第16話 女神っぽいな

──そのとき、屋台の背後から鼻歌が聞こえた。


調律の余韻がまだ空気に残るなかで、不釣り合いに明るく、どこかズレた音程の鼻歌だった。


「ふんふふーん……あら、これはこれは。

 えらくいい香りがすると思ったら、あんたたち、いいもの開けたじゃない」


振り返ると、そこに立っていたのは──

少しよれた上着に草履のようなサンダルをひっかけた、どう見ても神に見えない女だった。


「……おい」


タカヒコは、すでに頭を抱えそうになっていた。


「お前なぁ。聖都から“女神を騙る輩がいる”って騎士団が調査に来てんだぞ。

今まさに、その副団長さまがここにいるんだが」


「へえ? ほんと? わたしの評判も上がったものねぇ〜」


ヴィーニアはまったく動じず、むしろ上機嫌でカウンターに腰を下ろす。


「で、あのピノ、鳴ったの?」


その一言に、エレーヌの目がわずかに鋭くなった。


「……あなたは、何者だ?」


「何者って……あら、自己紹介がまだだったかしら。

 わたしはヴィーニア。女神よ。……って、言ったら、信じる?」


タカヒコとエレーヌが同時に黙る。


「うん、信じない顔ね。でもいいの。あんたたち、今日はちょっと特別な共鳴をした。

 香りの端に、神様の“通り道”ができてたから」


タカヒコはふと、グラスに残った赤の香りを吸い込んだ。


さっきまでと違う気配が──わずかに、ある気がした。


「……で、あんたはその通り道を使って、来たと?」


「そうよ。あと、飲みたかったから」


「やっぱそれが本音か…」


 


エレーヌは静かに立ち上がる。


「──貴方に、女神としての証明はあるのか?」


「ないわ。でも、神って証明できるものなの?」


エレーヌは言葉を返せなかった。

ヴィーニアの声はふざけているようでいて、

どこか“証明”という行為そのものを拒む、奇妙な深さを含んでいた。


「それにね、あたしは騙してるんじゃないのよ。

 ただ、“未来の私にツケといて″ってだけ。

……そのうち、意味がわかる時が来るわよ」


タカヒコは眉をひそめた。


「いや、それはそれでダメだろ…」


 


アルネが、おずおずと尋ねる。


「……あの、ヴィーニアさま。その、さっきおっしゃった“通り道”って……」


「うん? ああ、“鳴りかけた酒”のことよ。

 酒が鳴るときって、あっちとこっちの世界が、ちょっとだけ重なるの。

 神様が“ああ、来てもいいかな”って思えるくらいの瞬間ってわけ」


ヴィーニアはそう言って、グラスの底をのぞきこむ。


「けど、今日はまだ鳴ってなかった。惜しかったわね。

 でも──その音は、ちゃんと、わたしに届いた」


エレーヌが静かにヴィーニアを見る。


「……あなたは、本当に神なのか?」


ヴィーニアは笑わず、ただ一言だけ返した。


「それは、葡萄に聞いてみるといいわよ」


 


屋台に、夜の気配が少しずつ差し込み始める。


空気の端で、秋風が吹いたような気がした。


ほんの一瞬だけ、別の季節が、通り過ぎたように。

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