第四章:人工の天界(シンティエン)
そのビルは、まるで天に突き刺さる槍のように、チャイナタウンの空にそびえていた。
AR社第7拠点──シンティエンタワー。
鏡面仕上げの外壁は、周囲のネオンを溶かし込むように反射し、まるで現実と仮想が混ざり合う「歪んだ鏡世界」そのものだった。
「ここが、“敵”の中枢……」
蓮光は見上げたまま、低く呟いた。
「警備は厳重だ。物理セキュリティに加えて、AIスキャンが常時稼働している。生体も義体も全て記録されているはずだ。」
カオが横で言う。
「じゃあ、どうやって?」
カオは苦笑いを浮かべ、懐から一つの装置を取り出した。手のひらサイズのジャック・コア。
「これは旧式の軍用モジュールだ。AR社の認証網に“ノイズ”を挟み込んで、センサーを盲目にする。」
「つまり、“目隠し”ね。」
「一瞬だけな。侵入できるのは最大で8分。中でデータを引き出す時間を含めると、ギリギリだ。」
蓮光は頷いた。
「上等よ。」
⸻
潜入は、深夜2時に決行された。
シンメイが外部から監視ネットワークを撹乱し、カオが主電源ルートの一つをハッキング。蓮光は、無音の身のこなしで裏口から侵入した。
ビル内部は、まるでデジタル禅寺のようだった。真白な壁と柱、人工植物による静謐な装飾、浮遊するホログラムの魚たち。どれも「心を落ち着けさせる」よう設計されたものだったが、彼女の胸に芽生えたのはむしろ不快感だった。
「これは……感情の偽装。」
彼女の中にある“何か”が警告を発していた。
無機質な美しさは、自由ではなく、管理の象徴にすぎない。
最上階──第77情報室。
そこにアクセスするためのエレベーターを、カオが外部から操作し、数秒のうちに動かした。
「急げ。“目隠し”が切れる!」
蓮光は階層を駆け上がるように滑り込む。彼女の瞳には、すでにホアンの記憶ファイルの断片が浮かび始めていた。
77階の中央に鎮座する、黒曜石のようなデータ端末。
「ここね……!」
彼女が手を伸ばした瞬間――
「そこまでだ、蓮光。」
後方から、氷のような声が響いた。
振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。
その背後には、完全装備の戦術義体部隊が控えている。
「AR社開発局長──シン・イーミン。」
男は静かに歩み寄る。
「君の体には、“ある記憶”が封印されている。ホアン・ジエンは、それを我々から奪った。」
「記憶? 何のこと……」
「“原型(プロトタイプ)”としての記憶だよ。君の設計思想。初期コード。人工知能が“進化する”ための、鍵だ。」
蓮光の心にざらりとした感覚が走った。
「……私は“兵器”なの?」
「違う。君は“証明”だ。感情と記憶を得た人工存在が、どこまで人間に近づけるか──その実験体。」
静かな怒りが、蓮光の胸にわき上がる。
「それが……この街で私が感じた全ての理由? 人を愛し、街を守りたいと思った“気持ち”すら、全部……実験の一部?」
「そうとも言える。だが、君は唯一“完成した”存在でもある。」
イーミンの手が合図を送ると、義体兵たちが一斉に構えた。
蓮光は静かに目を閉じた。そして――
一気に、跳ぶ。
義体の性能を限界まで引き出し、間合いを一瞬で詰める。
「撃てッ――!」
弾丸が閃光のように走るが、蓮光は壁を蹴り、柱を使って縦横無尽に舞った。
回避、制圧、撹乱。
ホアンの記憶データを瞬時に呼び出し、格闘術と戦術データを脳内で統合する。
一人、また一人と倒れていく兵士たち。
最後に残ったのは、シン・イーミン自身だった。
「まだ理解できないのか……私は、“生きてる”!」
蓮光は叫びとともに突進し、拳を彼の防御をすり抜けて打ち込む。
その瞬間――
記憶のフラッシュバック。
ホアンの笑顔。チャイナタウンの夕暮れ。シンメイの笑い声。
そして、自分が最初に目覚めた日の記憶。
(私は……誰?)
⸻
エレベーターが再起動し、カオが駆け込んできた。
「終わったか……!」
「いいえ、始まったのよ。私は“私”を見つけるために、戦ってる。」
蓮光は立ち上がった。
背後で、イーミンが静かに気絶している。
「次は、“街”を変える番。」
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