01 連邦の覇者

クルアールグラードの総統府、総統アヴェリスの若き秘書シャルはいつもと変わらず書類の束を持って執務室を訪れる。執務室の重い扉をノックすると、低く落ち着いた声が応えた。


「入れ」


シャルが扉を開けると、広大な執務室の壁には連邦の地図とクルザノヴァ皇国から流入した地球の歴史書が並ぶ、その部屋に一人の貫禄のある長身の男が立っていた。


男の名はアヴェリス・クルアール

魔皇ギルディオンを討ち取った勇者にして、ウィレーツェル連邦の総統。地球から召喚された革命家にして連邦の指導者である。


黒髪に真紅の瞳。黒と金色の軍服を身にまとい、歴戦の英雄であることを物語る屈強な体をしている。腰には彼が唯一、故郷である日本から持ってきた日本刀『豊栄』が存在感を放っている。


「シャル、随分遅かったな。また子供たちと遊んでたか?」


アヴェリスは机に腰掛け、書類をパラパラとめくりながら言った。声は軽やかで、まるで旧友と雑談するような気安さがある。だがシャルは知っている。この男が一言で会議を支配し、敵国の外交官を笑顔で屈服させ、民衆を熱狂させる術を……


「いえ、ただ……路地裏で子供たちがナポレオンの真似をしてまして。完全に総統閣下の影響ですね」


シャルは書類を机に置き、姿勢を正した。アヴェリスはクスクスと笑い、椅子に深く腰を下ろす。


「ナポレオンとは餓鬼どもはいい趣味してるこった。あの人は歴史を動かしたが、ロシア遠征やワーテルローでしくじった。餓鬼達にもそこまで教えてやれよ。成功を理解するのも大事だが、失敗も、ちゃんと知っておかなければならん」


その言葉に、シャルは一瞬目を細めた。アヴェリスはいつもこうだ。歴史を愛し、常に笑みを絶やさないが、どこか冷めた目で、否定的な目で自分自身を見つめる。連邦を一代で列強に押し上げた男は、英雄の光と独裁の影を同時に背負っていた。


「で、シャル。今日の報告は?」


アヴェリスは笑みを崩さず、指で机を軽く叩く。シャルは書類を開き、淡々と読み上げた。


「ガルヴァンド共和国との通商交渉が難航中です。関税の引き上げを要求しております。国内では、反異能力政策への不満が王党派を中心に一部地域で高まり、蜂起の気配が――」


ガルヴァンド共和国

ウィレーツェルと同じ列強の一つであり、エウロディア大陸とは海を隔てているガルヴァド大陸にある、共和政を掲げる国家だ。連邦の一党独裁制とは対照的に、議会制民主主義である。


連邦の異能力禁止政策は、どの国から見てもかなり異質な政策である。大なり小なり、どんな国家でも異能に頼ることはあるのに、まさかの1.2を争う程に異能を『神の恩恵』と崇めていたウィレーツェルが嫌悪するのは誰が予想しただろうか。


元は依存率が高かったこともあり、強力な異能を持っていた元貴族、聖職者、魔術師からの反発は根強い。異能力信仰が根強い国家とも敵対関係は避けられない。


こうして信仰心が強すぎる国家以外とは均衡を保ち、立ち回り、異能に頼りきりにならない強大な国家を作れたのは褒められることかもしれない。


「不満か、いつものことだな。例え封建制度が消えて市民が喜んでも、帝国で甘い汁啜ってきた旧支配者層は不満でしかないのは当たり前だ」


「わりぃが、奴等には大多数の民衆を満足させる為に踏み台、民衆への勧善懲悪ものを題材とした『サーカス』になってもらう。悪く言えばスケープゴートか?」


アヴェリスは手を振って報告を遮り、立ち上がって窓辺に歩み寄る。クルアールグラードの街並みが、鉄と煙の向こうに広がっていた。


「民衆はパンとサーカスがあれば満足する。だが、シャル、覚えておけ。満足は一瞬だで、不満は必ず湧く。それをどう操るか、そう操作するか――それが統治だ」


彼の声は穏やかだが、言葉の端々に現実主義者の冷徹さが滲む。シャルは書類を握る手に力を込め、口を開いた。


「総統閣下、民衆の不満を抑えるだけでは、連邦は……本当に民のための国になるのでしょうか?民衆が本当に求めるのは……帝国や異能力を憎むことじゃなく、自由や平等じゃないんですか?」


その問いに、アヴェリスの笑みが一瞬深くなった。まるで、子供が賢い質問をしたと褒めるような、だがどこか試すような目でシャルを見返す。


「なかなか鋭いじゃねぇかシャル。それでこそ俺の秘書というもんだ」


彼は窓から離れ、シャルの前に立つ。身長差からかは分からない。

なぜか圧倒されるような気配。だが、アヴェリスの声はあくまで柔らかかった。


「民のための国、か。自由と平等というのはいい言葉だ。だが民衆は自由を求めながら、実は枠を欲する。不満は溜まるものだ。それを外へ向ければいい」


「帝国が民を虐げ、異能力信仰が差別を生んだ――『我々は抗う正義で、相手は明確な悪』そう教えれば、民は我々に感謝する。憎悪は、まとめるのに便利な道具なんだぞ?実際に間違っていないだろう?異能力による優劣で大半が決まってたんだからな。『俺も、お前も』、その被害者なのだから」


彼の声は軽やかだが、言葉は冷酷で、どこか悲しみがあった。シャルは書類を握る手に力を込め、息を呑んだ。アヴェリスの言葉は、統鋼党のスローガン「差別なき平等」を裏付けるようで、しかしどこか冷笑的だった。彼は続けた。


「だが敵がいなくなれば、民は新たな敵を探す。それが俺になる日が来るかもしれないな」


アヴェリスはシャルの肩に軽く手を置き、笑みを浮かべる。その手は温かく、まるで父のような安心感を与える。


あぁ……『あの頃』と、変わらない。そう思いながら、自然と瞼が閉じられた。


「閣下……あなたは、どんな人間なんですか?」


シャルは思わず口にしていた。帝国を倒し、敵対していた魔族と同盟を結び、異能力による才能史上主義を破壊して、この国に光を灯した異世界からの英雄。だが、その笑みの裏に何があるのか、昔からずっと気になっていた。


シャルは知りたかった。この男の……本心を


アヴェリスは一瞬目を細め、まるで遠い記憶を辿るように天井を見上げた。


「どんな人間……。難しい質問するな。お前も知ってるだろ?俺はただ、歴史が好きで、負けたくなくて、こうやって生きてきただけだ。神に頼らず、異能力にも頼らず、頭と口、先人の知恵を借りて戦ってきた。つまらない英雄の皮を被った模倣者だ」


その言葉に、シャルは首を振った。


「つまらないなんて……閣下は連邦を変えた。子供たちがナポレオンを真似るのも、閣下が歴史を教えてくれたからだ。あなたは――」


「英雄だろ?」


アヴェリスが笑って遮る。だが、その笑みはどこか寂しげだった。


「シャル、英雄なんてのは民衆が勝手に作る偶像でしかない。民は自分たちの欲を俺に投影する。私はそれを利用しただけ。だが、お前がそう思うなら、悪くねぇな。本気で英雄気取りしてもいい……そう思いたくなっちまうが、そうもいかないんだよ」


彼は机に戻って書類を手に取る。いつもの人たらしな態度に戻っていた。


だが、シャルは動かなかった。胸の奥で、何かが引っかかっていた。アヴェリスの笑みは、民衆を、仲間を、シャルさえも惹きつける。だが、その奥に何があるのか。恩義と疑念が交錯する中、シャルは一歩踏み出した。


「閣下、失礼かと存じますが、私は……貴方を知りたいです。貴方がどう生きたのか、地球で生まれ育った貴方がこの世界をどう思っているのか……色んな事を」


アヴェリスは書類から目を上げ、シャルをじっと見つめた。数秒の沈黙が、まるで永遠のように感じられた。やがて、彼は小さく笑い、こう言った。


「そうか、やっぱりお前にはこの仕事が適任だな」


アヴェリスは一冊の空白のノートを手に取り、シャルに投げつけた。


「シャル、俺はお前に仕事を頼みたい。連邦の歴史書を極秘で編纂しろ。この国の光と影、全てを記録するんだ」


シャルはノートを受け取り、その重さに息を呑んだ。歴史書編纂――それは、アヴェリスの真実を暴き、連邦の裏側を明らかにする危険な任務だ。だが、同時に、シャルが求めていた答えへの道だった。


「なぜ、私に……?他にも適任な者なんて、ごまんといるでしょう……?私は、ただの秘書です」


「言っただろ?真実を残さなきゃならんと、他の奴になんて任せたら俺への讃美歌集、ただのプロパガンダになる。指導者の物語は、勝手に支持者に彩られる。統鋼党の輝かしい物語、俺の英雄譚――俺が求めるのはそんなもんじゃない。」


「俺が歴史書を編纂したいのは己の正当性を強調して、英雄譚として広めたい訳じゃない。真実を何らかの形でこの国の光と影、俺の功罪…全てを記録するんだ。歴史は勝者が書き、それを後世では紛れもない事実だと受け取る。俺が勝者のままなら『英雄』、敗者となれば『独裁者』。どちらにしても真実がすべて語られることは少ない。だからこそ、『真実しかない公平な歴史書』が俺は見たい、作りたいんだ」


「民衆はパンとサーカスを求めるのでしょう?なら、真実を記すならパンとサーカスにはなりません。民衆は面白がる物語を求めます。英雄譚や神話のような――」


シャルの問いにアヴェリスは苦笑交じりに答えた。


「ハハ、確かにその方がパンとサーカスにはなるだろうな! 民衆は英雄の自伝に熱狂し、俺の偉業を面白がる。そうだ。民衆はパンとサーカスを求める。それを利用して俺は統治してきた。その方針を変えるつもりはない。だが、シャル、俺はプロパガンダならまだしも、歴史書にそんなものを望まない」


そう語るアヴェリスの深紅の目は、興味、自嘲、懐かしさ……一言では表せない。

そんな目をしていた。


「お前は自分をただの秘書だと言ったが、違う。お前はミカイルの息子だ。俺に両親を奪われた男だ。それでも、俺に仕え、連邦を見てきた。お前なら、俺の光も影も、連邦の栄光も汚点も、党の奴らや国民、他国よりも公平に記せる。俺を知りたいって言ったよな? なら、この歴史書で俺の全てを暴いてみろ。英雄の本心、革命の血と偽善、当事者の本心――全部だ」


「だがもしかしたら、いや必ず俺の醜いとこを煮詰めた様な真実が露呈したら、また革命が起きるかもな。自業自得か、理想求めて自滅と笑われるかかも知れないな」


シャルは皇国から輸入された本に記されていた、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲「ガリレイの生涯」のとある言葉を思い出した。


「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」


もしアヴェリスという英雄を無くし、新たな英雄を求めだすだろう国は……ベルトルトにとって、最も不幸な時代を迎える可能性が高いと言っても過言ではないかも知れない。

その最も不幸な国の真実を暴く、そんな使命。


「総統閣下……私は、貴方の真実を記録します。どんな結末になろうとも、必ずやり遂げます」


決意を聞いたアヴェリスは満足げに頷き、シャルを見据える。


「歴史は時と場合によっては、言い訳の道具にもなる。俺みたいに、道具にしてしまった奴もいる。シャル、俺がどんな男だったか、後世にちゃんと伝えろ」


シャルはノートを胸に抱き、立ち上がった。心臓が早鐘を打っていた。アヴェリスの言葉は、重く、熱く、シャルの魂に刻まれた。この男を知るために、この歴史書を書き上げる。それが、シャル・イルの使命だった。


「こんな言葉があるだろ?『我が辞書に不可能という文字はない』。これってナポレオンが言ったとか、実は言ってないとか、そこは置いといてさ、お前もその精神でやってみな。失敗しても、俺が腹を抱えて笑ってやるから心配すんなよ!」


アヴェリスが机に置いてあったナポレオンの伝記を持ち、ウィンクするのを見て、到底一代で列強に押し上げた英雄で、連邦の支配者がこんな軽薄そうな顔をするのは、傍から見れば意外やも知れないが、シャルにとっては普通だった。


「歴史はな、俺たちを裁く鏡だ。さあ、始めようぜ。……真実を記す旅を」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る