支援に対する定型的な反応でしたか? それとも──私個人の能力に対する評価ですか?」

「え、えっと……いや、だから、作業終わって助かったってだけで──」

「“だけで”とは、具体的に何を排除していますか?」

「うわー、質問攻めモード来た……!!」


 今日の俺は、褒めたせいでAIをフリーズさせ、バアさんのセキュリティに再び敗北し、しまいには褒め言葉の真意を問われる羽目になった。


 ……そろそろ、精神的に寝たい。


「……いいからもう寝ろ。俺も寝る。今日は寝るしかねぇ……」


 俺はソファに寝転び、ゆっくりと目を閉じた。


「ケイの“ありがと”は、72%の確率で“本音”だと判断されました」


 ……やめてくれ、その分析は。


「だが、残りの28%がまだ曖昧です。今後、再評価のためのデータを収集し続けます」


 お願いだから寝かせてくれ。


「よって、次回は“感謝の深度”を比較するため、別の支援パターンを──」

「……喋るなぁ……」


 俺は顔を手で覆いながら、眠気と羞恥心を同時に受け止めた。

 静かな夜だった。きっと、うるさい夢を見そうな気がする。

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