紅の歴史書

プルャ

序章『歴史書』

プロローグ

ウィレーツェル連邦共和国の首都クルアールグラード、旧ウィレーツェル帝国の華やかな貴族文化は灰燼と化し、工業区では煙突の煙が立ち上がるっていた。


革命が起き、連邦が樹立する前のウィレーツェル帝国では、多神教セレスティア教の宗派の一つでは、『神の恩恵」と讃えられた異能力は禁じられ、『怠惰と差別の象徴』と蔑まれた。今では郊外の路地裏で、連邦市民の子供達の元気な声が聞こえる。


「我が辞書に不可能という文字はない!」


フランスの英雄――ナポレオン・ボナパルト。

彼の有名な名言が路地裏の広場に響いた。

木剣を高く掲げ、ボロボロの帽子をナポレオン風に斜めにかぶった少年が、仲間を鼓舞するように叫ぶ。まるでナポレオンの名言を自分の言葉かの様に発し、子供達はチャンバラごっこに興じる。


「なら俺はネルソン提督だ!イギリスの英雄だぞ!」


他の一人の少年が世界三大提督の筆頭でイギリス最大の英雄とも名高いネルソン提督の名を口にして対抗した。


この光景は、地球からすれば異世界である連邦の何の変哲もない日常だった。


工場地帯から響き、燕尾服やドレスの市民が行き交う大通りは、まるで地球の19世紀を切り取ったような喧騒に満ちている。帝国時代は憎み合い、亡き魔皇が統治していたクルザノヴァ皇国との同盟締結から十四年が経過。


帝国末期で生まれた『啓蒙開化』の波は、唯一神々や、かつて存在していた高位な聖職者以外で、異世界との時空を超えることが出来る魔族によって地球の歴史書を連邦に広め、子供たちの遊びさえ変えた。


勇者にして偉大な革命家の顔を持つ、連邦の総統の故郷――異世界の英雄譚は、子供たちの遊びを彩り、大人たちの酒場の語り草となった。


かつて人間と魔族が血で血を洗った憎悪の影はない。子供達の中には人間だけでなく、皇国から来た魔族もいる。


連邦の統鋼党が掲げる「独立・進歩・啓蒙」のスローガンと、啓蒙開化の自由な空気が、彼らの心を軽やかにして、種族の隔たりを"表向き"は無くしていった。


「ナポレオン、か……」


広場のすみの木箱に腰掛けて、子供達のチャンバラごっこを見つめる銀髪の青年がいた。

声に主である青年の名はシャル・イル。齢22でありながら総統アヴェリス・クルアールの秘書を務める、小柄で女顔な青年だ。


「あっ!シャル様だ~!」


自作のナポレオン帽を被り、木剣を持つ少年がシャルに気が付き、駆け寄ってきた。激しく遊んだからか、少々息が荒く、汗を流していた。


「シャル様、見てて!俺、いつかナポレオンみたいな強い英雄になるんだから!」


「英雄、ね。なら歴史をよく読むんだ。ナポレオンは戦いで勝ち続けたけど、途中で道を誤って負けてしまった。英雄の道はとても茨なんだよ」


少年は剣をぶんぶん振り回しながら宣言する。シャルは苦笑して少年に軽く諭した。子供に教えるには少し現実的で夢がなかったかもしれないな。と少しシャルは心の中で反省した。


その憧れの純粋さが”子供のうちは”愛らしいもので、少年の目の輝きは歴史の闇を知らない。栄光だけを信じている。


その純情を無暗に穢したくないが、栄光だけを見て、憧れて成長したら暴走するやもしれない危険性を孕んでいるのは事実。


「へへ、知ってるさ! でも、総統閣下だって、歴史から学んで帝国に勝ったんでしょ? 俺もいつかそうなるんだ!」


子供の純粋な目に、シャルは一瞬言葉を失う。

アヴェリス――彼の恩人であり、親の仇。

連邦の全てを握る英雄の男で、「国民の救世主」


「応援してるよ。でもこれは覚えときな?歴史は遊びじゃない。教訓を忘れるなよ」


この忠告は、無垢な少年の頭から単なる小言としてすぐ離れるだろう。しかし、頭の隅っこにでも覚えていてくれたらそれでいい。少年はふーんと言った感じで聞き終えた。


「はーい、みんな、さっきの続けようぜ! 」


仲間たちを呼び戻し、広場に再び笑い声が響く。シャルは立ち上がって、コートの裾を払う。


「歴史は遊びじゃない……でも、君たちがそうやって笑えるなら、悪くないな」


彼は小さく微笑み、書類を手に総統府へ向かう。

啓蒙開化の連邦全盛期、歴史書の英雄たちが子供たちだけでなく、国民全体の夢となり、連邦の未来を照らし始めていた。シャルのウィレーツェルに歴史を観察する物語が静かに幕を開ける。


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