異世界ワイン調律師〜共鳴する葡萄の詩〜

sabamisony

第1話 なんでもよくない白


 「白、なんでもいいから辛口で」


 レストランの片隅、メニューも見ずにそう言った男は、

 前菜の皿が置かれたことに気づいてないかのように、目の前の美女の関心を誘うことに専念している


 タカヒコはナプキンを折り直しながら、軽く笑った。


「あいにく、“なんでもいい白”は切らしておりまして。

“なんでもよくない白”なら――ございます」


男は目だけをわずかに動かし無機質な顔で頷き、再び美女との物語に戻っていった


数分後、タカヒコは一杯の白を運ぶ。

「お待たせいたしました。アルザスのリースリングです」

 グラスの中には、淡く緑がかった金色。

注いだ瞬間、微かに金木犀の香りがふわりと立ち上がる。


 男の鼻がわずかに動く。

 そして、静かにひと口。

グラスを置くと、渋滞が進み始めたことに今気づいたような動きで、

ナイフとフォークがようやく皿の上で動き出した。


 タカヒコは厨房に戻りながら、独り言のように呟く。


「“なんでもいい”なんて言ってるうちは、まだ本当の辛口には出会えてないんだよな」




倉庫の隅、在庫整理の途中で見つけた一本のワイン。

 ラベルもない、古びた木箱に入ったそれは、冷えてもいないのに、

 ひんやりとした空気をまとっていた。


 「……こんなの、仕入れた覚えはないんだけどな」


 封蝋に指をかけ、ナイフでゆっくり切れ目を入れる。


コルクを引き抜いた瞬間、空気が――囁いた


 気づけば、世界は変わっていた。


鼻を刺すのは香草と煙、

 耳に届くのは、人々の喧騒と肉を焼く音。


 タカヒコは、石畳の上に座り込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る