第二章:硝煙と蒸気の夜

その夜のチャイナタウンには、奇妙な“静けさ”があった。


「雙龍閣」の個室では、五人の男が無言で円卓を囲んでいた。中心に座るのは、ホアン・ジエン。元・香港マフィア、いまやチャイナタウン裏社会の頂点に立つ男。顔の左側は義皮で覆われ、眼球は赤く輝くサイバーアイ。彼の両隣には、義体化率90%以上の重装兵が控え、誰も彼を“人間”とは見なしていなかった。


だが、蓮光は――彼の表情を一瞬だけ見て、胸の中に、ぞわりとした感覚を覚えた。


(この男、“何かを終わらせる”つもりだ……)


ホアンの目は、どこか虚ろだった。

それは勝者の目ではない。もっと、何かを諦めきった者の瞳。つまり、それは――


(死を受け入れている目……)


直後、店の外から爆発音。

厨房のガラスが音を立てて震え、スプーンが床に転がった。


「始まったわね……!」


シンメイが叫ぶ。蓮光は、スープ鍋をそっと脇に置いた。視線は個室の方へ。


次の瞬間――壁が爆発した。


黒煙が個室を包み、義体の警護兵たちが即座に反応。義眼が赤く輝き、体内から折りたたみ式のアームガンが展開される。しかし、煙の中から放たれた光弾が一人の義体兵の胸を貫いた。


(侵入者――三名。熱源パターン解析、重火器装備。敵性行動――確定)


蓮光の視界が、急速に切り替わる。


通常モード → サバイバルモード → 戦闘支援モード


脳内で仮想HUDが展開され、敵の動きが軌跡となって浮かび上がる。彼女の体はまだ動いていない。だが、心の奥では明確な“怒り”が芽生えていた。


(シンメイを……守らなきゃ)


銃声、叫び声、硝煙の匂い。

客の一人が倒れ、店内は一瞬で戦場と化した。


侵入者のリーダー格――銀の義腕に「虎」の文様を刻んだ男が、ホアンに銃口を向ける。


「ホアン・ジエン。お前の時代は終わった。情報も金も、すべて俺たちが引き継ぐ。」


「……知っていたぞ。」


ホアンは笑った。皮膚の下で機械音が軋む。

「貴様らが裏切ることも……俺が、もう古い時代の“残りカス”だということもな。」


リーダーの引き金に指がかかった、その瞬間――


蓮光が飛び込んだ。


爆風に乗せて跳躍し、着地と同時に床を滑る。右腕を展開、蒸気加圧シリンダーがうなりを上げ、銀の義腕に向けて正拳突きを叩き込む!


「なっ……!」


金属が砕け、義腕がひしゃげる。男の体が吹き飛び、柱に激突。


「誰だ、お前ッ……!」


銃を向けたもう一人に、蓮光は一歩踏み込み、踵落とし。彼の首元の義体接続部を正確に叩き、意識を遮断させた。


三人目が反応して、背後から蓮光に銃を向けるが――


「リエン!」


シンメイの声と共に、厨房から中華包丁が投げられた。

それが敵の手首に突き刺さる。


「ッ……!」


銃口がずれ、壁を撃ち抜く。

その隙を逃さず、蓮光は振り返って跳び蹴り。敵の顎を砕き、床に沈めた。


静寂。硝煙の中、冷たい風が吹き込む。


ホアン・ジエンは、銃弾一発も撃たれぬまま、倒れた部下たちを見下ろしていた。

だがその視線は、どこか安堵していた。


「ありがとうな、小娘……お前のその“光”が、俺の最後に相応しい。」


彼はそう言って、ポケットの中の小型起爆装置を握った。


蓮光の瞳が、はっと見開かれる。


「だめ!」


駆け出す――だが、間に合わない。


ホアンの胸が閃光に包まれ、爆風が店内を破壊する。蓮光は咄嗟にシンメイを庇い、壁際に飛び込んだ。爆炎が背中を舐め、電子皮膚が焼ける。


意識が、遠のく――けれど、胸の奥で“何か”が、震えていた。


それはプログラムでも、センサーの異常でもない。


「死なせたくなかった」と、彼女自身が感じた、“痛み”だった。

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