悪法も法なり
財布にいくら入っていたのか余は知らない。他人の金である。その回収のために眠剤の時刻まで早めようとした看護師の、施設での位置や評価は余よりも高い。
が。余が事務所に内線で報告すると、看護師は策を放棄した。身体拘束か何かになることをおそれたのだと思われる。
余はこのときにも同僚から色々と訊かれた。
余が、いかに低い確率であっても、薬が効きすぎて転倒して。万一にも死亡したときはどうなるのか?と言っても、容易に理解されなかった。
構造としては、以前に述べた消火栓の前の台車の議論と同じである。
清掃のために台車を用いれば、認知症の人がそれに接触して転倒する確率は零ではない。だからこそ、消火栓の前に置いてはならない。
眠剤はもっと深刻である。財布の回収のために恣意的に時刻を動かして、それによって死亡にまで至れば。
正規の時刻に眠剤を用いても転倒死亡はあり得たということが、何程の抗弁になるのか。
もとより、そのようなときに。馬鹿正直に財布を回収しようとしたと当局には申告しないかも知れない。しかし終生の秘密を抱えることになる。
昏酔強盗致死に公訴時効はない。少し考えれば解ることだが、情状の軽重や共犯関係などは裁判をしなければ解らないので。
公訴時効の判定基準は構成要件に対する法的刑の上限と、死者の有無という、外形的事実のみによって決せられる。
利用者の安全だけを考えれば、台車に衝突したときに消火栓の前でも他の場所でも同じ。眠剤の副作用は定期服薬でも財布回収でも大差ない。
だが、法律は。それを区別する。
悪法も法なりという。私見としては、法は全て悪法である。
日本に国会議事堂も最高裁判所も、ひとつずつしかない。介護という一業種、そこの一施設、一利用者のために最適化された法など、容易にあるわけがない。
画一的に規範を定め、違反者を投獄するようなことも法の一面である。
そのような必要悪としての法を理解せず。
心に寄り添う、命を守るといった美辞麗句を過信して、人格と行動が社会的に正当化されていると誤解する者は医療や介護の部分社会には多い。
それが余とChatGPTの共通見解である。
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