第34話 秘密のデート。
文化祭明けの学校は、少しそわそわしている。
来週から期末試験が始まるので、試験前のちょっとした緊張感がある。夢のようだったふわふわした文化祭から、非常な現実へと一気に引き戻されるような気がする。
「おはよう、結城さん」
「おはよう、桃栗さん、柿沼さん」
相変わらず2人一緒に登校してくる桃栗さんと柿沼さんを見て、少しにこやかになる…とはいえ、私だっていつも古都巴と一緒に登校しているのだから、相手からも同じようなことを想われているのかもしれない。
「来週から試験かぁ」
つまらなそうに言う桃栗さん。でも確か、桃栗さん、中間テストの結果は学年2位だったと聞いた気がする。いつも元気に運動ばかりしているような気がするのに、いったいいつ勉強しているんだろう?
「今回もどうせ、琴葉さんが1位をとるんでしょうね」
鞄を抱えたままの柿沼さんが、そういった。
古都巴はつまらなそうに、
「さぁ。どうかな」
と答える。本当に興味がなさそうだった。
「参考までに、琴葉さん、どんな勉強方法をされているんですの?よろしければ教えてくださいませんか?」
ちらりと桃栗さんを見た後、柿沼さんがそう尋ねてくる。まるで桃栗さんに古都巴の勉強方法を聞かせてあげたい、と思っているかのようなそぶりだった。
「…別に、普通だよ」
予習して、家に帰ったら復習して、あとは適度な運動と睡眠。
当たり前のことを、あたりまえのように言う。
「…そうなんですの?」
「そうだよ」
そして、また興味なさそうに答える。そういえば私、ずっと引きこもっていたから、家で勉強はしていたけど、やっぱり授業に出ていなかったぶん、遅れているな…と思い、そっと古都巴の袖をつかんだ。
「古都巴、私の試験勉強、手伝ってくれる…?」
「もちろん!」
ぱぁっと、明るい表情になる。はたから見ていて一目でわかるくらい、ウキウキしている。まるで見えない尻尾がぶんぶんとふられているかのようだった。
自分で言うのもなんだけど、少し照れくさくて、少し誇らしいけど。
古都巴が興味を持つのは、私のことだけなんだなぁ、と思った。照れる。
「じゃぁ、よければ私たちも勉強、一緒に混ざってもいい?」
「えー…」
桃栗さんからの問いかけに、嫌そうな表情を浮かべる古都巴。
これは別に桃栗さんのことを嫌っているとか、学年2位の子に勉強されて学年1位の自分の立場が脅かされるのが嫌だとか、そんなことでは全然なく、ただ単に、
(私と二人きりで勉強したいんだろうなぁ)
と思った。
「いいじゃないですか。毬藻、こう見えて学年2位なんですよ…こう見えて」
別に強調しなくてもいいところをあえて強調した後、柿沼さんが会話に割り込んできた。
「結城さんも、私たちと一緒に勉強した方が楽しいと思いませんか?」
「それは…」
そうかも。
将を射んと欲すればまず馬を射よ、というけど。
私という馬をうまく落とした柿沼さんは、古都巴という将を見事におとし、私たち4人は放課後集まって勉強会をすることになったのだった。
朝のホームルーム。
葵坂先生が教壇の前にたって、今日一日の注意事項などを説明してくれていた。試験週間が始まるから、今週は部活はお休みになるらしい。
「えー。じゃぁバスケ部の練習もないのか…」
と桃栗さんが愚痴をこぼしていたけど、そもそも美術室以外で桃栗さんの姿を見かけたことがないんですが…本当にバスケ部なのだろうか?実は美術部員なんじゃないの?
とはいえ。
私が見ていたのは、先生でも桃栗さんでもなかった。
ホームルームには、教育実習生であるお姉ちゃんも参加していたのだ。
葵坂先生の隣に立っているお姉ちゃんの綺麗な姿を見ているだけで、心がほわほわとしてきて幸せな気持ちになる。
すらっとして、りりしくて、髪が長くて、指が綺麗で、肌が白くて。
この世の中の「綺麗」を全部集めたら、お姉ちゃんになるのだと思う。
私はじぃっとお姉ちゃんを見ていたけど、お姉ちゃんは一度も私に視線を合わそうとはしてくれなかった。
(私たちの関係は、学校では、絶対に内緒)
お姉ちゃんはそう言っていたし、それは当たり前のことなんだと思う。
変な噂がたったら、お姉ちゃんの立場がない…
(変な噂って、なんなのよ…)
私とお姉ちゃんは恋人同士なのに、どうして隠さなければいけないんだろう。どうして、と思うけど、どうして、じゃない。
(私とお姉ちゃんは)
(恋人同士で)
(女同士で)
(姉妹で)
(教師と生徒で)
(未成年と成人で)
なんということでしょう。
OKな部分が、なにひとつないじゃないではありませんか。
私とお姉ちゃんの関係を知っているのは、この世の中で、私、お姉ちゃん、古都巴、葵坂先生の4人だけ。
桃栗さんと柿沼さんは少し感づいているかもしれないけど…あの2人なら、信頼できる。
(だけど)
(寂しいなぁ)
いちゃいちゃしたい。お姉ちゃんと、ずっといちゃいちゃしたい。学校の中だろうが、どこだろうが、手を組んで歩き回りたい。こんなに素敵な人が私の彼女なんだって、自慢して回りたい。
あー、もう。
もやもやするなぁ。
こんな感じでじたばたしている私を、古都巴は憐れむような顔でみてきていた。ごめん。
ホームルームが終わり、教室の中はすこしがやがやしていた。
今日最初の授業が始まるまで、まだ時間がある。
葵坂先生とお姉ちゃんはいったん教室から出ていったけど、二時間目の授業になったらかえってくる予定だった。
今日は教育実習のお姉ちゃんが授業をして、それを葵坂先生が見守る、という形になるらしい。
早く一時時間目終わらないかなぁ。早く二時間目になって、お姉ちゃんの姿を見たいなぁ。
そう思っていると、スマホの音がした。
やばいやばい。学校にスマホの持ち込みは禁止…はされていないけど、マナーモードにしていないのはさすがにやばい。
そう思って、画面を見る。
お姉ちゃんからのメッセージだった。
どくん、と心臓がなる。嬉しい。お姉ちゃんからだぁ。
『美麗』
そのメッセージを読んで、私は、心が溶けるかと思った。
もう思うどころか、溶けていた。どろどろだった。ぐにゃぐにゃだった。
「お姉ちゃん…」
大好き。超好き。愛してる…
長く長く感じられた一時間目が、ようやく終わった。早く二時間目になぁれ。早くなぁれ。合間の5分休憩が1時間にも2時間にも感じる。これが相対性理論、というものなんだろう。
美女をストーブの上におく理論だったかな?アインシュタインとかいうおじいちゃんが舌を出しながらそんなことを言っていたと聞いた気がする。
お姉ちゃんの姿が見えた。
綺麗。
すっごく綺麗。
今から、お姉ちゃんの授業だ。指が綺麗。すごく綺麗。綺麗。
好き。
「よろしくお願いします」
そういって授業が始まる。お姉ちゃんの担当は英語だった。綺麗な声。授業をしているだけなのに、歌っているみたい。耳が気持ちいい。
相変わらず、お姉ちゃんは私を一瞥すらしてくれなかったけど。
授業をしながら、ときどき、指でそっと、身体の部分を触れていた。
例えば、単語の説明をしながら、中指でそっと右肩を触れたり。
例えば、文法の説明をしながら、小指で唇に触れたり。
例えば、教科書を開いて読みながら、人差し指で左の肘を触れたり。
『美麗』
お姉ちゃんからもらったメッセージを思い返す。
『学校では、私とあなたは、ただの教師と生徒よ』
『目も合わせないけど、悪く思わないでね』
『でも…』
『二人だけの、合図を決めましょう』
指で指示した場所に、それぞれ意味を込めて。
授業中、誰にも気づかれないように、でも私だけにはわかるように。
秘密に。
『愛してる』
『可愛い』
『好き』
『たまらない』
『愛して』
『抱きたい』
お姉ちゃんは授業をしながら、私だけに、そう合図して気持ちを伝えてくれていた。
心が暖かくなる。
誰にも分からないように、私だけに、教えてくれている。
みんなは英語の授業を聞いているだけなのに、私はお姉ちゃんから、お姉ちゃんの気持ちを教えてもらっている。
私たちは、授業中に、2人だけでこっそりデートしていた。
幸せで。
幸せで。
世界は輝いていて。
お姉ちゃんは綺麗で。
私は世界で一番幸せで。
この時の私は。
こんな幸せな時間が、ずっとずっと、永遠に続くものだと、信じていた。
滑稽だね。
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