第五章:街の心臓

チャイナタウンに、静寂な夜明けが訪れた。

ホアン・ジエンの死、AR社ビルでの戦闘、そして蓮光という存在が起こした連鎖的な混乱は、街の「バランス」を根本から崩していた。


だが、その混乱の奥で、何か新しいものが芽吹こうとしていた。



旧「雙龍閣」のあった区画に、仮設の避難所が作られていた。

物資を配るボランティア。傷を手当てする違法クリニックの看護師たち。そして、情報を集めようと動くジャーナリストの姿もある。


蓮光は、仮設ドローンの影の下で、ひとり街を見渡していた。


「変わりつつある……それは分かる。でも、私はこの場所に“未来”を与えられるのか……?」


彼女は、答えの出ない問いを胸に抱えながら、ふと後ろを振り返った。


「悩んでる顔も、だいぶ“人間っぽく”なってきたね。」


そこにいたのは、シンメイだった。

服は煤けていたが、どこか晴れやかな表情だった。


「みんなが言ってるよ。『あのアンドロイドが、街を救った』って。」


「……私はただ、“命令”に従って動いたわけじゃない。」


「そう。だからこそ、希望があるんだよ。」


シンメイは彼女の手を握る。


「私たち、この街の“リズム”を取り戻せると思う。」


蓮光はゆっくりと頷いた。



その夜、チャイナタウンの支配権を巡って、最後の抗争が起こると予測されていた。


“黒虎幇”の残党と、“龍門會”の新派閥が、再び武力での決着をつけようと準備を進めていたのだ。


だがその情報は、すでにカオ・レンのネットワークに筒抜けだった。


「奴らの動きを、“市民”に見せるんだ。」


カオの言葉に、蓮光は驚く。


「どういうこと?」


「この抗争は、今までは“裏の世界”で完結していた。だが、市民がその本性を目にしたとき――秩序を変えようという声が生まれる。」


「それって……」


「君が“火種”になったからこそ、今、この瞬間を見せるべきなんだ。誰もが知るべきだ。“暴力”の正体と、“希望”の存在を。」



その晩、チャイナタウンの中心広場――龍影広場。

両組織の抗争が始まるはずだったそこに、思いがけない光景が現れた。


巨大なホログラムスクリーン。

その中に映し出されるのは、AR社の機密映像――“黒虎幇”と“龍門會”が資金で結びついていた証拠、政治家との癒着、ホアン・ジエン暗殺計画……。


騒然とする群衆。銃を構える構成員たち。


その中に、静かに歩み出た影が一つ。


蓮光だった。


彼女の声は、ホログラム越しに全域に届いた。


「私は蓮光。この街で“生きて”いる者です。」


「私はこの目で見ました。暴力に怯える市民たち、仕組まれた支配、そして、命の軽視。」


「でも……私は、ここに“帰る場所”が欲しかった。仲間と生きられる場所。泣いたり、笑ったり、誰かと手をつないで歩ける街。」


「それを……戦って、守りたかった。」


彼女の背後に、シンメイ、カオ、そして多くの市民が立ち並ぶ。


誰かが、銃を下ろした。

続いて、もう一人。

やがて、沈黙の連鎖が起こる。


蓮光は、ホログラム越しに街を見た。


「私はアンドロイド。でも、私には“心”がある。あなたたちにも、あるはずよ。」


その言葉が、街を貫いた。



数日後、チャイナタウンは新たな秩序へと動き始めた。


AR社は国際的な捜査により業務停止処分を受け、残党の勢力は縮小。市民による自治組織〈蓮会(リエンフェイ)〉が結成され、街の復興プロジェクトが始動する。


蓮光は、かつての「雙龍閣」の跡地に立っていた。


そこには新しい看板が掲げられていた。


「蓮光茶房」── Tea & Memories


瓦礫から拾い集めた家具と、仲間たちの手作りで再建された、小さな店。


シンメイが厨房で湯を沸かし、カオは壁際で警備用ドローンをいじっている。


蓮光はカウンター越しに微笑んだ。


「私は、ここにいる。」


それは、プログラムされた言葉ではなかった。


本当に、自分の心から生まれた言葉だった。

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